2020.5.13

それぞれのたたかい|タトゥー事件⑷

連載:「異端」の弁護が社会をつくる

有罪判決

「被告人を罰金15万円に処する」

有罪判決だった。支援者で埋まった法廷がどよめく。速報を打つために、マスコミの記者たちが次々と法廷を駆け出て行った。全く予想もしなかった結果に、弁護人たちは天を仰いだ。

医師法17条の「医行為」を、「医療及び保健指導に属する行為」に限定する弁護人の主張は、法体系について独自の理解を前提とするものであり、採用できない。

職業選択の自由、表現の自由といえども絶対無制約に保障されるものではなく、公共の福祉のための必要かつ合理的な制限に服する。入れ墨の施術に医師免許を求めることは、国民の保健衛生上の危害を防止するという重要な公共の利益の保護を達成するために必要かつ合理的な規制である。

大阪地方裁判所の大法廷に、淡々と弁護側の主張を切り捨てる判決を読み上げる裁判長の声だけが響いていた。タイキ氏は、宙を見つめたまま、身動きしなかった。

「あまり報道とかを気にしても仕方ないと思っていたので、それまでメディアとか観てなかったんです。でも、あの判決の後、初めてテレビに映っている自分の姿を観たんです。なんか記者会見で答えているのが自分のことじゃないような、そんな気持ちでテレビを眺めていました。」

「ともかく信じられなかった。これで自分にとってすべてだったタトゥーが奪われることになるなんて。ただ悔しくて、納得いかない。それだけでした。」

タイキ氏は即日、有罪判決に控訴した。

日本で初めてのクラウドファンディング

判決から1週間、亀石弁護士はただ歩いているだけでもツーと涙が流れてきたという。一人の人の尊厳を、夢を、一つの職業を、こんな穴だらけの論理で葬り去って良いのか。

その思いは有罪判決を書いた裁判官だけに向かったわけではなかった。自分たちの力不足がこの判決に加担してしまったのではないか、亀石弁護士はそういう思いが拭えなかった。

好意的だった世間の反応も一審判決後に急に変わった。

「判決後から控訴審の間まで、それは結構な地獄でした。」

亀石弁護士はそう振り返る。これまで連日のように取材に来ていたマスコミの取材はぱたりと途絶えた。「最初から厳しいと思っていた」「法律論として無理があった」これまでそんなことを言ってなかった弁護士たちがSNSなどでコメントするのが多く目に付いた。

「あれだけの主張と立証を展開しても型通りの判決しかしなかった地裁の判決も、手のひらを返したような反応をする世間も許せなくて。ともかく悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。」

しかし、亀石弁護士はそこで挫けなかった。いや、タイキ氏という依頼者を護る刑事弁護人として、タイキ氏が戦い続ける中で、挫けるという選択肢は彼女にはなかったという方が正確かもしれない。

「やんなきゃいけない」と思って依頼を受けた瞬間から、弁護人は、罪に問われた被告人と、いわば運命共同体となるのだ。

亀石弁護士は、費用面の不足で一審の時に諦めざるを得なかった立証のことを考えた。もっとやれたことがあった、控訴審で逆転するためには、今度は諦めちゃダメだ、そう思った。

考えを巡らせる中で、彼女の頭に一つのことが思い浮かんだ。当時注目を集め始めていたクラウドファンディング。控訴審の立証に向けて必要な実費を多くの人から寄付を集めてまかなえないだろうか、そう考えたのだった。

「周りからは驚かれましたし、反対もされました。裁判費用にクラウドファンディングを使うというのは前例がなかったですから。だから、これまで誰もやったことがないということは何か問題があるんだろうかと思って色々調べました。でも、これが問題という明確なものは出てこなかった。だったら、やろう、やれることは全部やろう、そう思いました。」

亀石弁護士は、すぐに東京にあるクラウドファンディングサービスを運営をしていたCAMPFIRE(キャンプファイヤー)の事務所を訪れた。そして代表の家入一真氏に、タトゥー事件の問題性、裁判にお金が必要なことを熱く語った。

家入氏は、共感してくれ、担当者をつけますと言ってくれた。そして、キャンペーンが始まった。

亀石弁護士が前面に立って始まった日本初の裁判費用のクラウドファンディングキャンペーンは大きな話題となり、口コミで広がった。たくさんの人たちが賛同し、SNSで多くシェアされた。そして、結果的に短期間の間に300万円以上のお金が集まることになった。大成功だった。

「一審判決を覆すための、追加立証をするお金が集まったというだけでなく、クラウドファンディングを通じて、これまでこの裁判に関心がなかった人たち、この事件の問題が届いていない人たちと繋がれたことも予想外の成果でした。」

「おかしいと思うのは私たちだけじゃない。みんなも一緒に闘ってくれているんだ、そう思いました。一審判決以後、ずっと逆境の中にいたけれど、このことがくれた力は大きかったです。」

新たな力

亀石弁護士たち弁護団は、新たな資金を得て、再び全国の学者たちのもとを訪ねて回った。一審判決の論理がおかしいことは、自分たちが声高に主張するだけでは変わらない。それぞれの法律の第一人者である学者たちが、その問題性を指摘し、緻密な意見を寄せてくれることが必要であった。

しかし幾ら問題があろうとも、一旦は裁判所が有罪と判断した事件だ。一審判決後の社会の反応がそうであったように、「犯罪者」とされた側に協力をしてもらうのは簡単ではないのではないか、亀石弁護士はそう思っていた。しかし、ある学者は、意見書を書いてくれないかとの頼みに「そのつもりで待っていました。」と言ったという。

亀石弁護士たちは一審の時からこの学者の元に通い続けていた。彼は、亀石弁護士たちが、全く知識のないところから、タトゥーの歴史から類似規制のことまでを丹念に調べ上げてきたその過程を見ていた。彼女たちの、熱意と粘り強さに、自身の見識をもって応えることが、一人の法律家としてすべきことだと感じたのだろう。

その他にも、自ら意見書を書いただけではなく、この人にも意見書をもらうべきと、その分野の大家(たいか)の学者と結びつけることまで協力してくれた学者もいたという。

日本の法律の世界においては、法学というアカデミアと、裁判実務との間には分断があると言われている。法学者たちに対しては、実際の裁判における法解釈への関心も影響力も少なく、象牙の塔に閉じこもっているとの批判がなされることも少なくない。

しかし、タトゥー事件では違った。このような恣意的な排除が行われることを許容してはならないという法律家としての気概、亀石弁護士たちの熱意が、学者たちをも動かした。彼ら彼女らも、自身の方法でたたかう道を選んだ。

亀石弁護士は、新たな学者たちの意見書に加えて、アメリカにおける判例の流れについてのリサーチペーパーも準備した。アメリカでもタトゥーに対する規制がなされようとした時代があったが、司法がそれら規制を表現の自由への侵害であると判断して食い止めていた。

亀石弁護士は、以前に過去の新聞記事を通じてその事実を知っていたが、資金面のこともあり、一審中に詳しいリサーチを実施することができていなかった。ここではアメリカで弁護士資格を取得した友人が協力を申し出てくれた。

逆境の中、タイキ氏と亀石弁護士たちは、さまざまな人たちに力をもらいながら、一つ一つ立証を積み上げていった。そして、渾身の力で一審判決の不当性を論じた控訴趣意書を書き、提出した。

逆転無罪

そして迎えた、2018年11月14日、控訴審判決の日。大阪高等裁判所第5刑事部において、西田真基裁判長は、再び人で埋まった法廷でこう読み上げた。

「原判決を破棄する。被告人は無罪。」

法廷には、自然と大きな拍手が湧き上がった。

医師法の規制を受ける医業は、医療に関連したものである必要があって、タトゥーを彫ることは医療を目的とする行為でない。保健衛生上の配慮は、医師ほど広範、高水準である必要はない。今回のような規制が行われれば彫り師という仕事を禁止するのと同様で、憲法の定める職業選択の自由を侵害するおそれがある。

大阪高裁の判断は、いずれもタイキ氏の主張を正面から認めるものであった。それを聞きながら、タイキ氏も、弁護団も、法廷に駆けつけた学者たちも、そして傍聴席も、みんながうなづき、涙を流していた。それぞれの思いが込められた、それぞれのたたかいがもたらした結果であった。

排除することは簡単だが、それに抗うことは決して楽なことではない。膨大な労力と、強靭な精神と、多くの人の関わりが必要だ。しかし、排除を黙認していれば、私たちの世界は、次第に、幾多もの線で分断される。そして、私たちの日常は、いつの間にか抑圧的で、のっぺりとしたつまらぬものになっていくであろう。

排除に抗うことは、多様で豊かな世界で生きていくために不可欠な営みだ。今日もそのために、たたかう人たちがいる。

*    *    *

タトゥー事件は検察の上告により現在最高裁判所に審理が係属している。しかし、タイキ氏は、四年のブランクの後、タトゥーマシンを手に、施術を再開した。大阪高裁の判決文で、彼の職業欄には「彫り師」と書かれていた。彼はそのことを何よりの誇りに思っている。

「お客さんは随分減りましたが、でも少しずつ戻ってきてくれています。」
彼は、そう嬉しそうに言った。

取材・文/谷口太規(CALL4)
撮影/神宮巨樹
編集/杜多真衣(CALL4)

※この記事は、刑事弁護の情報と知が集まるポータルサイト「刑事弁護OASIS」の連載記事として書かれたものの転載です。