小説家、裁判傍聴へゆく!|山内マリコ
1. 傍聴には明るい服で?
わたしが裁判の傍聴に興味を持ったのは、「傍聴にはできるだけ明るい服を着て行っています」という、ある人の言葉だった。明るい服? それ叱られませんか? 傍聴席に座っている人はもっと、地味な服装、悲痛な面持ちで、うつむき加減に座ってなきゃいけないんだと思っていた。しおらしくしていないと怒られる、くらいの認識だった。
きっとその暗いイメージは、映画やドラマを何気なく見ているうちに、いつの間にか植え付けられたものだろう。裁判は暗い。なにしろエンタメ作品に登場する裁判描写といえば、凶悪殺人事件のような刑事事件を扱う刑事裁判しか、基本的には登場しない。
裁判には、刑事裁判と民事裁判の2つの種類がある。刑事裁判で人が亡くなっているような場合なら、そりゃあ傍聴席にわざわざ明るい服では行かない。これは民事裁判の話である。しかも、国を相手取っての「公共訴訟」だ。
2. 公共訴訟?
わたしが公共訴訟という言葉を知ったのは2021年、CALL4が発信していた記事を読んだことだった。「へぇ〜こういうことやってる人たちがいるのか〜」とX(旧Twitter)のアカウントを何気なくフォローした。自己紹介文には〈社会課題の解決をめざす“公共訴訟”ウェブプラットフォーム〉とあった。
「公共訴訟」を説明するなら、こんな感じだろうか。個人的なトラブルの範疇を超えて、もはや社会的課題といえるような、「これに困ってる人、私のほかにもたくさんいるはず」という案件を、先陣きって国に問いかけ、現状を変えていこうという裁判。公共の利益、つまり公益目的の裁判のこと。
サイトを見るとケースごとに進捗がまとめられ、クラウドファンディング感覚で寄付できる仕組みになっていた。
CALL4の方と、先日立ち話する機会があった。その中でわたしのハートをぐぐっと掴んだのが、冒頭の「明るい服」発言なのである。
もしあなたが今日、裁判の傍聴に行くなら、なにを着ますか? これほど難しい質問もあるまい。ジャケットは必要? 色は白黒紺、せいぜいベージュまで? 意識しすぎるあまり、お通夜ルックに着地している自分が想像できる。しかし別に、格好に気を遣う必要はないのだ。
そもそも、傍聴に行く意味とは?
3. 傍聴席を埋めよ!
朝ドラ『虎に翼』にこんな回があった。主人公の寅子ら、明律大学で法律を学ぶ女子部の生徒一同が、とある裁判の傍聴席をずらりと埋め尽くす。暴力をふるわれた妻が夫に、嫁入り道具などの物品の返還を求めた裁判だった。しかし当時の民法からすると、妻が勝訴する可能性はゼロに等しく、寅子たちはみな敗訴を覚悟して臨んでいたのだ。ところが!
色とりどりの着物姿の若い女学生が、傍聴席をぎっしり埋め尽くすさまを見るなり、裁判官はおやっという顔をする。そして最終弁論を聞いたあと、しばしの休廷を言い渡し、戻ってくるや意表を突いて、妻の勝訴と判決をくだすのだ。その主旨は驚くほどクレバーで理にかなっていた。いわく、「(夫が妻の物品を返却しないことは)法に規定されている権利の濫用と言わねばならず、夫としての管理ばかり主張するのは、明らかに妻を苦しめる目的をもってのことにほかならない」。法律に書かれた文言に縛られるだけではない、その意味を能動的に解釈した名判決だった。
これはわたしの勝手な深読みだが、おそらくあの裁判官は当初、妻への同情心はあるものの、明治民法が定めるまま「敗訴」の判決に心が傾いていたに違いない。通常運転なら間違いなく敗訴となることは、寅子たちがどれだけ頭をひねっても勝訴のロジックをひねり出せなかったことからも明らかだ。
ところが、判決を言い渡す段になって突然、傍聴席が女子学生で埋め尽くされている。彼女たちが内心、妻側を応援しているのは明らかだ。その光景、傍聴席から立ち昇る静かな熱気によって、裁判官の中にくすぶっていた妻への同情心がむくむくと大きくなり、休廷のあいだに頭をひねって納得のいく判決理由を考えたのだ、きっと。
判決を聞いた担当教官である穂高先生は、「人間の権利は法で定められているが、それを濫用、悪用することがあってはならない。新しい視点に立った見事な判決だったね」と女子学生たちに語る。そしてこう締めくくるのだ。「こういった小さな積み重ねが、ゆくゆくは世の中を変えていくんじゃないかね」
そう考えると公共訴訟の場合、傍聴席はもっとダイレクトに、応援席の意味合いを持つのかもしれない。裁判官は法律をどう解釈して判決を導き出すか、その判断材料として「世論の動き」を見るという。どれだけ世間に注目されているか、どれだけの人が傍聴席に応援に来ているかは、判決をくだす側にとって、とても重要なのだ。
おそらくそんなわけで、CALL4の方は「傍聴には明るい服で」と言われたのだった。傍聴席はもっとオープンな場になったほうがいいし、わたしたちはもっとカジュアルな気持ちで行っていい。花柄のワンピースで行っていいのだ。
という話の流れで、それなら一度、傍聴に行ってみるのもいいかもなぁと思った。その気持ちが顔に出ていたのか、裁判傍聴のお誘いをいただいた。場所は東京地方裁判所。〈「わたしの体は母体じゃない」訴訟〉第一回期日。
ケースにつけられた名前から、リプロダクティブ・ヘルス/ライツに関わる裁判であることはなんとなくわかった。