2023.10.23

おかしなことはおかしいといい続ける。個人的な物語が、制度を動かす

高田昌幸さん(ジャーナリスト)

現在、CALL4でケースサポート中の情報公開訴訟、隠される「国の事故調査」プロセスを明らかに!訴訟 (※1)の原告で、調査報道を専門とする独立系の取材グループ・フロントラインプレスの代表を務める高田昌幸さん。

新聞記者として多くの調査報道を手掛けてきた高田さんは、「そもそも行政文書はすべて公開が立脚点で、本来、情報公開訴訟はあるべきではないと思っています」と話す。

とはいえ、非開示が習い性になってしまった情報公開の世界で、文書の扱いがおかしいといい続けるための場所が必要、それが公共訴訟ではないかと高田さんは続ける。

国が調査資料を一切非開示にした、第58寿和丸の沈没事故

今回の訴訟は、運輸安全委員会に対して「第58寿和丸が沈没し、17人が犠牲になった事故の調査に使った資料を出してください」という主旨の訴訟です。

運輸安全委員会は事故調査報告書を作成するためにどんな資料を使ったのか。情報開示請求で出てきたのは、インターネット上で公開済みの学術論文だけで、実質的には全面非開示でした。そこで「情報公開・個人情報保護審査会」に不服申し立てをしましたが、審査会は処分庁である運輸安全委員会のいい分を丸呑みしたんです。

運輸安全委員会の仕事は、事故の原因を究明し、同じような事故が二度と起きないよう、調査で得た教訓を関係者に周知することです。ところが、報告書の内容に疑問を持ってフロントラインプレスの伊澤理江さんが取材していたら、運輸安全委員会は調査で使った資料のタイトルさえ公にしない。その理由も意味もまったく理解できず、2021年7月、私たちは国を相手に訴訟を提起しました。

すでに提訴から2年以上過ぎましたが、裁判は実質、審議にすら入っていません。資料のタイトルさえ非開示では、審議の進めようもないため、裁判所も被告の国に「どんな資料があってどんな理由で開示できないのか、一つ一つの文書について説明しなさい」と求めました。異例だそうです。

これに対して国は「検討に3カ月必要」とか、次の期日でまた「3カ月要る」とか答えて……。開示・非開示の判断と理由は本来、開示請求の時点でおこなわれるべきですが、それすら実行していなかったのです。こんないい加減なことがありますか?

しかも訴訟から2年余りが過ぎた2023年9月、「第1分冊」として692枚の文書を部分開示しました。真っ黒に塗り潰された“のり弁”状態の資料、一部分を黒く塗った文書もありますが、判決も出ていない状況でこうやって部分開示するのなら、最初からそうしてください、ということです。全くもって無駄な時間を過ごしました。

※1 隠される「国の事故調査」プロセスを明らかに!訴訟
2008年、太平洋上で第58寿和丸が沈没し、17人が犠牲になった。運輸安全委員会は「波によって転覆、沈没した」と結論付けたが、生存者や僚船乗組員の証言内容と大きく食い違う。それを取材で知ったフロントラインプレス所属のジャーナリスト・伊澤理江さんは、調査資料の開示を請求。だが、標目すら非開示とされたため、フロントラインプレスは国に対して情報開示を求める訴訟を提起した。この事故を追った伊澤さんの著書『黒い海 船は突然、深海へ消えた』(講談社)は、講談社本田靖春ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞、日本エッセイスト・クラブ賞などを受賞している。

おかしいことはおかしいといい続ける場、それが公共訴訟

一般に情報公開請求の対象となるのは、行政の決定に至るプロセスです。なぜそれが決まったのか。プロセスを知らなければ、結論の良し悪しを判断できません。

ところが行政庁は「国民は国が決めたことに従えばいい、プロセスなど知る必要はない」という態度を取っています。非開示の理由についても、行政庁の「率直な意見交換または意思決定の中立性が不当に損なわれる」「行政の事務遂行に支障を及ぼす」などが、決まり文句になってきました。国民は余計な口出しするな、決定事項決だけ知ればいいという態度です。

本来、行政文書は「すべて公開」が立脚点です。図書館のように、誰でも自由に閲覧できることが基本で、非開示は例外のはずです。けれど、そうではないから、私たちは情報公開を迫り、非開示に対して不服申し立てをおこなっているわけです。

2001年に、国の行政機関が保有する資料を原則、公開することを定めた「情報公開法」が施行されて以降、状況は後退しています。開示しないことが出発点となり、決定に至るプロセスを隠す役所の態度に人々は慣れてしまっている。これじゃだめだろう、おかしいことはおかしいといい続けること、それが公共訴訟の役割だと思います。

▲フロントラインプレスのオフィスで打ち合わせを行う伊澤さんと高田さん

当事者の思いに共感したその先に、制度改革はある

おかしいことはおかしいといい続けるのは大事なことです。

水俣病が公式確認されたのは1956年ですが、最終的に最高裁で国の行政責任が認められたのは2004年、当時の小泉首相が2006年に謝罪するまで、半世紀かかっています。

水俣病のようなひどい公害病さえ、認められるまでに半世紀かかっている。それでも裁判で国の責任が認められたのは、患者や遺族、支援者が訴え続けたからです。

時代に合わないおかしな制度や社会の仕組みを変えるために声をあげる。公共訴訟には、そういう役割もあります。そして、社会の不正や不公正、歪みの中で、懸命に変革へのトライを続ける当事者には、当事者にしか語れないものが必ずあります。ですから、重要な論点を織り込みつつ、実際起きている問題をナラティブで伝えることが、すごく大事。そのストーリーに多くの人が共感し、原告への支持が集まることで、世論を動かす。それが訴訟の意義であり、制度改革もその先にあると思います。

公共訴訟は時間もお金もかかります。意気に感じて関わってくれる弁護士にしわ寄せが行ってしまうのは、正しい姿とは思えません。その意味で、CALL4のようにクラウドファンディングを通じて応援できるのは、わかりやすくてよい仕組みだと思います。原告にとっては金銭面だけでなく、支援者が目に見えることも嬉しいことで、私も「支援者の声も増えていないかな」と思って、時々見に行きます(笑)。

ただし、何らかの問題を訴訟で解決しようと思っても、アクションを起こす精神的、金銭的な余裕のない人は世の中にたくさんいるはずです。訴訟を提起できる人はむしろ恵まれている。だから、たとえば、公共訴訟を起こしたい人と弁護士をマッチングできる仕組みがあれば、救済できるケースはもっとたくさんあるでしょう。CALL4には今後、そんな役割も担ってもらえればと思います。

たかだまさゆき●1960年高知県生まれ。東京都市大学メディア情報学部教授/ジャーナリスト。北海道新聞で司法キャップ、報道本部次長、ロンドン支局長などを歴任。2019年4月にフロントラインプレス合同会社を設立。放送倫理・番組向上機構(BPO)放送倫理検証委員会委員長代行。著書に『真実 新聞が警察に跪いた日』『権力VS調査報道』『権力に迫る調査報道』『希望』などがある。
取材・文/塚田恭子(Kyoko Tsukada)
写真/保田敬介(Keisuke Yasuda)
編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)