公共訴訟はあなたの身近にある。「話すことから始めよう」

CALL4 代表 谷口太規 2020.2.11

[CALL4プロジェクト]と、CALL4代表 谷口太規のストーリー

2019年某日、谷口太規(たにぐちもとき)は待ち合わせ場所にやってきた。2019年2月にCALL4を設立、代表を務める谷口は、現役の弁護士でありソーシャルワーカーだ。

その日はよく晴れた日だった。青空と鮮やかな緑が見渡せる窓際の椅子に向き合って座ると、そのまま静かに話は始まった。弁護士になったきっかけ、寝食も忘れて働いた日々、そしてアメリカ留学を機にCALL4を立ち上げるに至った経緯―。

終始、穏やかな語り口の奥に、“社会を良くする”ことに向き合い続ける熱量を感じて、私は背筋を伸ばした。ウエディング誌編集という訴訟とは関わりの薄い世界で仕事をしてきた私は、この時、ひょんなきっかけからCALL4の活動に参加したばかりだった。
CALL4はこの先、何を目指していくのか。今回のインタビューを通して、その絵を少しでもお伝えできたらと思う。

正義を見失い、葛藤し続けた日々

私はまず彼のルーツを知ることで、今の活動の軸が見えるのではと考え、なぜ弁護士になったのかを訊いた。

「学部時代は法学部ではなかったんです。社会学や哲学を専攻していました」

返ってきた答えは、意外なものだった。

「そして在学中は社会勉強と思い、お金を貯めて、バックパッカーにも行きました。それは今思い返しても、しんどい体験でしたね。
初日のバンコクで出会った人を信じて、資金50万円を全部騙し盗られてしまったんです。その後もかろうじて旅を続けながら、カンボジアに行けば少女買春に来ている日本人が沢山いて、でもそれにすり寄ってでも生きようとしている人たちがいる。荷物と自分を必死に守りながら、価値観はどんどんカオスになっていきました。『自分は愛だ、正義だと言ってきたけど、そういうものはもう分からないな』って」

約1年後、帰国。そして大学4年になった時、9.11が起きた。

「みんな凄く衝撃を受けているのだけれど、キャンパスで会っても『何も言えることはない』というように、誰もが無言だったのを今でも覚えています。

自分の価値観が揺らぐ日々の中で、アメリカによるアフガン侵攻が始まって、私は何かを求めてNGOなどの集会にいくつか足を運びました。その時、あるご老人が『今の若者たちは怒ることをしない』と言った。でも自分は、それはちょっと違うんじゃないかと思ったんです」

そこで、少し間を置き、言葉を選んだ。

「正確に言えば、『怒れないことと向き合い戦うことの方が、自分たちにとって重要なのでは』と思ったんです。当時の若者たちは結局、何が正しいのかが分からなくなって、それで内なるものの発露の途中で感情がしぼんでしまっているのでは、と感じて」

CALL4 代表 弁護士 谷口太規
CALL4 代表 谷口太規

情報化社会では、世界のニュースはすぐ個人の手に入る。けれど情報には当然に偏りもあるし、事情は複雑に入り組んでいる。谷口と同世代の私は当時、9.11の映像に携帯で出合った瞬間をよく憶えている。「相応の知識も実体験も持たない私には、何も言えることがないな」とぼんやり思った。そこには恥ずかしさもあったように記憶している。

「正しさというものに関心を持った私は、皆が立ちすくんでいる一方で、熱心に社会活動をする若者もいると考えて、アクティビズムを卒論テーマに選びました。そして、文献研究だけではなく、多くのアクティビストの若者たちに個別インタビューをしたんです。彼らは見た目も言動も尖っていない、ふつうの人たち。けれど、社会を変えようと、身の回りから行動を起こしている。その彼らを動かしているものを知りたかった。

結果、話はさまざまでした。例えば渋谷でゴミ拾いをしていた集団に動機を聞いた時は、こう答えてくれました。『ゴミ拾おうとすると、しゃがむじゃないっすか。そこからの街の見え方がなんか違うんっすよ』って(笑)」

当時のフィールドワークの様子を思い浮かべ、思わず笑い合う。そして、谷口は言った。

「でも、そんな風にどうして一歩踏み出せるのかを彼らに聞き続ける中で、結論ではなく、人びとが話し合う“プロセスそのもの”が、とても大切なことだと気が付いたんです。
最終的な結論として『これが正しい』とは、なかなか指し示せないかもしれない。けれども、基本的に、人には力がある。だから人びとが話をしたり、聞かれたりできる場さえあれば、大丈夫なんじゃないか。むしろ、そのプロセスにこそ正義があるんじゃないか。

じゃあ自分は、その場を推進できる“代理人”になろう。そう思って、司法試験を受け、弁護士になりました」

“公共”、そして“公共訴訟”とは

ここで、谷口のこれまでの経歴を簡単にお伝えしたい。

2006年より弁護士活動を開始。年60件の刑事弁護を担当するなど多忙な日々の後、2015年、ミシガン大学ソーシャルワーク大学院に留学。卒業後は刑務所出所者の社会復帰支援に携わり、2018年帰国。現在は、東京パブリック法律事務所で共同代表を務める傍ら、公共訴訟支援プラットフォーム『CALL4』の活動に取り組んでいる。

「弁護士になった時、大きな社会課題に取り組む事務所と、名もなき人の名もなき事件を扱う事務所の二択で迷って、最後は関心を持っていた“パブリック”というフレーズの付いた後者を選んだんです、名前で」

谷口は笑った。しかし、現在の谷口にとっても変わらず、“公共(パブリック)”はキーフレーズなのだと思う。例えばCALL4では、国や行政を相手にした訴訟を、“公共訴訟”と呼んでいる。

谷口は、今でも忘れられないという、公共訴訟のエピソードを教えてくれた。

「弁護士のトレーニング期間に師事した先生は、岡山で行政を相手にハンセン病の訴訟をされていた方。当時、長島愛生園という、国の療養所に連れて行っていただきました。しんとしていて、とても静かな場所でした。なぜなら過去、ハンセン病の子供は同じ病気になる可能性があるからと強制堕胎させられていたため、そのコミュニティには全く若者や子供がいなかったからです」

そこで少し静寂があった。谷口は何かを思い返しているようで、私もその静けさについてを想像した。

CALL4 代表 弁護士 谷口太規
CALL4 編集 丸山央里絵

「そのハンセン病訴訟では、原告のおじいさんやおばあさんたちが、訴訟を重ねるうちに、すごく変わっていったと言われているんです。

『自分たちみたいな人間が入っていいんでしょうか』と、最初は裁判所に入ることさえ躊躇されていた方がたが、裁判で自身のストーリーを初めて口にして、認知され、承認されていった。そこで『自分が受けた被害はこういうことなんだ』『こんな風に生きていいんだ』という気付きが生まれた。訴訟の場が、尊厳を回復していく過程になったのだと思います」

谷口は繰り返した。

「誰かが耳を傾けてくれ、公共に認知されることは大切です」

辞書を引けば、公共とは、社会一般。“私的な領域に対立する、公的な領域として、人間生活を成り立たせるもの”とある。そして、同じ社会に暮らす我々がありようを評価していくものだと。それであれば公共訴訟は、公共を問い、市民の手で新しい公共をつくっていく場でもあると言える。

しかし、日本の公共訴訟が置かれた環境は、決して良いものではないと言う。

「私が過去担当して敗訴したケースなのですが、ガーナからの難民の方が日本から強制退去を受けて、大勢に拘束されて飛行機に押し込められ、その場で亡くなった事件がありました。どう考えても拘束が引き金になっているのに、奇病による心臓発作で処理されてしまいました」

日本の公共訴訟は、諸外国に比べても、リソースが非常にアンバランスなのだ。

「こちらは、医師一人の意見を聞くだけでも、本当に大変。苦しい状況にある原告からのお金は見込めず、最後の頼りはポケットマネーです。そして一方の行政側は、どんどんお金を注ぎ込んで、専用スタッフも用意してくる」

思わず私は「そんな状況で、公正な場になるのですか」と訊いた。

「そう、だからこそ、CALL4の『4』。行政・司法・立法の三権に加え、社会を形作る四つめの力である、『市民』の出番なんです。国や行政は、誰も見ていないと分かって、やっているところがあります。場をもう少し市民に開くだけでも動きが変わるんじゃないか、という思いがあります」

CALL4 代表 弁護士 谷口太規

穏やかな口調に怒りが滲んでいた。高い確率で原告側が敗訴するという公共訴訟。そこに向き合うには、原告や弁護団に果たしてどれだけの想いや労力が必要なのだろう。それはもはや犠牲といっても差し支えないのではないのか。

実際、世の中の変化や、司法制度改革で弁護士の数が増えたことによる平均給与の低下などから、それまで手弁当で賄われていた公共訴訟の次世代の担い手がいなくなってきているのだという。

「そこを仕組みから変えたくて、CALL4には訴訟のクラウドファンディング機能を最初から設けました」

アメリカで学んだ2つのこと

谷口はアメリカから帰国した翌年、CALL4の活動を始めている。私は話を進め、留学の影響は大きかったのかを質問した。すると、あっけらかんとした言葉が返ってきた。

「『あ、サボってたな』って思ったんですよ」

そして、間を置いてこう続けた。

「僕は弁護士になって2回、過労で肺炎を起こして入院しました。フル回転で、働き続けた結果です。自分なりに頑張っていたつもり、変革に邁進してきたつもりでいました。

一例を挙げれば、刑事弁護をよくやっていたので、警察に面会に行くんですね。移動に1時間くらいかけて警察へ行って、30分待たされて、30分会って、また1時間かけて帰ってくる。3時間のうち、30分しか弁護士として時間を使っていないから、とても非効率です。でも、被告人にとっては会いにきてくれるのは自分しかいない、だからどんなに苦しくても会いに行こうと思っていたし、周囲にも、『歯食いしばっても会いにいけ』と言っていたんです」

「けれど、」と谷口はさらに続ける。

「それが留学したら、アメリカではワンクリックでビデオ接見をしていた。もちろん、最初から制度が用意されていたわけではない。訴訟をしながら、より効率的な制度を勝ち取ってきた結果なわけです。

『僕らはそういう戦い方をしてきたのか』と考えましたね。地べたを這いつくばるような努力はしてきたけれども、それが大変だから頑張った気になっていただけで、ゲームチェンジをするために必要なことを考えてこなかった、そう思ったんです」

CALL4 代表 弁護士 谷口太規

「アメリカに行ったときに、もう一つ影響を受けたことがあります」

さらに谷口は、当時のエピソードを語る。

「日本の裁判官は、法廷ではほとんど喋らないんですよ。ペンペンって叩いても動かないんじゃないかっていうくらいの時もあります(笑)。そして、最高裁が当事者の意見を聞く弁論の場が開かれるということはもう、これまでと結論が変わると決まっている。つまり、結論の決まった後に本人の話を聞くんです。

ところが、ある日に傍聴したミシガン州の最高裁は全く違った。裁判官がものすごく喋るんです。その時は全盲の裁判官だったんですが、弁論の途中で、「ちょっと、ちょっと待って」と割り入る。「僕はこの前、友人のパーティに呼ばれて行って、教えられた番地のアドレスに行って、ノックをしたんだけど誰もいなかったので、友人の名前を呼びながら玄関の中に入って、しばらくして中庭でそこの家の人に呼び止められた。実はアドレスには同じ住所でサウスとノースがあって、自分は別の家にいたってそこで気付いたんだけれど、この場合の侵入って、どこから始まったと思う?」と聞くわけです。まさに住居侵入罪がどの時点から始まるかが、その裁判の論点でした。

その時に感じたのは、真に正しい結論にたどり着きたい、という熱意。保守的と言われる裁判官もリベラルと言われる裁判官もいるけれど、『今の社会に必要な結論は何なのか』を、ディスカッションを通して決めていく。法廷の場は、本来そういう場であるべきだと強く思ったんです」

日常生活と訴訟はつながっている

「今の話を聞いて、ぜひ裁判を傍聴したいと思いました」と伝えると、谷口は嬉しそうな様子でこう返した。

「そう、裁判は遠くの誰かのものではなく、私たち一人ひとりの日常にあるものなんです。

例えば、2019年5月に東京地裁で違憲判決を勝ち獲った、『海外でも国民審査を訴訟』。私も原告の一人でしたが、中にはブラジル在住の主婦もいました。彼女は、投票用紙を間違って配ったというニュースが流れてきた時、『間違いだとしても配れるということは、本来投票できるということなのに、できないのはおかしいんじゃないか』という違和感から、声を上げた。3歳児を連れて法廷で意見陳述もしています」

海外でも国民審査を訴訟 原告団
「海外でも国民審査を訴訟」原告団と弁護団

誰かが声を上げることで変わる、その社会に私たちは共に住んでいる。

「先日、友人であり、CALL4のフォトグラファーである神宮が、取材の隙間に彼の子供の問題を話してくれました。『今、子供が外で辛い目にあっているから、相手の保護者と話をして状況を変えようと思うんだよ』と。私は『面倒なことをやるね』と返した。すると、『いや、CALL4の取材に行くうちに、俺もちゃんと声を上げなきゃって思ってね』なんて言うんです。

それがすごくいいなぁって。大それたことじゃなくていい、些細な行動の変化こそ、一番意味あることなんだと思えました」

身近な“自分ごと”として想像できると、私にも何か出来るんじゃないか、そんな気持ちが湧いてくる。CALL4のストーリー記事も、そんな原告や支援者の個の想いを掬い上げている。

「社会課題と思われているものは、身近な暮らしや、誰かの尊厳から生まれている。訴訟や裁判になると、急に別世界になったかのように見えるけれど、出発点はみんなが個々に持っているものから始まるんだ、と理解して欲しくてストーリーを立ち上げました。ぜひ多くの方に読んでもらえたらと思っています」

CALL4 画面 ipad
CALL4ポータルサイト(https://www.call4.jp)

最後に、「CALL4を今後、どのようにしていきたいとお考えですか」と私は訊いた。「綿密な計画があるわけではないんですけど」と前置きしつつ、「もっとオープンにしていきたいですね」と谷口は笑った。

「誰かがCALL4のサイトを訪れて、訴訟に興味を持てたり、発見があったり。その人自身の変革を少しでも助けることができたなら、それは大きな意味で、ミッション成功だと思うんです」

そして、こう続けた。

「誰もが社会を良くするということに衒(てら)いがある、ということなんだと思うんです。9.11の後にみんなが黙ったのも、きっとそう言うことだったんだと思います。何が正解なのか分からないから、と」

私は頷いて、では私たちはどうしたら変わっていけるのでしょう、と問いかけた。すると少し笑いながら、谷口はこう答えた。

CALL4 代表 弁護士 谷口太規

「もっといい加減でいいんですよ。社会課題に関してだけ、すごく潔癖になる必要はない。『私、黄色より緑色の方が好きかな』くらいの感じで話していいんです。そうしないと、『とことん自分が正しいことじゃないと、何も言ってはいけない』となってしまう。それは違いますよね」

それでは、ほぼ全員が沈黙してしまう。そして、何も変わらない。

「そう。だから、もっと気軽にソーシャルチェンジに参加していいって思うんです」

谷口の背中の向こうに、緑が広がっていた。自分の気持ちを話す、誰かの声に耳を傾ける。ディスカッションの場で生まれるものを信じて、ちょっといい加減に、一歩を踏み出す。


取材・文・構成/丸山央里絵(Orie Maruyama)
写真/神宮巨樹(Ooki Jingu)

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