2020.4.2

「I’m dying!」の声が響く収容所で彼はなぜ放置されたか

CALL4公開記念イベントレポート⑶

2020年1月25日、CALL4リリース記念イベント『公共訴訟を社会にひらくーそれぞれのストーリー、それぞれのたたかい』が、会場いっぱいの参加者を迎えて、原宿「ギャラクシー銀河系」で行われました。

イベントレポート第3回は、「カメルーン人男性死亡事件国賠訴」を担当する弁護士の児玉晃一さんと、多くの難民訴訟や入管関連訴訟を支援している認定NPO法人 難民支援協会(JAR)代表の石川えりさんがイベントで力強く語った様子をレポート。

日本の入国管理局で現実に起きているストーリー、そして海外からの入国者や難民の人間としての尊厳を守るための、たたかいのお話です。

日本の入管は1000人以上を収監している

児玉晃一(以下、児玉):
私は入国管理局(入管)案件にこの20年ほど携わっていますが、今日は時間も限られているので、「カメルーン人男性の強制収監での死亡事件」に限ってお話をしたいと思います。なお、この事件はCALL4のクラウドファンディングを利用していて、現在100万円ほどのご寄付をいただいて、本当に助かっています。ありがとうございます。

弁護士 児玉晃一さん

まず、入管についてあまりご存知でない方もいらっしゃると思うので、ごく簡単にご説明したいと思います。日本の在留資格がない人、不法滞在、不法入国の人など退去強制の理由がある人(難民申請中の方も含まれる)が収容される入管施設は、全国に17カ所あります。
茨城県の牛久市に700人収容、長崎県大村市に800人収容の大きな入国管理センターがあり、他に東京の品川、横浜、大阪に比較的大きな収容所があります。全国で合計4000人ほどが定員です。

最近、非常に問題になっているのは長期収容です。入国管理局が昨年発表した資料では、2019年6月末までで1253人、そのうち半年以上の長期収容者が672人、中には3年以上収容されている方もいます。一方、韓国のデータです。韓国は90日未満の収監が9割弱。あくまで強制送還のための収監を念頭に置いています。このように本来、収容は一時的措置です。しかし、日本は「全件収容主義」といって、その人の在留理由や逃亡の可能性の有無を考慮せず、鉄格子の嵌る部屋に複数人を収容して、一切の情報を遮断しています。

そして、この入管の収容施設の中で、毎年のように死亡事件が起きているんです。2013年には、ミャンマーで迫害を受けているロヒンギャ男性、2014年には牛久でイラン人男性、翌日にカメルーン人男性が続けて亡くなっています。その後も、スリランカ人男性、ベトナム人男性、そして2018年には牛久でインド人男性が自殺。最近では、昨年6月24日、大村の収監施設でナイジェリア人男性が死亡したのですが、10月1日の法務省発表によると、「餓死」でした。この21世紀の日本の公共施設の中で、捕らえられた方が餓死したというのは、僕自身、大変にショックを受けました。

「水がほしい」と転げ回り、亡くなっていった

では、本題の「カメルーン人男性死亡事件」をお話しします。彼が亡くなるまでの様子を時系列でお伝えしますと、2014年3月30日、夜の19時ごろから呻き声を上げ始めます。しかし、職員が放置。そして悲痛な叫び声の後、朝7時ごろ死亡が確認されています。映像をお見せしたいと思います。

映像:
I’m dying!I’m dying!(ベッドから落ちて床を転げ回りながら)

児玉:
死にそうだ、と言っているのだと思います。

映像:
みーずー、みーずー(叫び声)

児玉:
「水」と言っているのだと思います。水を飲みたいと言っているのです。

映像:
(沈黙)

児玉:
裁判に提出したビデオは1時間でしたが、うち3分ほどをご覧いただきました。僕は最初にこれを観た時、辛くて最後まで観られなかった。なぜこの状態で放っておくのかと、みなさんお思いになると思います。

当時、彼は病状が悪いため、入管の担当職員が彼を単独でカメラで監視できる部屋に収容していました。
僕は裁判で出てきた入管の記録を確認しましたが、大声で最初に叫んでいたのが、19時14分です。その看守日誌に書かれた言葉は、「異常なし」。ベッドから落ちる。この時だけ「異常あり」になって、「車椅子から床に寝る」「毛布を敷き横になる」「毛布を敷いてあげる」とあります。
その後は床を転げ回ったため、毛布も掛けずに横向きでハーフパンツ一枚の姿ですが、ずっと異常は「なし」。そして、朝7時に呼吸をしていないことが発見され、死亡が確認されました。その間、救急車が呼ばれることはなく、途中でベッドに乗せて水を飲ませてはいますが、お医者さんも診ていません。

映像を観てから、僕はなぜ救急車を呼ばなかったのか、ずっと不思議でしょうがなかった。ですが、どうも国家公務員である入管職員はビデオを観ていなかったようです。あのビデオを実際に観ていたのは、入管が業務委託している警備会社のガードマン。マルチモニターで音声はおそらくない状態。先ほどの看守日誌も、その警備員の民間人が付けていたんです。だから、「パンツ一丁でゴロゴロして寝相の悪い人だな」程度に思われていた。本当にとんでもない話です。

2017年の秋に、遺族である彼の母が、国とセンター長に対して、国賠訴訟を提訴しました。今も水戸の地方裁判所で闘っています。今回の話で少しでも関心を持ってくださった方は、どうかご支援のご協力をお願いします。

入管収容者の6割近くが、難民申請者

認定NPO法人 難民支援協会(JAR)代表の石川えりさん

石川えり:
難民支援協会で代表理事をしています、石川えりと申します。私たち難民支援協会は、日本に逃れてきた人たちを支援している団体で、昨年で20周年を迎えました。これまでに70カ国以上、6000人以上の方を支援しています。
今、児玉先生がご説明くださった入管収容は、私たちにとっても、本当に大きな課題です。なぜなら、収容者の6割近くが難民申請中、もしくは過去に難民申請をしていた方だからです。実は先ほどのお話のカメルーン人男性も、そうでした。

そして今日、私がご紹介するのは、こちらのブルクタウィットさんです。

彼女は2007年に、エチオピアから成田空港に到着しました。そして、空港で即収容されます。その後、難民申請は提出できたのですが、収容はされたまま。1年後、仮放免で外に出られましたが、半年後、申請の結果を聞きに行くと、難民は不認定。そして、「そのまま国に帰りなさい」と再収容され、飛行機で無理やり送還されそうになります。そのときは弁護士さんがすぐに介入し、難民の再申請をして、なんとか送還を食い止めることができました。

彼女は二度の収容を経て、訴訟をして、3年掛けてようやく難民認定をされました。その間は、精神科の受診が欠かせなかったといいます。今は日本国籍を取得してお子さんと暮らしていて、「今が一番幸せ」と言われます。

このように、裁判までしてようやく難民認定される方がたくさんいらっしゃいます。また、残念ながら認められない方もいらっしゃいます。彼らが少なくとも、裁判で難民性を争うことができる社会に変わっていくには、みなさんの応援や後押しがどうしても必要です。
また、裁判で難民申請中の方は日本で働くこともできませんし、生活支援も受けることも限定的です。基本的には仮放免、もしくは収容される中で裁判を続けなければならない。本人への金銭的な支援も必要になります。

今、収容されている女性の話をさせてください。彼女は母であり、配偶者と息子さんと月1回、面会しています。月1回だけ、壁のない場所で会えるのだそうです。息子さんにはハグができる。けれど、夫にはできない。月1回、ようやく愛する人と会えても、触れることさえできない。

そんな風に、自由や、愛や、尊厳が、今も制限されている人たちがいる。それは、今日のイベントでのお話全てに共通した問題だと思います。そういう人たちに対して、無関心にならないこと。私たち一人ひとりが気持ちを示して、輪になっていくこと。そこから社会は変わっていく、私はそう信じています。

取材・文・編集/丸山央里絵(CALL4)
写真/神宮巨樹