自分のアイデンティティに自信を持って、愛する人と生きていく

2020.4.28

同性婚訴訟と坂田麻智さん、テレサ・スティーガーさんのストーリー

「同性婚を認めないことは憲法違反です」
満席になった法廷で、原告側の弁護士が立ち上がる。

原告団は3列になって座っている。弁護士の落ち着いた声が、ぴりっと空気の張り詰めた法廷に広がり、静寂の中で傍聴人が耳を澄ますのが分かる。

「性的指向や性自認は、深く人格と結びつくものです」弁護士は続ける。

「同性婚を認めない規定は、性的指向や性自認という、人格に深くかかわり変更が困難な属性によって、人を差別し、権利を否定しています」
弁護士の言葉のむこうに、京都で暮らすふたりの姿が浮かぶ。

アメリカで結婚したふたり

京都の中心、黒い町家が並ぶ通りの一角に、細い間口の玄関がある。呼び鈴を押すと、しんと冷えた冬の風が通り抜けていく。

石畳のむこうでガラガラと引き戸の音がして、興奮した犬がワッフワッフと飛び出してきた。「ロージー!しずかに」と澄んだ声がする。ロージーという名の犬を追いかけて、迎えてくれたのは坂田麻智さんとテレサ・スティーガーさんふうふだった。

玄関を上がると、そこは梁の高い和風の家。「よく友達も飲みに来るんです」とふたりは笑い、古今東西のお酒が並ぶキッチンカウンターに、静謐であたたかい日常が見える。ダイニングテーブルのむこうには結婚式の写真が見えた。まぶしい青空にふたりのウェディングドレスが白く輝く、華やかな写真だった。

アメリカで同性婚が法制化された2015年、スティーガーさんの故郷であるアメリカのオレゴン州で、ふたりは結婚した。

結婚証明書には坂田さんとスティーガーさんの名前がある。坂田さんは「Party A(当事者A)」として、スティーガーさんは「Party B(当事者B)」として。日本の婚姻届に見られる「夫になる人」/「妻になる人」の欄はない。

「以前はアメリカでも、Bride, groom or spouse(新婦、新郎、配偶者)だったのが、変わった。性別欄も、Female(女性)/Male(男性)のどちらかにマルを付けるのではなく、自分で書くようになっています」とスティーガーさんがいう。紙切れの1枚に、日米の違いが際立つ。

婚姻と同時にふたりはオレゴンのポートランドを流れるウィラメット川沿いのホテルで結婚式を挙げた。

「結婚式をきっかけに、母にも自分のことをきちんと話せた」坂田さんはいう。「結婚式で、テレサの家族が私たちを当たり前に家族として迎えてくれて、祝福してくれている様子を見て、参列した母も安心したと思います」
ふたりが付き合い始めて7年後のことだった。

坂田さんが自分を受け入れるまで

坂田さんは愛媛県出身。高校までを愛媛で過ごし、卒業後に渡米してアメリカの大学で学んだ。大学卒業後は、就職を機に帰国し、以来、今に至るまで大手電機メーカーに勤めている。

「小学校高学年ごろから女の子が好きでしたが、性的指向に本当に気づいたのは高校2年生のころ」という坂田さんは、「まわりからあからさまな差別を受けることはなかったけれど、自分を受け入れることは難しかった」という。

「いつもどこかで自分に自信がなくて、負い目を感じていた。セクシュアルマイノリティであることをハンデのように思って、『ハンデ』を補えるくらい仕事を頑張らないと自分の存在価値はないと思っていました」という。

「テレサと付き合い始めてすこししたころ、仕事が激務で体調を崩し、休職していた時期がありました。それまで、LGBTが社会で認められていない中で、社会で認められるには仕事ができる人になるしかないと思っていたのに、その仕事で躓いてしまった。自分は仕事もできないうえにセクシュアルマイノリティで、ダメ人間なんだと思うようになって、よけいに落ち込んだ」

「負の連鎖でした。でもそんな私を、テレサはいつも隣で見守ってきてくれた。『麻智は麻智のままでいいんだよ』ってずっと肯定しつづけてくれたテレサの深い愛の中で、私は、『こうでなければいけない』という考え方に縛られていたのは自分自身だったと気づきました。そして徐々に、『自分を否定するのはやめて、どんな自分も受け入れよう』と思うようになりました」

「それにテレサは、完全にレズビアンである自分を受け入れている人。一番近くにいる人が、自分がレズビアンであることを恥じることなく、自信を持って生きている。これほど幸せで心強いことはありません」

「テレサは、レズビアンであることで自分を否定するようなことは、一回もなかったって言います」

スティーガーさんが自分と向き合ったとき

日本に住んで14年になるスティーガーさんは、「来日したときは男性と結婚していました。彼が日本で働きたいということだったので、私も仕事を見つけて一緒に来ました」という。

「その人とは来日後にうまくいかなくなって離婚したのですが、離婚するまで私は、自分の性的指向に気づいていなかった。自分のことをよくわかっていなかったんですよね」

「離婚が決まったとき、人生で初めて、すっごい独りだという感覚になったんです。そのとき初めて、ちゃんと自分と向き合いました。自分はどんな人なんだろう、自分がつながっていたいのは誰なんだろうって、考えた。考えた結果、自分が好きなのは女性だというところにたどり着きました」

「それが、すごくしっくり来たんです。『よかった!ようやく自分の正体が分かった!』って思った。だから男性との結婚がうまくいかなかったんだ、と」

スティーガーさんはそのときの「腹落ち」感覚を「すごく気持ちよかった」と振り返る。「同時に、ほんとかな?という疑問もあった。私はカトリック教徒で、それまで宗教的にも『異性と結婚して子供を作るのが幸せの道』と習ってきていたから」

「でも、性的指向はそんな簡単なものじゃないと、このとき気づいた。いろいろ調べたり、レズビアンのネット掲示板でアドバイスをもらったり、友人に相談したりしながら、受け入れていきました」

「そのあいだも、自分を否定することは、いっさいなかった。だって、何も悪いことしてないから。むしろ『私は自分が何者であるかを分かっている分、自信を持って生きることができる!』と思うようになった。そのときからずっと、職場にも友達にもオープンにしています」

それからしばらくして、ふたりは友達として出会い、「仲良くなるうちに、話もペースも価値観も合う、好きだなと思うようになった」と、ほどなくして付き合うようになり、一緒に暮らし始める。「付き合い始めたころから、麻智とずっと一緒にいたいと思っていた。

だから付き合って4年目にこの古い町家を見つけたとき、一緒に購入することを決めました。ふたりでアメリカに行くことも一瞬考えたのですが、日本の生活の方が合うと思って日本に住みつづけることを決め、家をリノベーションして住み始めました」

変化はあれど

ふたりがこの家で暮らし始めてから7年が経つ。

「7年のあいだに変化はいろいろあって、LGBTを取り巻く社会の動きや報道にも変化を感じます」と坂田さん。

「休職中に、村木真紀さんと『なんで会社生活しんどいんだろうね、何かできないかな』と話していたことがきっかけで、虹色ダイバーシティ(現在NPO法人)を一緒に立ち上げて、今も理事を務めています」

「当時、欧米では、企業の中でのルール作りがすでに始まっていました。LGBT社員を考慮した職場のルールや、配偶者としての福利厚生を作るといったものです。でも日本では、それを専門とする活動団体もなくて、外資系で取り組みを始めている会社はあっても、日本企業での取り組みはほとんどなかった」

「そこで、私たちが日本でもその分野を進めていこう、社会の理解を変えるために、まずは社会を構成する人たちが働く会社の中から変えていこうと考えました。そこで、まずはLGBTを知ってもらうことをメインに、企業相手の研修を始めました」

「今も企業や行政相手の研修やアンケート調査をやっていますが、企業や行政の取り組みについては、ここ2~3年で大きく変化してきたように感じます。パートナーシップ制度を導入する自治体も増えていますし、私が勤める会社でも2016年から、同性パートナーも配偶者と同等の福利厚生が受けられるようになりました」

「でも、企業や自治体での取り組みにも限界があります。会社が変わっても、社会の意識が変わっても、国レベルで同性カップルが法的に保障されなければ、日々の生活で不安が消えることはありません」

今でも不安がある

「去年やっと永住権がとれたのですが、それまではずっと就労ビザで日本に住んでいました」というのはスティーガーさん。

「ずっと不安でした。私たちはアメリカで法的に結婚しているのに、日本では配偶者ビザをもらえない。働けなくなったらすぐに追い出されてしまうし、就労ビザが出ても、次の更新で何年分もらえるかもわからない。不安定な状況が長くつづきました」

男女であれば、結婚すれば配偶者ビザをもらえる。永住権も3年経てば申請できるという。

「不安はそれだけじゃない。私は麻智の法定相続人ではないので、もし麻智が亡くなったら、一緒に購入したこの家は自動的に相続できない」

「結婚って、愛し合う二人の関係を、分かりやすく証明するものなのに。そんな証明がない状態が私たちです」

「私たちも男女のカップルと同じで、不安を少しでもなくして、ふたりで長く仲良く住んでいきたいんです」と、坂田さんが続ける。

「若いころは愛する人と一緒にいられたらそれでいいと思っていたけれど、歳をとるとだんだん社会の仕組みも分かってくる。男女だったら事実婚でも多くのことが保障されている」

「でも私たちは同性カップルというだけで、遺言をしておかなければ財産も相続できないし、遺言通り相続できたとしても、通常より多くの税金を支払わなければならない。それに病気やけがをしても付き添える保証もありません」

「家を買うとか一緒に暮らし始めるとか、男女カップルと同じようなライフイベントがあるのに、その都度、いちいち足かせがある。男女だと考えなくてもいいことを考えないといけないし、結婚できる権利もない。それはおかしい、国が認めてしまっている差別ではないかと思うんです」

ふたりの決意

同性婚制度がないことで、男女カップルと同性カップルのあいだに社会保障の格差ができているのは明らかだ。

「もう20年も前に、」と坂田さんは振り返る。「東京で原告になっている西川さんと、『20年経ったら日本でも結婚できるようになってるんじゃない?』と話をしていたことがあります。『20年経っても結婚できないようだったら、裁判だよね』って」

「漠然と、きっといつかできるようになるよねという気持ちがあった。だって、同性婚ができても誰も困らないし、むしろ幸せになる人が増えるだけと思っていたから。でも気づくと20年経っていて、あるとき、『ヤバい。このままだと死ぬまでに制度できないかも』と焦り始めた。」

「そろそろ動くときかもしれない、裁判を起こすにはどうしたらいいだろうと考えていたところで、友人の弁護士さんとこの訴訟の話になった。だから、訴訟の原告になることへのためらいは全くありませんでした」

「私も、たくさんの人達が声をあげることでアメリカの制度が変わっていくのを見ていたから、いつか日本で同性婚訴訟に参加できるならやりたいと思っていました」とスティーガーさん。

「アメリカでは、どんなテーマにも絶対、白か黒かの意見を持たないといけないという風潮があって、それはそれで分断も生まれやすいし、しんどく感じるときもある。一方で日本は、白か黒か、賛成か反対かという自分の意見をあまり表明しない。それは『どっちでもいい』と『よく知らない』の裏返しであり、無関心や知識のなさだとも感じます」スティーガーさんは日米の違いを指摘しながら続ける。

「アメリカから日本に来た私自身は、アメリカの『白か黒か主義』は好きではないけど、声をあげることにより、何かが進んでいくとは思う。日本では、意見が形成されないのでいろいろな動きが始まりにくい。同性婚の問題もそうで、誰も話したがらない。それでは何も変わらないと思ったのが、訴訟への参加を決めた理由です」

アメリカでも、動きが始まってから40年以上の時間をかけて制度ができた。そのあいだに世界各国はつぎつぎと同性婚を法制化し、G7の中で同性カップルに結婚の権利を保障していない国は今や、日本だけだ。

2005年にカナダ、2013年にフランス、2014年にイギリス、2015年にアメリカ、2017年にドイツの順で同性婚制度が成立し、イタリアには同性婚制度の代わりに、同性カップルに結婚同等の権利を認める制度がある。

同性愛者であることに悩まなくていい社会に

格差は社会保障の面だけではないと坂田さん。

「同性カップルが男女カップルと平等に扱われるようになることで、自分の存在を肯定できるようになる人はいっぱいいるはずなんです」

「人生って、ほかにも悩まないといけないことがいっぱいあるじゃないですか。恋愛や仕事のこと、家族や友人のこと、生活や老後のこと、あげていくときりがありません。性的指向の悩みを乗り越えた私たちだって、いろいろ悩みながら生きている」

「でも自分のセクシュアリティや性的指向に悩んで、ほかの悩みに行き着かない人もいるし、行き着く前に命を絶ってしまう人だっている。セクシュアルマイノリティであることで、未来を描けなくて、立ち止まってしまう。そんな社会は間違っているし、私たち世代で終わりにしないといけない」

「平等なスタートラインに立って初めて、未来を描けるようになる。同性が好きだからといって引け目を感じることなく、自分を殺して人一倍がんばらないといけないと思うこともなく、希望や夢を持って生きられる社会になってほしい」

「そういう社会は、当事者でない人にとってもプラスになります」とスティーガーさんが続ける。

「自分を否定することには意味がない。悩まなくていいことは、悩まなくていい。同性婚制度ができることで、愛し合っているふたりが誰でもわかりやすく、一緒にいることができる社会になる。それは、セクシュアリティや性的指向、ジェンダーのアイデンティティによって自分を否定することがなくなる、大きな一歩になるはずです」

このままにすることは差別を強化することになる

京都で坂田さん・スティーガーさんの話を聞いた翌日のこと。ところ変わって、東京地裁では「結婚の自由をすべての人に訴訟」(同性婚訴訟)の期日が開かれていた。

裁判は傍聴席の定員オーバーで、傍聴抽選券が配られることになった。原告団はじっと裁判官の反応を見守り、満席の法廷は固唾をのんで、「大きな一歩」への挑戦を見守っている。

「現行の法律は、同性カップルの婚姻の機会を永久にはく奪し、『同性の婚姻は尊重に値しない』というメッセージを社会に対して出しつづけ、差別を強化しつづけています」

弁護士は、原告たちの思春期の苦しみを法廷で代弁し始めた。

死にたかったという原告のこと、早く歳を取りたかったという原告のこと、自分を隠し、否定しながら生きていたという原告のことを。

「原告らは、育った場所も年代も家庭環境も異なるにもかかわらず、性的指向によって、思春期にみな一様に、将来を悲観し、差別感情を内面化する経験をしています」

「原告らの経験は社会の差別意識のためであり、その差別意識を生み出しているのは、法のあり方や存在自体です」

原告の何人かが、弁護士の言葉に頷く。坂田さんとスティーガーさんが暮らす町家の輪郭が、静寂の内に浮かび上がる。

その中には、坂田さんが「自分はセクシュアルマイノリティだからダメなんだ」と思っていた長い時間や、スティーガーさんが「自分は何者か」を分かった瞬間が含まれている。そしてふたりが出会い、自らのアイデンティティに自信を持ち、ともに生きるようになってもまだ、あの家はふたりのものではなく、制度は変わらないという事実が、行くあてもなく法廷を漂っている。

「私たちは乗り越えた、もう大丈夫だ」と言いながら、ふたりは今でも、自分たちの愛し合う関係が差別を受けていることを分かっている。

「憲法24条の趣旨は、個人の尊厳と、両性の平等です」弁護士は続ける。

「婚姻は、人が社会生活を営む権利・利益と結びつく重要なもの。同性間の婚姻を認めないことは、婚姻について同性カップルの自律的な決定を奪い、『個人の尊厳』を、深く毀損するものです」

「愛する人と結婚できること」は、人間の尊厳と深くむすびつく「基本的人権」である。同性婚の制度を通じて日本社会が「愛」を平等に扱うようになり、愛し合う全「ふうふ」の「人権」が守られるようにならない限り、ふたりの不安は完全には消えない。

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)