17人が命を失った沈没事故。なぜ国は生存者証言を無視し、情報開示を拒むのか

2022.8.1

「第58寿和丸」沈没事故の真相を追い、国に情報開示を求めるストーリー

「船影 突然消えた」

そんな見出しが翌朝の新聞に一斉に載った。2008年6月23日昼、漁船「第58寿和丸」転覆、沈没。死者・行方不明者17人。原因は不明ーー。

千葉県銚子市の犬吠埼(いぬぼうさき)沖で一隻の漁船が沈没し、多くの乗船員の命が失われた。原因がはっきりしなかったこともあり、当時のニュースでは経過がたびたび報じられた。3年後、国は事故報告書を公表し、原因を波によるものと結論づけた。

あれから14年、この事故はまだ終わってはいない。

わずか3人の生存者、船主、遺族らの胸の内には、いまだに納得できない、けれど、なす術のない悔しさ、人によっては激しい憤りがある。

彼らは口を揃えてこう言う。

「国の報告書はおかしい」「船体が損傷しているはずだ」

▲「第58寿和丸」は全長38メートル、重さ135トンの漁船。カツオなどの魚群を追い、2船団8隻で太平洋に出漁していた(写真提供:フロントラインプレス)

生存者証言と矛盾する報告書

その日は朝からシケており、関東海域ではお昼前に強風警報が発令されたが、ベテランの乗組員にとってとりわけ危機を感じるような気象ではなかったという。入れ替わりに食堂でお昼を食べ、午後は休息を取る予定だった。しかし、生存者によれば突然、船に衝撃が走った。停泊していた船はわずかに右に傾き、静かに、ゆっくりと傾きを増していく。

衝撃から転覆までは1〜2分、さらに沈没までの時間は、わずか数十分だったと言われている。船底を浮かべた第58寿和丸は、僚船が助けに駆けつけるよりも前に、みるみる水面下に消えた。船内に残されたり、海に放り出されたりして、漁師たちの命が瞬く間に失われた。そうして、第58寿和丸は水深5,800メートルの冷たい海底へと沈んでいった。

3年後、2011年4月22日。事故調査を担当した国土交通省所管の運輸安全委員会は、「船舶事故調査報告書」を公表。第58寿和丸の事故の原因を、「波による転覆・沈没の可能性」とした。

インターネットで誰でも閲覧できるこの報告書は、一見すると、118ページに渡って専門的分析がなされた立派なもののようにみえる。しかし、そこには重大な欠落がある、調査報道グループ「フロントラインプレス」の記者である伊澤理江さんはそう指摘する。生存者らの証言と大きな食い違いがあるのだと。

例えば、「ドスッ、バキッといった船への衝撃が数秒のうちに2度」あり、そこから瞬く間に船体が傾いていった。報告書の指摘するように波をかぶって転覆したのであれば、船体がひっくり返る前、第58寿和丸の甲板の上には波が押し寄せて海水が滞留したり、船内が浸水したりしていたはずだ。しかし、甲板上を走って脱出した生存者3人は「(転覆の直前までは)自分は水に浸かっていなかった」と口をそろえている。転覆直前まで甲板は波に洗われていなかったことを物語る証言だ。

第58寿和丸が沈没後、周辺の海は油で真っ黒になり、粘度があって「泳げるのに泳げなかった」という証言もある。決死の思いでボートまでたどり着いた仲間を引き上げようとしたが、油まみれでヌルヌルでつかむことさえままならなかった。救助に向かった僚船の乗組員も真っ黒な油が広がっているのに驚いた。なぜ、こんなに大量の油が漏れたのかと。ところが、報告書はその疑問に答えていないどころか、海上保安庁の撮影した航空写真の分析などから流出量をわずか一斗缶1個分程度と推定した。その程度では「油で真っ黒な海」にはならないし、「泳げない」状況にはならない。

第58寿和丸の船主と出会ってから約3年、事件の真相を追っている伊澤さんは疑問を呈する。

「生存者も、救助に当たった僚船乗組員たちもあれだけみんなが、油、油、黒い海と言っていたんです。沈没の原因は船底の破損。だから油が大量に漏れ出たはずだと関係者は言っていたのに、どうやって最大で一斗缶1個分程度(23リットル)しか漏れていないと結論づけたのでしょうか。そこが最大の疑問です。報告書の内容は生存者や僚船の乗組員たちの証言と矛盾していますが、その説明も一切ありません」

▲関係者の不信感や怒りは今でも生々しいと話す伊澤さん

真実を求めて独自に調査する

「今でもさ、自分とこの乗組員が沈んだままになっていると思うと悔しくてたまらないんだ」

そう話す第58寿和丸の船主は、福島県いわき市小名浜(おなはま)にある漁業会社、「酢屋(すや)商店」社長の野崎哲(てつ)さんだ。

▲野崎さんは、福島県漁業共同組合連合会の会長を務め、福島原発による汚染水の海洋処分をめぐって国と交渉を重ねる傑物である(写真提供:フロントラインプレス)

伊澤さんが酢屋商店の事務所を現地に訪ねると、野崎さんは自分のデスクトップ・パソコンに積み重ねた大量の資料を見せてくれた。どれも第58寿和丸の事故を独自に調査したものだった。

寿和丸ほどの船が安全な方法で停泊中に大波で沈むとは想像しにくいと考えた野崎さんは、行方不明者の捜索を終えてから、専門家の協力を得てさまざまな調査や実験を行っていた。結果、第58寿和丸の転覆・沈没は、船底に損傷が生じたのが原因と強く推認されるに至ったという。

運輸安全委員会にレポートを提出した調査の一つが、油の再現実験だ。生存者や助けに入った僚船の乗組員ら立ち会いのもと、油流出防除の専門家が事故当時の海の様子を再現した。全身油まみれで人を引き上げるのが困難な状況下の油量は、運輸安全委員会の算定した15〜23リットルの200倍、海面2ミリには達していたという結果が出た。

「けれど、無視されてしまいました」と、伊澤さん。

「あれだけちゃんとした再現実験がされて、非常に説得力のあるレポートにまとめて提出されたにもかかわらず、です」

野崎さんは当時、「このままではうやむやになる」と独自調査に打ち込んでいた。船底の損傷を確認するには、潜水調査をするしかなかった。けれども、水深5,800メートルの海底の調査には莫大な費用がかかるだけでなく、海底に沈む第58寿和丸は海流に流されていて位置を特定するのは難しい。安全面・技術面の問題があるとして、国は潜水調査を実施しようとしない。

そこで、野崎さんや遺族らは真相解明のために、国に第58寿和丸の潜水調査を求める署名活動を始める。14万5,683筆もの署名が集まり、2009年1月には嘆願書とともに国土交通省に手渡した。しかし、その席上で運輸安全委員会の調査官は野崎さんに向かってこう言ったのだった。

「(調査の重要性の)1番は旅客事故です。2番は商船です。3番目に漁船の事故がきます」

野崎さんは驚いて、「魚獲るのが仕事で、死ぬのが仕事じゃないんだ。そういう差別があんのはおかしいんじゃないんですか」と訴えた。すると、相手は「はははは」と笑って、「(方針は)変わりませんからね」と流したという。

国会でも調査実施を求める質疑は3回ほど行われた。しかし、国土交通省は検討中と濁すばかりで、結局、潜水調査は行われなかった。

▲油の再現実験レポート。実際に見た油の色に「最も近い」と思った色は全員一致したという

潜水艦による衝突の可能性

この国ではもともと船舶事故は「海難審判庁」が担当して、公開の審判手続きを行っていた。そこでは裁判のように当事者が傍聴できて、記録閲覧もできた。

2008年、陸・海・空の事故再発の防止機能向上のため、国は2つあった事故調査機関を統合。それまで航空機と鉄道の事故を担当していた「航空・鉄道事故調査委員会」が、新たに「運輸安全委員会」として海難も担当することとなった。
そのちょうど制度切り替えのタイミングに今回の事故は起こり、操船を熟知した海の専門家の多かった海難審判庁が数カ月ほど調査をした後、運輸安全委員会に引き継がれた経緯がある。

当時の新聞報道によれば、事故の直後、海難審判庁は船底損傷を疑い、潜水艦衝突の可能性も視野に入れていた、とされる。深海潜水調査船の派遣依頼を検討し始めた、と報じた新聞記事もあった。

船の構造上、燃油タンクのある船底が破損しない限り、生存者証言から推定されるような大量の油が漏れ出ることはない。衝撃のあった際に「ドスッ」「バキッ」という構造物が壊れるような複合音がしたという証言からも、船底に亀裂ができ、そこから大量の油が漏れるとともに大量の海水が入り込んできて沈没したーーその選択肢を検討するのは合理的だろう。

では、仮に135トンもある漁船の船底が損傷したとして、それはなぜなのか。犬吠埼沖350キロ、水深5,800メートルの事故地点で、流氷や岩礁との衝突はない。「船はエンジンを切って漂泊していたので、鯨の衝突による沈没も考えにくいそうです。消去法ではありますが、当時から潜水艦の可能性は疑われていました」と伊澤さんは話す。事故現場は領海ではないため、どの国の潜水艦が潜航していてもおかしくはない。

しかし、引き継いだ運輸安全委員会の報告書には、「本船乗組員の口述及び転覆後の燃料等の流出量が約15~23リットルと推定されたことから、衝突などによる損傷の可能性が小さいため、排除されるものと考えられる 」と記されており、船底損傷の可能性は否定されている。

▲港で働く漁師たち。写真はイメージ(撮影:穐吉洋子)

事故は船乗りのせいにされた

3年待った事故報告書がようやく公表されたのは、東日本大震災からわずか1カ月後だった。福島で震災対応に歯を食いしばっていた野崎さんや関係者らは、混乱の最中に目を通した。

その報告書に結論としてまとめられていた事故原因はこうだ。

第58寿和丸はブリッジの上方に2トンに及ぶ重い漁具などを搭載していて、船体は重心が上がり、水平が崩れた状態にあった。それにより、大波で船体が傾いて水が押し寄せ、船の放水口が塞がれていたために機能せず、海水が滞留して船体は傾きを増して転覆。海の底に沈んでいった可能性がある――。
難解な計算式によってその可能性の証明がされ、第58寿和丸が大波を繰り返し受けて転覆する再現実験の動画も残されていた。

「そんな重い荷物はブリッジに上がりません。上げる必要もありません。放水口だって、報告書の言うように詰まっていたら、すごく危険です。当事者にしたら『絶対あり得ない』といういくつもの条件が重なった結果、船がひっくり返ったことになっているわけです」

報告書のページをめくって、伊澤さんはある箇所を指でさし示す。放水口にまつわる記述だ。そこには、「既設の鋼板を溶接して塞いだ閉鎖工事跡が複数認められた」とある。

「この記載は、分かりにくいですが、類似船型の漁船についてのものなんです。似ている他社の船が改造して放水口を塞いでいたからって、寿和丸も塞いでいた可能性があるだなんて、強引過ぎます」

「要は、すべて船乗りの責任だ、と。彼らの運用が悪くて、不運にも大波が来て、積み荷の仕方も悪かったから沈みましたって。すべて乗組員のせいにされてしまっているんです」

▲転覆の様子が再現された動画。インターネット上で公開されていたが、現在は削除されている

報告書公表の1週間後、船主の野崎さんは強く抗議する声明文を発表。マスコミ各社に配布した。

恣意的に証言を切り取られ、提出したレポートや署名を無視された挙句、事故の責任は机上の計算によって、もの言えぬ死者に押し付けられた――当事者の悔しさはいかばかりだったろう。伊澤さんはいう。

「おかしいといくら訴えても、報告書を出したからといって幕引きされたわけです。私が取材をした時、船主も生存者もなす術なく、いまだに憤っている状況でした」

あれだけの証言に勝る、調査で得た情報があったというのか。知るためにはもとになった調査資料に当たるしかないと、伊澤さんは国土交通省に調査資料の開示請求を行った。しかし、返ってきたのは不開示の通知。結論を導いた資料の中身どころかタイトルさえ明かせない、という返答にはさすがに唖然(あぜん)としたという。

「不誠実ですよね。後世の検証に耐え得る調査資料を残せない、公開できない行政のおかしさを、このまま見過ごしてはいけないと思いました」

伊澤さんの所属する調査報道グループ「フロントラインプレス」は、2021年7月、国を相手に情報開示を求める訴訟を提起する。

▲本取材で話を聞いたフロントラインプレスの伊澤理江さん。「いまだに苦しんでいる人たちのために一歩でも二歩でも、何かを見せたい」と取材を続ける

行政の決定プロセスは開示が原則

「今回の場合、タイトルで隠すべきものは何もないと思います」

本訴訟の弁護団長を務める清水勉弁護士は、きっぱりと言い切る。

「事故の原因究明は再発防止が最大の目的なので、調査資料そのものもできる限り全部出すものでしょう。目撃者証言も、原因究明のために話をしてくださいと言われて証言をしているわけですから、部分的にマスキングすることはあっても基本的には全開示が当然ですよ」

情報公開の進んだアメリカの国家運輸安全委員会は、40年以上前に政府から独立して事故調査を行い、資料もすべて公開しているという。

一方、日本の運輸安全委員会は今回、目撃証言はもとより、外部企業に発注した調査さえも不開示とした。調査資料に当たれない報告書というのは、一般的には信頼性が担保されていないと一蹴されるようなものではないのか。

▲清水勉弁護士は、日弁連の「秘密保全法制対策本部」事務局長を務めた経験も持つ、情報公開のスペシャリストだ

清水弁護士の隣に座る、弁護団の出口かおり弁護士が、印刷した資料タイトル一覧を示して現況を解説してくれる。

「本来は一覧でタイトルが見えて、それでこの調査資料に関してはこういう理由で出せない、これは出せる、という個別の判断をするんです。けれど今回は何も見えない、だから、なぜ開示できないかも分からない」

「被告である国は今回、『個人にまつわる情報に当たるから』、『権利や利益を害する恐れがあるから』と理由を付けて、あらゆるものを不開示と言ってきています。情報公開法の運用をどんどん狭める解釈を主張してきているんです」

▲一部だけ開示の進んだ文書タイトル一覧。しかし、いまだにほぼ黒塗りで全容は掴めない

情報公開が今、ぶつかっている壁

情報公開法こと、『行政機関の保有する情報の公開に関する法律』は、2001年に施行された。

そこでは行政機関は国民に説明する責任を持つことが明言されており、誰でも政府に情報の開示請求ができるようになった。公共の情報を市民が知り、正しく理解して、政治に参加する。民主主義の土台となる法律だ。

第五条には、「行政文書の開示義務」が明記されている。情報は原則開示。プライバシーを守るために、特定の個人を識別することができるものや、公(おおやけ)にすることによって個人の権利や利益を害するおそれがあるものは除くとあるが、もともと公にすることが予定されていた情報などはそこに含まれないとも厳密に定義がされている。

日本では、1980年代に情報公開条例が全国の自治体に広がり、そこからおよそ20年をかけて中央政府へと流れが進み、情報公開法が施行された経緯がある。施行当初は開示レベルも低く、「最後まで(マスキングで)真っ黒」だったが、「裁判を通して徐々に公開が進んできた」と出口弁護士はいう。

「今では税金の使い道を知るための会計文書については、形式的なところはだいたい出るようになってきました。それで目下の取り組みが、今回のような行政の意思形成や調査プロセスの開示になってきたんです。森友・加計問題もそう」

「ただ、ここはすごく難しくてほぼ進んでいない。国が開示すると不利益があると強く主張すれば、やっぱり裁判所としても判断を躊躇してしまうんです」

▲事故に関する情報開示請求では他に、JR福知山脱線事故の運転手の口述聴取録が不開示になり裁判に発展している

未来につないでいくために

「日本やどこかの国の潜水艦がぶつかった可能性があるなら調査協力を求めれば良かったんです。もし拒否されたら、それも一つの事実じゃないですか。あるいは、きちんと説明がなされた結果、事故と関連性がないとわかれば、今度は何が当たったんだろう、と進んでいける」

清水弁護士はいう。

「もし分からない部分が残ったとしても、分かった部分までを公開することで、いつでも誰かがその先をつないでいくことができる。もしどこかから横槍が入ったのだとしても、その事実まで記録して公開することで、適切に業務を行なっている担当者を守ることもできます」

「本来であれば、外部の批判にさらされることで、行政も仕事をやりやすくなるはずなんです。何か問題が起きても、記録して公開してしっかり説明しておくことで、主権者である市民の側にも業務の多面性が見えて、納得も得られやすい」

もともと行政は情報をほぼ表に出さずに物事を進めていた。しかし、情報公開制度や裁判を通して、その体質も次第に変わってきているという。

「今のままではさすがに主張が持たないと思ったのでしょう、すでに5回行われた本訴訟の期日で、行政側は二度ほどタイトルの一部を自ら公開してきました」

日本の裁判所では、インカメラ審理(※)が導入されていないため、裁判官は不開示とされた書面を見ることはできない。今の状態では国の主張に正当な理由があるかどうか判断ができないため、裁判長は法廷で何度も、「本当にこれしか出せないんですか」と国に質問しているという。(※インカメラ審理:正当な理由の存否を確認するために、裁判官だけが裁判官室で該当文書等を見分する非公開手続。元々はアメリカの裁判所で考案され、発展してきた手法)

「裁判所が国にプレッシャーをかけることで、被告側もさらに考え直さざるを得なくなってくる。なので、こちらは裁判官がそういう訴訟指揮がとれるように、丁寧な主張をしていきたいと思っています」

「まずはタイトルを明らかにして、次にその情報の公開請求をして、墨塗りになってきた部分をさらに明らかにしていく、これから何段階も手順を踏んでいくことになります」

最高裁まで続く、長い戦いになるだろうと清水弁護士は言った。

▲タッグを組む、出口かおり弁護士と清水勉弁護士。「今回の事故調査のあり方を先例にしてはいけない」と話す

海を渡る風が吹いていく。

第58寿和丸事故から4カ月後の2008年10月30日、福島県いわき市小名浜では合同慰霊祭が行われていた。1,000人程が参列したその席上で、船主の野崎さんは追悼の言葉を述べた。

「無念は私たちがこの世で引き受ける。どうか安らかに第58寿和丸と一緒にお休みください」

そして、「コンちゃん、ヨシヒロ船長……」と、乗組員一人ひとりをあだ名で呼びかけていったという。

慰霊祭を終えた野崎さんは海上保安庁に行方不明者の死亡認定願を出し、その1カ月後、全員の死亡が認定された。亡き彼らの無念を晴らしたい、その願いを忘れたことはない。

「俺は死ぬまで、寿和丸はなぜ沈んだんだろうって思い続けるんだろうな」

野崎さんがふと漏らしたというつぶやきを、伊澤さんは忘れられずにいる。現在、彼女は情報公開訴訟の傍聴に通いながら、あらゆるルートから真実を追う取材を続けている。

あれから14年、この事故はまだ終わってはいない。終わらせまいと戦う人たちがいる。

▲小名浜港。寿和丸の沈む場所とは太平洋でつながっている(写真提供:フロントラインプレス)

取材・文・構成/丸山央里絵(Orie Maruyama)
写真/保田敬介(Keisuke Yasuda)
編集/谷口太規(Motoki Taniguchi)、杜多真衣(Mai Toda)

参考記事:「沈没ーー寿和丸はなぜ沈んだか」伊澤理江