2024.10.25

小説家、裁判傍聴へゆく!|山内マリコ

Vol.2 リプロダクティブ・ヘルス/ライツ?
小説家、裁判傍聴へゆく!|山内マリコ Vol.2 リプロダクティブ・ヘルス/ライツ?

リプロダクティブ・ヘルス/ライツ?

 「リプロダクティブ・ヘルス/ライツ」は一般に、「性と生殖に関する健康と権利」と訳される。定義をウェブ検索すると、上位にヒットしたのは自治体のホームページが多かった。なかでもわかりやすかったので、宮崎県日向市のページから下記に引用させてもらった。

◯リプロダクティブ・ヘルス
性や子どもを産むことに関わる全てにおいて、身体的にも精神的にも社会的にも本人の意思が尊重され、自分らしく生きられること。

◯リプロダクティブ・ライツ
自分の身体に関することを自分自身で選択し、決められる権利のこと。

 とくに性別を問わない〈みんなの権利〉だが、主に女性の「性と生殖」を語られる際に聞く言葉だ。ここでいう女性とは、国語辞典に載っている定義そのままに、「人間の性別の一つで、子を産みうる身体の構造になっている方」としての女性だ。女と男を二元論的に区別するとき、最も先にくる要素が「子を産みうる身体構造」というのは興味深い。生殖の可能性のあるセックスをしたとき、妊娠するのが女で、その逆はない。ちなみに国語辞典で「男」を引くと、「人間の性別の一つで、女でない方」とあった。これもすごいな。女と男、そのすべてを股にかけて、堂々と君臨しているのが、「子を産む」という一点なのだ。

 しかし皮肉なことに、それゆえ、女性はひどく差別されている。某政治家の発言によって後世に残っているが、一部の男性たちは本当に本気で、女性を「産む機械」だと捉えている。女の体を自分の所有物のようにみなし、好き勝手していいと思い込んでいる。イモータン・ジョー(映画『マッドマックス~怒りのデス・ロード~』の悪役)みたいな男性は、実際に世の中に大勢いるということ。だからこそ女性の人権を守るため、その肝となる性と生殖に関わる、リプロダクティブ・ヘルス/ライツという概念が生まれたわけだ。

 ここからはリプロと略すが、とはいえその概念がどこまで知られているかは非常に怪しい。令和の今なら保健体育でぜひ教えておいてほしいところだが、なにしろ難しい言葉だ。それに、女性の権利の主張は、一様に敬遠するのが“日本”というものなのだ、残念ながら。

 リプロの概念が生まれたのは1994年のことで、当時は日本でもこの考え方を広めて、世界の流れに乗ろうという動きがあった。けれど2000年代に右派によるバックラッシュで徹底的に潰されてしまう。結果この20年で、日本のリプロの状況はひどく遅れてしまった。

 けれどそのことは、日本にいる限り気づかない。

 わたしが「あっ!」と思った一例を挙げると、たとえば2021年公開のアメリカ映画『Swallow スワロウ』。望まない妊娠をした主人公が、ショッピングモールのフードコートでポテトをむしゃむしゃ食べている。食後になにかの薬を飲む。その後、トイレに行き排泄する。便器の中がちらっと映る。血で真っ赤に染まっている。トイレから出た主人公は、晴れ晴れとした顔をしている。おしまい。

 この場面を観て、いったいどれだけの日本人が、緊急避妊薬のことだとわかるだろう。

 緊急避妊薬は、アフターピルとも呼ばれる経口薬(飲み薬)のこと。セックスのあと、「妊娠したかも」とパニックになった経験のある女性は多いだろう。相手がコンドームをつけずに性交した場合や、避妊に失敗したかもしれないと気づいた場合。まだ子どもは欲しくないのに妊娠したかもしれないという状況は、女性にとって恐怖以外のなにものでもない。なにも打つ手がなく、次の生理がくるまでひたすら悶々とするしかない。生理が遅れている、妊娠したかも……と不安に駆られたまま、時折りお腹を殴ってみる。そうやって絶望的な気持ちで何日もやり過ごし、無事に生理がきて、「やったー!」と心から安堵する。女性の「あるある」だ。

 ところが「打つ手」はあったのだ。日本では認められていないだけで。日本でだけ、認められていないと言ったほうが正しい。

 妊娠の可能性のある性交をしたあと、72時間もしくは120時間以内に服用すれば、排卵を遅らせる作用などによって受精を妨げることができる、それが緊急避妊薬だ。世界90カ国以上で、普通に薬局の棚に並んでいて、誰でも買うことができる。金額も安い。処方箋の必要もない。つまり、わざわざ病院に行って医師の診療を受けなくても、頭痛薬や風邪薬と同じように誰でも買える。国によっては公的機関が無償提供していたりもするそうだ。そのくらい、ごくごく一般的な薬である。

 それが、日本ではいまだに自由に買えない。世界で初めてフランスで1999年に承認され、各国もそれに続いた。しかし日本では前述の通りバックラッシュで阻止されつづけ、2011年にようやく承認されたものの、いまだに市販薬化にはいたっていない。

 厚生労働省のホームページに令和6年6月10日、つまりついこの間、「緊急避妊にかかる対面診療が可能な産婦人科医療機関等の一覧」が都道府県別にPDFで公開されていた。PDFを開くと病院名がずらり。緊急避妊薬がほしい人は、この一覧を見てお近くの病院へ行き診療してもらってくださいということ。これはだいぶ厳しいぞ……。だって、レイプやデートレイプされ、妊娠したかもしれないとパニック状態で怯えている10代の女の子に、厚生労働省のホームページに行ってPDFを開けというのは、いくらなんでも酷というものだ。正気じゃない。そもそも、緊急避妊薬の存在を知らない女性も多いだろう。

 なぜこんな状況なのか。

 それは、日本では女性の体を、「母体」としてしか見ていないからだ。10歳そこそこの小学生の女の子に、「あなたたちの体はいずれ赤ちゃんを産む体だから」という切り口で性教育する国だから。耳にタコができているそのフレーズは、とどのつまり、「あなたの体は赤ちゃんを産む体であって、それゆえに大事にしなくちゃいけないものであり、あなたが好き勝手にしていいものではありません」ということを意味している。自分の体が自分のものではなく、生殖機能ゆえに重要視されているというメッセージのグロテスクさに勘づいて、違和感を抱いたり、傷つく女子は多い。

 また、日本では中絶手術を受ける際、相手の同意が必要となる。つまり、「男」の同意なしには中絶できないという建前がまかり通っている。

 そういった一つ一つが、「あなたの体は【母体】であって、あなたのものではない」という国の本音を、言ってしまっているのだ。「産めよ殖やせよ」と国民に指図していた戦時中の感覚となにも変わらない。おかしい。けどそのおかしさも、日本にいて日本で手に入る情報だけ見ていると、やはり気づかない。

 それでは、〈「わたしの体は母体じゃない」訴訟〉とはどういうものだろう? 

▲原告と弁護団が入廷する様子を見守る

Vol.3につづく(2024年11月下旬公開予定)

文:山内マリコ
撮影:鮫島亜希子