誰かの自由を奪うことに、私たちは議論を尽くしているか

2021.5.1

「コロナ禍、日本社会の理不尽を問う」訴訟をめぐるストーリー

「長年のご愛顧ありがとうございました」と告げるシャッターの張り紙。新しい学び舎に期待を膨らませていた入学式の中止……私たちの生活から突如として当たり前が失われた。ある人の人生にとってかけがえのないもの、あったはずの時間、それらは二度と返ってこない。

命と医療を守ることの大切さを疑う余地はない。ただ一斉休校、一律の短縮営業、あらゆるコロナ対策もまた、誰かへの大きな痛みを伴う。

今回の記事で取り上げるのは、今年3月に提訴され、「コロナ禍、日本社会の理不尽を問う」と名付けられた訴訟だ。東京都による飲食店への一律時短命令は違法であり、憲法上の「営業の自由」の侵害ではないのかを問う。

この訴訟に、日本の裁判クラウドファンディング史上最高額の寄付が集まった。現時点でサポーターは3千人、寄付額は2千万円を超えて、今なお増え続けている。

本訴訟はなぜ、ここまで多くの支持を集めているのか。そして私たちの暮らす日本社会に、何を問いかけているのだろうか。

▲代官山「ブラッスリー タブローズ」パティオにて

筋の通らないものに声を上げる

2021年3月22日、2度目の緊急事態宣言解除の翌日—「カフェ・ラ・ボエム」「権八」などのレストランを多角経営するグローバルダイニング社(以下、GD社)は、東京地裁に提訴した。

東京都による夜8時以降の営業制限命令に従ったことによる損害賠償を都に求める訴訟だ。しかし、その請求額はわずかに104円(対象26店舗×1日1円×4日間)。提訴のニュースは瞬時に日本を駆け巡った。

都に多額の賠償金を求めて勝訴した場合、税金を受け取ることになる。それは本意でなかったし、もともと1社だけで裁判の原告になることへの躊躇(ためら)いもあった、とGD社の長谷川耕造社長は語る。

「人間って理不尽なもんじゃないですか。世の中、何が起きるかも分からない。それに文句言ったって埒(らち)があかないわけで。」

さらりとそう話す顔つきは、リーマンショックや震災など幾度もの修羅場を越えてきた老練の経営者のそれだった。

ただ、「筋が通らないことは、筋を通して行くべきかなと思った。」

そして、こう言葉を継いだ。

「基本的には僕ら商売やっていて、お客様と社員の支持がなければ存在できないわけですよ。それを維持していこうというのは、どんな経営者でも思ってる。」

「きれいごとで言ってるわけじゃなくて、それを理屈が通らないことで、これだけの人を、金銭的にも人権的にも蹂躙(じゅうりん)する意味がどこにあるんだ。」

都は時短命令の発出前に、飲食店9万軒以上を目視。うち約2,000軒で夜8時以降の営業を確認している。しかし、個別要請や命令を受けたのは27店舗、そのうち26店舗がGD社だった。その理由が「強い発信」というのは道理が通らないでしょう、長谷川社長は訴える。

▲株式会社グローバルダイニング 代表取締役社長 長谷川耕造氏

訴訟はなぜ生まれたか

ではGD社はなぜ都を提訴するに至ったのか。時系列で簡単にお伝えしたい。

2020年1月初旬、国内初の新型コロナウイルス感染症感染者が確認され、翌月にダイヤモンド・プリンセス号のパンデミックが発生。恐怖は一気に社会に広がり、政府は火急の対応を迫られた。

3月、「新型インフルエンザ等対策特別措置法の一部を改正する法律」(以下、特措法)が成立。4月7日から5月25日まで、第1回緊急事態の宣言。感染は一度は落ち着くも、しかし冬の訪れとともに再び拡大する。

年が明けて2021年1月7日、2度目の緊急事態宣言を菅総理大臣が発出。同時に特措法や告示の改正により、制限要請対象に飲食店が追加。もともとあった「1,000平方メートルを超える床面積」という施設の要件が外れる。

▲「タブローズ ラウンジ」

同日、東京都知事は会見を行い、不要不急の外出を特に夜間は控えるよう都民に呼びかける。そして飲食店など特定業種に対して、夜8時までの時短の協力を要請。

GD社は、同日、都の協力要請には応じない旨を、コーポレートサイトに掲載。

2月3日、特措法改正。都道府県知事による措置命令の発出が可能になる。

2月19日、都からGD社へ、特措法第24条第9項に基づく時短営業の個別要請。

2月26日、都からGD社へ、特措法第45条第2項に基づく時短営業の個別要請。

3月11日、時短営業命令の事前通知を受けたGD社は、東京都に弁明書を提出、インターネットで公開。

3月18日、東京都知事はその内容を認めず、「措置に応じない旨を強く発信するなど、他の飲食店の20時以降の営業継続を誘発するおそれがある」として、措置命令を発出。

GD社は命令に従い、緊急事態宣言解除までの4日間を時短営業する。

3月22日、GD社、東京地裁に提訴。

▲提訴後の会見の様子(撮影:二見元気)

営業の自由と公衆衛生

原告側が訴状で第一に主張しているのは、憲法が保障する、「営業の自由」の侵害だ。飲食店への一律時短制限自体、営業の自由の侵害として許されないのではないのか。

感染症の場合、公衆衛生を保つ措置は、社会を構成する集団全体に対して行わなければ目的を達成できない側面がある。例えばポリオや結核などの感染症の予防接種は全員が接種しなければ意味を成さない。だからこそ予防接種の場合、不幸にも副作用が出たごく一部の人、言うなれば集団の犠牲になった個には、国は十分な補償をする責任を負う。

今回、都は飲食店に1店舗1日あたり一律6万円の協力金を提示した。しかし、その額は都心の大規模店舗ではほぼ意味を成さない。時短営業要請は、GD社にとって、企業の存続さえ危うくなるものだった。

世界の国々では、飲食店の営業制限は売上に応じた補償とセットであることが多い。例えばフランスでは、売上70%以上減の飲食店に対し、月額20万ユーロ(約2,500万円)を上限に、2019年度の売上の20%を給付。ドイツでは前年同月の売上最大75%を支給、固定費の最大90%を支援している。

なぜ日本では“制限への補償”ではなく、“自粛への協力金”という形になったのか。私のその問いに応じてくれたのは、弁護団長を務める倉持麟太郎弁護士だ。

▲弁護士法人Next 代表弁護士 倉持麟太郎氏

協力金と損失補償の違い

「協力金であれば、いわば施しとして、政府に大きな裁量がある。申請がなければ出さなくてよいし、金額も自由に決められる。事業者はそれを呑まざるを得ない。」

自粛という同調圧力、上から与えられる協力金。日本社会の持つ本質的な問題が、ここに顕在化している。

「まず、今回の要請や命令が違憲・違法かどうかとは別次元で、法律制定の際に補償をどう規定するかの観点で話をします。」

「憲法では損失補償の権利が認められています。この規定の具体化として、例えば土地を収用された人は補償されると法律に書かれているわけです。」

憲法第29条は、私たちの財産権を保障した上で「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」と規定している。それを受けて例えば「土地収用法」では、公共の利益増進と私有財産の調整を図るため、公益事業が私有地を収容する際に必要な手続きと損失補償の規定を定めている。

「それを本来コロナ特措法をつくるときに入れてほしかったんです。」

しかし、コロナ特措法には補償に関する規定はない。要請や命令に応じた事業者の支援を「効果的に講ずる」だけだ。私権制限を強めたコロナ特措法の改正は、実質4日間の質疑でスピード成立した。

「国会で全く議論がされなかった。そのことが一番の罪だと思っています。」

そう静かに語る倉持弁護士の言葉には、怒りが滲んでいた。

国民の代表による十分な議論を経ないままに、このような重大な法案を成立させて良いのか。市民の権利、科学的議論、民主主義による合意、それらはどこに行ったのか、と。

さらに倉持弁護士は、本訴で補償ではなく国家賠償を求めている意味を教えてくれた。

「補償を求めるのは国家の行為が予防接種の場合のように適法・合憲ではあるが一部の人が特別の犠牲を払ったような場合です。科学的な議論に基づき、時短要請などの法制度が合憲になる場合もあるかもしれない。その場合でも損失補償が必要だという議論です。」

「ただ、今回の訴訟ではそもそも一律の時短要請や命令は違法・違憲だと僕らは立論しています。この点で補償の問題とは全く事案を異にしています。」

「損失補償を論じる局面ではないんです。憲法に違反する命令ですから。」

ふたりの邂逅(かいこう)

「もうこれは訴訟しかない。」

第1回の緊急事態宣言の時から議論の不在に強い違和感を持ち、メディアを含めた様々なチャネルで意見を発信していた倉持弁護士。「国会でもマスコミでも科学的な議論が行われないのなら、司法の場でやるしかない」、そう思っていたと話す。

「うまく工夫すれば、蟻の一穴じゃないですけど、風穴を開けられるような訴訟の仕方をできるんじゃないかと思ったんです。」

そして仲介者を通じて3月上旬、倉持弁護士と長谷川社長は出会った。倉持弁護士は弁護を引き受けたいこと、CALL4で訴訟費用を集めることなどを提案して、原告になってほしいと長谷川社長を説得した。

訴訟をすると決まったのは、3月18日。弁護団は提訴までの4日間で、一気に訴状を書きあげた。

また提訴と同時に弁護団は、「コロナ禍でしわ寄せを受けている人、違和感を感じたすべての人が原告です」と、クラウドファンディングを呼び掛けた。瞬く間に熱意あるサポーターが大勢集った。

長谷川社長はなぜ、原告になることを決断したのだろう。「みんなのために立ち上がったのですか?」私が訊くと、社長からはこう答えが返ってきた。

「僕はそんな天使じゃありません。」

「支援してくださる形がもうあって、ここで乗らないと、死ぬときに絶対後悔して死んじゃうな、と思ったんです。もうそれだけです。」

科学的根拠を示す

注目の訴訟の第1回期日は、5月21日に決まった。しかし行政相手の訴訟の多くは最高裁まで進み、終結まで5〜10年かかると言われる。長い裁判の幕は、今上がったばかりだ。

「徹底的にやるしかないですよね。でも地裁の判断は大事です。」

そう話す倉持弁護士は、本訴訟のポイントを大きく2つ挙げてくれた。

1.東京都は命令の科学的根拠や基準を、答弁書や準備書面でどう説明するか。憲法訴訟の立証の分担のルールとして、都には司法の場で説明責任が課せられる。

2.憲法が「生きる法」として現に機能していて、政府の恣意的な権力の行使を制限し、国民の権利を守れるか。西洋から輸入した民主主義や立憲主義が、日本に本当に根付いているかを問いたい。

長く険しい闘いになるだろう裁判、しかし希望はある。予想した数を遥かに超えて集まり続けるサポーターたちだ。

▲CALL4に集まるサポーターの声

サポーターからの寄付金の主な用途を尋ねた。

「やっぱり専門家の意見書です。」

憲法学者、行政法学者、感染症の専門家や医師、厚労行政や経済の専門家、コロナ特措法自体の違憲性を問うには、児童心理学者もあり得ますね、と倉持弁護士はスラスラと挙げた。

特措法や政策の妥当性を検証するのに必要な意見書や鑑定書は、「10本でも、20本でも出したい」という。意見書への謝礼は1本100万円になることもあるので、それだけでも現在の寄付金を使い切る勢いだ。

この裁判に専門知を結集させる。もちろん資金に応じて、その量や選択肢はさらに増える。

民主的に議論する

「きつくなればなるほど面白くなりますよ。」

そう溌剌(はつらつ)と話す長谷川社長が飲食店経営を始めたのは、大学中退後にバックパッカーで欧州を巡って帰国した23歳のときだった。「商売するっていっても何のノウハウもないし。小さな喫茶店を始めたんですが、選んだというか、やれることを始めたんです。」

それから50年弱、経営者として生きてきた。

「40過ぎてからかな、商売が少しずつ分かってきた。」そう話す社長にとっての経営の醍醐味は、多くの魅力ある人が効率的に集まる環境作りだ。

「人に喜んでもらうには、最終的には民主主義しかないんです。」

だから徹底した情報公開をすると同時に、物事を進めるには公開討論をもとにして、絶対に密室では物事を決めない。

「日本の経営者で、隠し事がないコンテストがあったら、俺、1位獲れると思う。」と笑う社長は、茶目っ気ある笑顔の持ち主でもある。

GD経営4原則には、「1.言いたいことを言う権利」「2.徹底した情報公開」「3.必ず公開討論」「4.決定プロセスに参加させる」とある。今回の時短要請に従わないことも、従業員と何度も話し合った上で決めた。

民主主義を経営の第一に掲げるGD社。一方、今のこの国はどうだろう。主権者の国民の声は軽視されてはいないか。

痛みを感じるすべての人に

裁判へかける期待、日本の社会が良い方向へ変わることへの願い……日々、サポーターから舞いこむ切実な声。それらをどう受け止めているのかを倉持弁護士に最後に訊いた。

「ありがとうございます。」

まず、倉持弁護士はサポーターへ感謝の言葉を口にした。そして、やや緊張した面持ちで言葉を選びながら続けた。

「いろんな思いを持っている人がいますから。ここに響いたなってそれぞれの人が思えるような発信や、訴訟の遂行の仕方をしていきたい。」

「全方位、全部、響いたっていうことは難しいかもしれないけれど、どこか人々が潜在的に持っている自由や人権への痛覚というか、そういうものに触れるような訴訟をしていきたいと思っています。」

裁判を通して、期待に応えたい。襟を正す思いだという倉持弁護士の不退転の意志を強く感じた。

個別のインタビューを終えると、倉持弁護士と長谷川社長は互いに軽く挨拶を交わし、やがて二人だけの会話を始めた。「コロナ禍、日本社会の理不尽を問う。」まさにこのフレーズにおいて、二人は共に闘うことを選んだのだ。

未知に立ち向かう力

冬を越え、桜が散ってもコロナ禍は終息せず、聖火ランナーは走り、東京オリンピック開催への動きは加速し続ける—そんな混沌とした4月上旬に、このインタビューは行われた。

しかし、それぞれに信念を持つ二人の話を胸にした帰路、私の心は久々に晴れやかだった。そこにはコロナに対する考えの多少の差異や、経営と法という専門の違いを超えて、日本社会の民主主義のあり方を問いたい、その共通点で合意した、ひとつの連帯があった。

根拠の見えない号令は、私たちそれぞれの持つ差異を一時的には覆い隠してくれるのかもしれない。けれども、それでは連帯は生まれてこない。未知の感染症を乗り越えるという見えない道を、もしそんな号令に従って闇雲に進めば、私たちはいつかの時代のように間違った道にさえ迷いこんでしまうかもしれない。

国の政治のあり方を決める力は、国民にある。

私たちは憲法に保障される権利をよりどころに、科学的に、民主的に、せめても議論を尽くそう。配慮を重ねて押し黙るより、声を上げよう。長期的により良い道を進むにはそれしかない。この訴訟はそう告げて、私たち一人ひとりを鼓舞している。


取材・文・構成/丸山央里絵(Orie Maruyama)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)