小説家、裁判傍聴へゆく!|山内マリコ
2024年6月12日は半袖一枚でちょうどいい気温だった。東京地方裁判所の前で、「わたしの体は母体じゃない」訴訟の第1回口頭弁論に向けて集まった人々のなかに、(明るめの洋服を着た!)私もいた。そこで原告の一人、佐藤玲奈さんからお話を聞いたところまでが前回。玲奈さんがネットで見つけて答えたという、「不妊手術を受けたいと思うか」についてのアンケートを作成したのが、この訴訟の発起人ともいえる、梶谷風音さんだった。
梶谷風音さんが「いつか妊娠する体」に違和感を抱いたのは、9歳頃だったという。そのくらいの年齢でちょうど、日本の学校では女子児童のみに向けて、生理の授業が行われる。「みなさんの体は将来、赤ちゃんを産むために準備をはじめます」と切り出されるアレだ。
まだ子どもの自分が「お母さんになるため」の準備をもうすぐ始める!? しかもその準備とは、毎月あそこから血が出ること!? その衝撃たるや……。あらたまった場で体の話をされることも、「お母さんになるため」という殺し文句のような言い方も、なんだか全部が恥ずかしかった。しーんとした体育館の、秘密めいた雰囲気。保健の先生が話すトーンや大人たちの態度から、私は生理がタブーめいたものだと察した。話を聞き終わった女子たちがみな、一様にシュンとしていたことも憶えている。
私の場合、あのときの「なんかやだな」という気持ちは、その後、実際に初潮がきて生理が毎月のものとなってから、鈍化していった。友達同士で血量を報告し合って、どろりとした経血を気持ち悪いと笑い飛ばしているうちに、本質的な違和感からは目が逸らされていった。世の中に同調したというか、同化したというか、知らず知らず受け入れていた。あのとき感じた「なんかやだな」は鮮明に憶えているものの、自分にとっては重大なものではなくなっていった。
自分にとっては大したことでなくても、ほかの誰かにとっては大きな苦しみだった、というケースは多い。とくに近年は、これまで看過されてきた少数派の「生きづらさ」にバシバシ名前がつけられている。ADHD(注意欠如・多動症)などの診断名から、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)といった気質を表す名称に至るまで、多種多様な「苦しみ」が解明され、ラベルが用意されるようになった。
他者に一方的に「ラベリング」するのはただの迷惑行為だが、自分という謎の解明に役立つラベルも多い。前回、佐藤玲奈さんは自らのセクシャリティにしっくりくるラベルをネットを通して見つけられたのは、幸運なことだったと語った。
けれどこの世には、まだまだ名前のついていない、ゆえに他者に理解されない「生きづらさ」はたくさん眠っている。「いつか妊娠する体」=妊孕(にんよう)性のある体に強烈な拒絶感を抱く女性たちも、おそらくその一つだろう。
2024年6月12日、東京地方裁判所803号法廷の証言台に立った梶谷風音さんは、意見陳述でこう述べている。
「性別違和がないにも関わらず、生殖能力があることに違和感や苦痛を感じる人について、まだあまり研究や解明がされておらず、私たちのような気持ちを持つ人を表す言葉はありません。」
9歳頃に違和感を覚えてから、風音さんの「なんか違う」という感覚は、鈍化するどころか、年を追うごとに確固たるものになっていった。第二次性徴期に心身と折り合いがつかないことは多いが、彼女は長い時間をかけてはっきりと、自分の違和感は「生殖能力」にあるのだと特定するに至ったという。
「これは私の生まれ持った価値観や性的指向の一部であって、変えられるものではないということです。 変えられない気持ちだからこそ、 少しでも自分の体に対する違和感や精神的苦痛を緩和して、 生きていきたいだけなのです。」
風音さんはやがて、英語圏のウェブ情報にアクセスして、同じ思いを抱えた女性たちが集まるコミュニティに加わるようになった。そこでは、自らの生殖能力を苦痛に思う女性たちが、当然のように「不妊手術」を選択肢として挙げ、自分の住むエリア近郊にいいお医者さんがいないか、具体的な情報交換を交わしていたという。
けれども、日本に暮らす日本人である風音さんにとってその手術は、容易に受けられるものではなかった。日本で同様の手術を受けようと望む女性たちの前には、「母体保護法」が立ちはだかっている。

***
母体保護法では「不妊手術」を原則禁止にしている。手術を許しているケースは、妊娠・分娩が生命に危険を及ぼす場合や、多産によって健康を損なう危険性のある場合などに限っている。当然、風音さんのような女性は該当しない。今現在、子どもを持たず、将来も持ちたくないと望み、「妊娠するかもしれない」体に強烈な違和感と拒絶感を持ち、その苦痛を解消するために、不妊手術を受けたいと望む女性たち。
不妊治療と不妊手術。混同してしまいそうになるけれど、目指すゴールは真逆である。前者は、赤ちゃんを授かりたくてする治療のこと。不妊治療をする女性たちの苦しみは、メディアを通して比較的、活発に語られてきた。その証拠に、少なくとも「子どもを授かるために不妊治療をする女性」と聞いて、「なんでそんなことするの!?」と驚く人はいないだろう。不妊治療は保険適用外のため大金がかかることが同情的に報道され、43歳未満の女性は保険適用になるなど、制度も前進している。
その一方で後者は、妊娠するかもしれない可能性自体に激しい苦痛を感じて、生殖能力を取り除きたいと望む女性。そういった女性がいることは、これまでまったく、私が知る限りただの一度も、語られてこなかった。なぜなら、それはタブー中のタブーだから。
日本では、女性はいつか母親になるもの、という固定観念が強い。近年は『母親になって後悔してる』(オルナ・ドーナト・著 /鹿田昌美・訳/新潮社)などの書籍が刊行されたことによって、母であることの苦しみは少しずつオープンにされるようになった。しかしほんの少し前までは、母と子についてネガティブに語るワードはいっさい口にできないような空気があった。子どもは可愛いもの、母親は無限の愛情をもって我が子に献身するもの……といったような。
最近ではそれらが、社会が女性たちに強いてきた理想像、社会が規定する「こうあるべき姿」「こうあってほしい姿」に過ぎないものだと看破する女性も増えた。少しずつ「母親」への認識も変わってきている。
それでもなお、女性は母親になるべき、それもいい母親になるべきという無言のプレッシャーは強い。私も30代の頃は、産むべきか、産まざるべきか……ずいぶん葛藤した。母親になりたいと思ったことも、なりたくないと思ったこともなかった。子どもを持つことについてこだわりが薄かった。不妊治療などもせず自然に生きていたら、そろそろ更年期という年代に入った。たぶん一生、母親にはならない。
もし自分が「母親幻想」を抱いていたら、原告らの主張を頭ごなしに否定して、「そんな人いるわけない!」とか言って、そっぽを向いたことだろう。そういう態度をとる人も、なかにはいると思う。
世の中にはいろんな人がいていいし、いろんな意見が飛び交っていい。ただ、たとえ自分は該当しないことでも、共感できなくても、感情移入できなくても、そこに苦痛があって、それを取り除く手段があるのなら、行使を許されるべきだ。ましてや同じ法律のもとで男性たちは、気軽に不妊手術を受けているのならば。
風音さんの意見陳述は、こんなふうに締めくくられた。
「私は日本では不妊手術が受けられず、やむを得ずに海外で手術を受けましたが、今後、私と同じように自分の体や生殖能力への違和感を持ちながら生きる人たちには、私と同じ困難を経験してほしくありません。これから私と同じ選択を望む女性の選択肢が阻害されることがないように、違憲判決を以って、『女性には自分の体のことを自分で決める権利がある』ということを社会や国に示してください。」

次回期日は、12月24日(水)13時40分から、東京地裁・第803号法廷にて。
この日が判決前最後の期日になる可能性が高いです。期日情報をチェックして、ぜひ傍聴に足を運んでみてください