この国の婚姻制度を変え、当たり前の風景を変えたい

2024.9.24

婚姻の平等を求める福田理恵さん、藤井美由紀さんのストーリー

「今はこうして自分の顔も名前もオープンにしていますけれども、この訴訟に加わるほんの少し前まで、ずっと同性愛者である自分のことを隠して生きていました」

福田理恵さんは静かに話し始めた。

「同性愛者であることに気づいたのは10代のときでした」

「自分を肯定することはできなくて、でも誰かに認めてほしいという思いがあって、20代の半ばぐらいに、一番信頼していた姉にカミングアウトしたんです。姉はすごくリベラルな考えを持っていると思っていたので、全然問題ないよと言ってくれると思っていたんです」

「けれども、思いもよらず、『精神的に異常だと思う。家族にいてほしくない』と言われて。もう本当に消えていなくなりたいと思うぐらい傷ついて……」

一瞬言葉を詰まらせ、けれど湧き上がった感情を押し留めるようにして福田さんは続けた。

「それからは二度と傷つきたくないという思いから、もう誰にも言わない」

「友だちにも言わない、もちろん親にも言わない、会社の同僚にも言わない」

その時から人と距離を置き、「恋愛とか週末の過ごし方といった会話は避けたり、あるいは嘘を重ねたりしながら、周囲との関係をミニマムに抑えながら生きてきた」と福田さんは言った。

当時、性的少数者は情報を得ることさえも難しい時代だった。自分らしく生きたいという衝動と、もう再び傷つきたくないという思いとの間で揺れながら、息をひそめ、自らの存在を透明化することで日々を過ごしてきた福田さんに転機が訪れるまで、20年近い歳月を要した。

窓から外を見ている女性

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「私は異常じゃない、と自分で自分に言い聞かせながら生きてきました」と福田さん

ふたつの転機

その生き方が変わったのは40代に入ってから、「自身のがん罹患がきっかけでした」と福田さんは振り返る。この頃にはもう家族とは疎遠になっていた彼女を支えたのは、パートナーの藤井美由紀さんの存在だった。出会って二度目で意気投合し、それぞれの人生を尊重しながら大切に関係を積み上げていたところだった。「正直、面倒だからと距離を置かれるのではと思った」という福田さんの予想は外れた。

「私が落ち込んでいても、大丈夫、大丈夫!って、ガハハって笑いながら引っ張り上げてくれて、率先して信頼できる病院や執刀医を探してくれて。美由紀がいなかったら生きていられなかっただろうなと思うぐらい、感謝しています」

しかし、医師から今後の治療計画の説明を受ける段階で、壁は立ちはだかった。その病院では、家族でなければ医師の説明立ち会いはもちろん、手術の付き添いも夜通しの看病も許されなかったのだ。たった一人では抱えきれない、疎遠な親族には頼めない、けれども唯一頼りにする藤井さんとの関係は社会的にはただの他人——。

「だから、本当に不本意だったんですけれども、従姉妹(いとこ)だと嘘をついて、一緒に付き添ってもらいます、と言わざるを得なかった」

術後の激しい全身の痛みや嘔吐で動けない福田さんを、藤井さんは朗らかな笑顔で懸命に看病し支えた。しかしふたりには、いつ嘘がばれるのではないかという緊張感が常にあったという。

「ただでさえ病気になって苦しいのに、嘘をつかなきゃいけないという苦しさが加わって、本当につらい経験でした」

そうして病院での日々は過ぎ、退院して3カ月が経った頃、福田さんの母が他界する。距離を置いてはいても、福田さんの心の中にはずっと母のことがあった。娘の意思を尊重して、何も言わずに見守ってくれていた母だった。深い喪失感に苛(さいな)まれながら福田さんは葬儀に参列する。夫婦での参列も多い中、カミングアウトしていない福田さんには、藤井さんに横にいてもらうことはかなわなかった。

一生を添い遂げたいと思える人に出会えたことを、いつかちゃんと伝えたいと思っていた母親に伝えることはもう永遠にできない。

「人生って、もしかしてそんなに長くないのかもしれない」

そう思ったんです、と福田さんはまっすぐにこちらをみつめた。

「だったら、これからは嘘をついていくのはもう嫌だ。自分らしく、美由紀と一緒に結婚して生きていきたい」

20年抑え込んできた思いがあふれた。そして同時に、このような生きづらさをこれからの若い人たちには決して引き継ぎたくないと思ったんです、と彼女は言った。

窓の前に座っている女性

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「これからは誰に何と言われようと、正直に自分らしく生きていこう、と強く思いました」と福田さん

越えられない壁

心を決めた福田さんは、当時勤めていた会社で同性パートナーシップ制度が始まったことを受け、すぐに申請をする。その後、転職する際には先にカミングアウトをして藤井さんを配偶者とみなしてもらった上で入社。もしもの場合にも、藤井さんと互いに互いの財産を相続できるように、公正証書も作成した。退院から1年後に、ふたりは福田さんのマンションで共に暮らし始めていた。

「私に万が一何かがあったときに、美由紀が、私たちが愛情を育んだこの家で引き続き何の不自由なく暮らしていけるように、できることをしたいという気持ちが強くありました」

プライベートでは、勇気を振り絞って友人や同僚に同性愛者であることを打ち明けた。思いがけず好意的に受け止めてもらうことができたことは大きな喜びだった。長年疎遠だった姉とも話し、相手から自分が未熟だった、許してほしいと真摯な謝罪を受けて、今では3人でたまに食事もする仲だという。

「でも、個人の努力でできるのはここまでが限界です」

今の日本では、ふたりは望んでも法的な結婚ができない。法律上の夫婦と同じ扱いを受けられないことによって、ふたりの幸せが守られないかもしれない不安は常にあると福田さんは話す。

異性カップルであれば、婚姻の届け出をして夫婦となることで、互いに同居し、協力、扶助する義務などを負うと同時に、財産関係、身分関係、税制、年金、労働、医療の分野、実にさまざまな法律上の効果が得られる。一方で同性カップルの事実婚では、それら婚姻による権利はほぼ全て認められていない。
たとえば、遺言を残しておかなければ互いに相続権はなく、相続する場合も配偶者としての税優遇措置は受けられない。パートナーが産んだ子どもや養子をふたりで育てている場合に一方は親権者になれず、国際カップルであれば「日本人の配偶者等」や「家族滞在」の在留資格による入国ができない。

現在、全国の自治体や企業の多くが整備するパートナーシップ制度も、そこに国の法律の効力は反映されない。いざという時、どんな不利益が発生するのかは予測しきれない。

また、法律に関わらなくとも、ふたりの関係に社会的な承認が得られないことによる不利益は枚挙にいとまがない。同性カップルの一人が突然意識不明の重体になった緊急時に、パートナーが駆けつけるも、家族でないことを理由に医師から立ち会いを許されなかった、というのは実際に起こった出来事だ。

窓から外を見ている少年

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「父には嫌われたくなくて言えなかった」と話す藤井さんもまた、「父が亡くなって隠すこともなくなり、これからは堂々と生きていこうと思って」と周囲にカミングアウトした

婚姻の自由を求めて

憲法14条
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

この現状は、国による差別ではないのか。そう問いかける裁判がある。

性別問わず結婚ができるよう求める「結婚の自由をすべての人に」訴訟だ。現在、全国で集団訴訟が起こされており、同性カップルが婚姻制度を利用できない現状の民法や戸籍法は、憲法14条が禁じる不当な差別的扱いをするものであり、憲法24条が保障する婚姻の自由を不当に侵害し、24条2項の適合性を欠くものだとして、制度改正を訴えている。

裁判の動きを知った福田さんと藤井さんは、2021年、東京二次訴訟の原告に名を連ねた。原告に立ち上がった理由を問うと、福田さんはこう答えた。

「同性愛者である自分のことをひた隠しにしながら生きなきゃいけない社会ではなくて、誰もが結婚を通して幸せを追求できるような社会にしたい。その思いで声を上げました」

その傍(かたわ)らで藤井さんが、「これからを生きていく若者たちにとって、少しでも生きやすい世の中になったらいいなと思って」と笑った。

傘をさして海を見ている女性

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ふたりは本名も顔も出して裁判をたたかうことを決めた

見えてきた希望

今年3月14日。福田さんと藤井さんは他の原告とともに、東京地方裁判所の正門前で大勢の報道陣に取り囲まれていた。自身が原告となった訴訟の一審判決があったのだ。

ふたりの手元で、「違憲」の文字が書かれた旗が冷たさの和らぎはじめた風に揺れていた。この日、東京地裁は、「同性カップルに何の制度もないことは、重大な人格的利益のはく奪に当たる」として、現状は憲法に反する状態であることを認めた。

全国初の提訴から5年。この日の判決を終えて一審判決はすべて出揃い、現状を「違憲」または「違憲状態」とした判決は、6件中5件にまで及んだ。

そして、同日午後には札幌高裁が、全国で初めて高裁レベルの判断を示した。憲法14条、24条1項・2項いずれにも反するという画期的な判決だった。

憲法24条1項
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

特に注目を集めたのは、この24条1項の解釈だ。「両性の合意のみに基づいて成立」の文言は、旧民法下の家制度によって当事者間の意思だけでは結婚できなかった歴史を背景に、それを否定し、当人どうしの意思で結婚が成立することを定めたものと言われている。

これまでの裁判例はこの文言を、男女間の婚姻を想定したもので、同性間は想定していないとしてきた。ところが、札幌高裁は「人と人との間の自由な結びつき」としての婚姻を定めたものであって、同性間の婚姻についても保障している、と判断したのだ。

異性どうし、同性どうし、ではない、人間どうしなのだと。

第一報は、期日報告会を終えたばかりの東京の福田さんと藤井さんの元へも届いた。文字通り、みんなで飛び跳ねて喜び合った、観客席には声をあげて泣いている人もいた、と福田さんは言った。

「原告、弁護団、応援者、もう本当に総力で動いてきた結果、あ、こんなに変わるんだって。今後にすごく希望を持っています。何年かかるか分かりませんけれども、絶対に(同性婚は)実現するという希望と確信を持っています」

翌朝、ふたりは一面で大々的に判決を報じた主要新聞紙をすべて買い込み、「同性婚、否定は違憲」などの文字が踊る紙面を自宅のソファーで喜びを噛み締めながら読み合ったという。

しかし、これだけ強く立法を促す司法のメッセージが発されても、岸田首相は「引き続き、判断に注視していく」と述べるのみで、政治的な動きは見られなかった。「わが国の家族のあり方の根幹に関わる問題であり、極めて慎重な検討を要する」と繰り返すのみだ。背景には、伝統的な家族観を重んじる自民党内の保守的な議員や支持者への配慮があると言われている。

最新の世論調査では、「同性婚を法律で認めるべき」と答えた人は7割を超えた。社会は刻一刻と変わっていくもので、そこに生きる人々の家族観、価値観も当然、時とともに変わっていく。当事者のあげた勇気ある声はまっすぐ、市井の人々のもとへ届いている。

傘をさしている女性

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「私も理恵が結婚できない社会の当事者だ。だから私もできることをしていきたい」カミングアウトした福田さんが異性愛者の友人に言われて感激した言葉だ

すべての人の尊厳が守られる社会へ

働くふたりの日常は、忙しい。仕事を終えた福田さんが、夜勤をする藤井さんを起こし、ハグをして送り出す。大病をしてからは、「行ってきます」がいつ最後になっても後悔のないよう、互いの気持ちを言葉にすることも忘れない。藤井さんが毎日スピード重視で掃除機をかければ、福田さんが休日にゆっくりと部屋を四隅まで綺麗に掃除する。「お互いが足りないところを、補い合って暮らしている」と話すふたり。その目前を愛猫が悠々と通りすがっていく。

「私たちは家族としての生活をしているし、それは男女の間の生活とまったく変わらない。絆だったり愛情だったりというのもまったく変わらない」と福田さん。

訪れたふたりの家には、静かで穏やかな時間が流れていた。部屋に飾られた挙式の写真と結婚証明書は、昨年秋、福田さんのアメリカ出張に藤井さんも同行し、ニューヨークの市役所で式を挙げたときのものだ。福田さんはふたりの関係に初めて正式に名前がついたその時の気持ちを、「今まで感じたことのない至福感」と表現した。

屋内, 座る, テーブル, 写真 が含まれている画像

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「ニューヨークにいるときは、どこに行くにしてもすぐに、ぱっ!と手をつないで歩いていたんです」と藤井さんが笑うと、福田さんもそれに応じる。

「向こうでは、もう当たり前のように同性どうしが手をつないで歩いていて、誰かじろじろ見たりとか、何か言葉をかけたりとか、そういうのもまったくなくて、ただ日常的な光景としてそういうものがあって……」

そこで自分らしく生きられることの解放感と安心感を初めて感じることができたのだと福田さんは言った。そして、「あ、私、息ができる、って思ったんです」と微笑んだ。

「ニューヨークでは、同性愛者だとかそういったことは一切関係なく、ただの人間として当たり前に生活できていた。本当に心の平穏を得ることができて、これがあるべき社会だなというふうに感じることができたんです。これが日本の社会で、近い将来やって来ること願っていますし、そのために私たちはできることをしていきたいと思っています」

ふたりが原告の裁判は、この秋、東京高裁での控訴審が始まる。“憲法の番人”とも呼ばれる最高裁の判決はあと数年のうちに出ることが見込まれており、そこでもし法令違憲判決が出れば、司法の力を持ってルール変更が命じられることになる。はたして重い扉は開かれるだろうか。

ともに歳を重ねたふたりが、なんのてらいなく手をつないで歩く姿を見られるだろうか。この国で。

テーブルで食事をしている男女

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ふたりと猫と、家族団らんの時間

取材・文・構成/丸山央里絵(Orie Maruyama)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)