この時代を生きる私たちすべての問題として、声をあげる

2019.12.30

同性婚訴訟とまさひろさん・こうすけさんのストーリー

同性同士の婚姻を求める「同性婚訴訟」は、国を相手にして2019年2月14日、全国で一斉に提起された。筆者が同性婚訴訟の初めての取材をしたのは、1年前の2018年末だった。取材にあたって極度に緊張していた。

原告カップルの方々は、自らのとてもパーソナルなストーリーを丁寧に話してくれた。性的指向を自覚したときのことや葛藤、ふたりのカップルとしての暮らし、求める未来と声をあげることについて。

カップルの日常を聞きながら、「男女のカップルと同性のカップルと、何が違うんだろうな」と考えた。何も違わない、が答えだった。違うのは今の社会における受容のしかただけだ、だから社会の中で「あたりまえになるのがいい」とそのときは思った。

「ふたりが一緒に過ごすことが、ふたりのあいだだけでなく、社会の中でもあたりまえになるのがいい」と。その気持ち自体は今でも変わらない。

色違いのコンバースからも仲の良さが伝わってくる

同性婚をめぐる動き

2月の提訴の後、LGBTQ関連のニュースが増える中で、裁判は淡々と進んでいた。そのあいだに、台湾で同性婚を認める法律が成立した。

国内の同性婚のクラウドファンディングには1000万円を超える支援が集まり、11月には国会に対して同性婚の実現を求める「院内集会(マリフォー国会)」が衆議院で開催されて政治的な動きも加速している。

院内集会に先がけた9月、当初の原告団に加えて、福岡に住む原告二人が九州初の訴訟を起こした。

今回は、そのふたりのストーリーだ。

「まっすぐで自然体で、仲良しのカップル」というのが最初のふたりの印象だった。撮影時、公園のベンチに腰かけたふたりは、おそろいのコンバースのシューズで和やかにしゃべっていた。薬指にきらりと指輪が光る。

にこにことほがらかに話すのが赤いコンバースのまさひろさん(32)で、落ち着いた口調で穏やかに話すのが紺のコンバースのこうすけさん(30)。

この日ふたりは衆議院の「院内集会」のために上京していたのだった。

談笑する、まさひろさん(左)とこうすけさん(右)

オープンにしていったまさひろさん、クローゼットだったこうすけさん

「小学校高学年くらいから、男性の方に目がいくというのはあった」と話を始めたのはまさひろさんだった。

「だから、自分は男性が好きなのかなという気持ちはあったけれど、当時はネットもなかったし、誰も教えてくれなかった」

「高校生になるころ携帯で見て、ああ、そういうのもあるんだ、と思った。それから少しずつ自分を受け入れていきました。まわりにはすぐには話せなかったけれど、大学生になってから携帯を通じてコミュニティが広がって、一部の親しい友人には少しずつ話すようになりました。職場では言っていなかったですが、母には24歳の時に話しました」

それに対してこうすけさんは、「私はずっとクローゼットでした」という。「クローゼット」とは、自身の性的指向やセクシュアリティを公表していない人のことだ。

「小学校低学年のころから男の子のほうがかっこいいなと思っていた。でも、ふと『かっこいいね』と言ったときに、『え、オカマなの?』とまわりにからかわれた。そのとき本能的に『これは言ったらだめなんだな』と思って、それ以来、ずっと仮面をかぶるようになりました」

「思春期にも、運動部で冗談で『ホモなの?』なんて言われても即リアクションができるように、いつも臨戦態勢で準備していた。興味のない女性タレントをかわいいと言ってみたりもした。それでも好きになるのは男性だった」

「8年間付き合った男性がいたのですが、彼もクローゼットで、8年のあいだずっとまわりに関係を偽って過ごしていました。そんな閉鎖的な関係だったので、二人の関係にうまくいかないことがあっても誰にも相談できず、結局別れてしまいました。カミングアウトできたのは母だけでした」

そんなこうすけさんは、まさひろさんに出会って変わっていく。

ふたりが出会ったときのこと

ふたりが出会ったのは2017年のこと。まさひろさんが手伝っていたお店で、共通の友人から、こうすけさんを紹介された。

出会った当初は、「相談相手になれる同じ性的指向の友人」だったふたりだが、「相談するうちに、この人と合うんじゃないかと思って」、付き合うようになった。

こうすけさんは、「まさひろさんと付き合い始めて衝撃だったのは、友人に自分のことを『彼氏』と紹介されたこと」という。「自分は今までずっとクローゼットで、付き合った人もクローゼットで、そんな風に紹介されたことがなかった。すごく嬉しかったけど、びっくりしました」

「そんな私に、まさひろさんの友人は普通に接してくれた。共通の友人もできてきて、隠さなくていいんだと思えるようになった。それから、ごく親しい人には少しずつ自分の性的指向をまわりに打ち明けるようになりました」

付き合い始めてすぐのお盆には、まさひろさんの実家に行った。「まさひろさんの親戚一同10人以上が集まっていて紹介されました。緊張したー…」と笑って教えてくれる。

「今までの人生で一番幸せだと思っていました」
ふたりは2018年6月に福岡市のパートナーシップ宣誓をする。

転機が訪れる

「そんな矢先、私の父がガンの宣告をされました」とこうすけさんは続ける。

「それでいよいよ長くないと分かったときにカミングアウトを決意した。昔の私だったら言わなかったかもしれない。でも、まさひろさんと出会って、性的指向で差別されないという経験をさせてもらって、自分という人間に自信が持てるようになった」

「今はまさひろさんというパートナーがいて幸せだよ、と父に話した。すでに声を出せなくなっていた父は、ぎゅっと手を握ってくれました」
こうすけさんのお父さんは、それからほどなくして亡くなった。

こうすけさんのお父さんの闘病や相続をきっかけに「自分たちの将来のこともすごく考えるようになった」とふたりは声を合わせる。

「お互いを守るために、家を買おう、生命保険や自動車保険に入ろう、と考え始めました」

ところがいざ手続をしようとするとたくさんの壁が立ちはだかった。家を買うにも結婚していないふたりは共同のローンを組めない。自動車保険も、配偶者特約の付いた保険に入ろうと30社当たって、同性カップルで入れると分かったのは2社だけだった。

「私たちはパートナーシップ宣誓もして、これで福岡市の認めてくれた『ふうふ』だと思っていたのに」と当時を振り返るのはまさひろさん。

「選択肢は少ないし、手続のたびに関係を説明するのもしんどかった。パートナーシップ制度だけでは足りないのだとそのとき痛感しました。結局、ローンは不動産業に勤める友人の協力で、保険は私たちのことを知っている共通の友人が署名をしてくれて、ある程度何とかなりましたが、私たちはラッキーだったから乗り越えられただけで、そうじゃない人の方が多いよねという気持ちが残りました」

パートナーシップ宣誓をしたカップルも、一方が福岡市から転居したら、転居先の自治体が相互協定を結んでいない限り、証明を返還しないといけない。そもそもパートナーシップ制度を持たない自治体のほうが多い。

「同性婚訴訟の全国一斉提訴を耳にしたのはちょうどそのころでした」

提訴まで

「他人事じゃないと思った」というこうすけさん。

「ちょうど、ローンや保険の手続きで悪戦苦闘していて、これをあたりまえにできないのはやっぱりおかしいと思っていたとき。私たちと同じ思いを将来の子たちもすることになるし、あきらめてしまう人もいるかもしれない。現実に困っている私たちが訴訟を起こすことで誰かが勇気づけられるなら、訴訟に参加したいという気持ちが大きくなっていきました」

「ただ、私はずっとクローゼットで、職場や友人にもカミングアウトしていなかったから、訴訟に出るべきか、顔を出すべきか、数カ月悩みました」

「でも、どれほど私たちが困っていても、声をあげないと制度にもならないと思った。私たち当事者がプライベートな部分を丁寧に伝えていくことで、声をあげるハードルや実態を変えるハードルが下がるといいよねと、ふたりで話していくうちに少しずつ決意が固まっていきました」

7月にふたりは婚姻届を提出し、不受理の見通しを受けて提訴に踏み切る。

「そのとき記者会見をしました。はじめて公にオープンにした瞬間でした。その夜は眠れなかった。でも、翌日職場に行くと、『がんばったね』『応援してるよ』『パートナーシップ宣誓制度は結婚とは違うんだね』と、たくさんの言葉をもらいました」とこうすけさん。

「社会って変わってきたんだと思うとともに、30年間ずっと隠していたのは何だったんだろうなという気持ちにもなりました。偽って人生を生きる労力を、もっと別なことに向けられればよかった」

「私は周りの理解があり、カミングアウトをしても、みんながひとつの個性として受け止めてくれました。でも、そもそもカミングアウトなんてしなくてもいいという世の中になればいいと思うんです」

ふたりの訴訟はまだ始まったばかりだ。

過渡期に思うこと

「訴訟を起こした後も、生活自体は変わらない」というのはまさひろさんだ。

「提訴後に両家の顔合わせをしました。私の家族もこうすけさんの家族もとても喜んでいました。でも同時に、法的関係がないことに心配もしています」

「結婚の制度が変わると、とまどいをおぼえる人もいるかもしれない。でも、私たちは特権がほしいんじゃない。今まで得られていなかったものがほしいだけなんです」

「つい最近、福岡のレインボープライドを手伝った。そこには本当にたくさんの人が来ていました。若い子も多いし、家族連れ、赤ちゃん連れもいる。男女のカップルもいる。同性どうしのカップルなんだろうなと思う人たちが何組も歩いていたりもして。マイノリティーって言われてるけど、めっちゃいっぱいいるやん!と思いました」

「そのときに、これ理想だな、と思ったんです。いろんな人がいて、誰に干渉するでもなく、みんなで同じ空間を共有している。毎日そうなれば一番いいのにって」

「私たち自身も、そこですごくいろんなことに気づいた。たとえば男性向けの30㎝のハイヒールが売っているのを見て、自分たちの知らない世界がいっぱいあると思った。ほんと、いろんな生き方がある。その中には選べないものもあって、でもどんな人でもそれは尊重されないといけない」

「LGBTの代表として訴訟に出ているという気持ちはないんです。私たちはゲイのことしか分からない。トランスジェンダーの人やレズビアンの人特有の問題もあるし、ひとりひとりかかえる悩みも違う」ふたりは声をそろえる。

「LGBTとひとくくりにされるけど、いろんな人がいて、いろんな意見があります。同性婚にも賛否両論ある。でも私たちが1カップルとして思うのは、ありのまま生きたいし、次の時代の子供たちにもありのまま生きてほしいということ」

「これは本当に、社会全体の問題なんだと思うんです」

バイアスに気づく

取材後に筆者と取材チームは、東京や福岡の飲み屋の話をしながらふたりを見送った。「まっすぐで自然体で仲良しのカップル」というふたりの印象は変わらなかったが、ふたりが同性カップルであることは、ふたりの人格の一部でしかないんだなと、そのときにふと思った。

筆者はもう緊張していなかった。そして、以前の取材でガチガチに緊張していたのは、「知らなかった」から、「知らないこと」「特別なこと」を聞きに行くと思っていたからだったと気づいた。

「社会の受容のしかたが違う」と線引きしていた自分の中のバイアスに、取材を通じて気づいたのだった。

「ふたりが一緒に過ごすことが、ふたりのあいだだけでなく、社会の中でもあたりまえになるのがいい」という1年前の考えは、それ自体はそうだと筆者は今でも思っている。

「あたりまえ」になることには意味がある。「カミングアウトなんて要らない世界」は、社会が目指すところそのものでもある。

でも、今はまだ「あたりまえ」になっていない時代で、日常の中で苦しんでいる人も、困っている人もいる。困っていると言うこともできない人もいる。その苦悩に無自覚にただ「あたりまえに扱う」ことで、彼ら彼女らの苦悩をないものにできるわけじゃない。

「あたりまえじゃない」時代を知る私たちはこれから、「あたりまえ」時代への過渡期を生きていく。バイアスも含めて自分の内側にある感覚に気づくこと、向き合うこと、それは自分の外側にある世界と向き合うことそのものなのかもしれない。

「これは本当に、この時代を生きる私たちすべての問題なのだ」。ふたりの言葉が耳に残る。

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/古平和弘(Kazuhiro Kodaira)
編集/杜多真衣(Mai Toda)