「刑事弁護士」は無力だった。絶望から40年つづく戦いは、新たな局面へ
2026.3.5
“人質司法”の違憲性を争う日本初の集団訴訟を率いる、高野隆弁護団長のストーリー
刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。—自由権規約14条2項
高野隆弁護士に、ロースクールで刑事訴訟法を習った。「法廷では通常被告人を『さん』付けで呼ぶ」といった、思えば当たり前の法廷弁護技術がそのころ、「高野イズム」と呼ばれて流行っていたことを覚えている。
いわく、「依頼人を『被告人』という記号で呼んではならない。われわれ自身が依頼人を一人の人間として敬意をもって扱わなければならない」(※1)
司法試験に受かった後たくさんの法廷を見たが、弁護士はみな一様に被告人のことを「被告人」と呼んでいた。「被告人に前科はありません。よってXXXという情状酌量を望みます」—いわんや、裁判官、検察官をや。司法修習生の教科書にも、そのように「弁論」を書くように指示があった。私もそう書いて司法修習の最終試験に受かり、弁護士になった。法廷では被告人をさん付けで呼んだ。
「僕は現実の裁判を見ないまま弁護士になっちゃったから」、刑事弁護士・高野隆弁護士は言う。
「当時はアメリカの法廷弁護士ドラマにあこがれて、ペリーメイスン(※2)とかね。法廷で、弁論で闘う刑事弁護士はヒーローだと思って、それを信じて司法試験を目指した。そしたら現実はね……」

“人質司法”という現実
ある日突然逮捕され、そのまま独房に拘束される。起訴後も拘束が6年半も続いた天野さんの会社はその間に倒産した。天野さんは裁判の始まった今も拘置所を出ることを認められないでいる。罪状を否認しているからである。
“人質司法”という言葉がある。起訴前、起訴後を問わず、自白をするまでは身柄を拘束され続ける、日本の刑事司法のメカニズムを表す言葉である。
拘置所は密室である。盛本さんのように持病の喘息が悪化することもあれば、浅沼さんのようにトランスジェンダーの被疑者/被告人に対する無遠慮な対応が繰り返されることもある。浅沼さんによるとそれはまるで「地獄の日々」だった。
地獄から助けを求めてもそう簡単に助からない。起訴前は『日本の黙秘権を問う訴訟』(※3)原告の江口大和さんのように、取り調べを拒否しても取調室に連れていかれ、罵声を浴びせ続けられることもある。世間で話題になったカルロス・ゴーンさんの事件(※4)のように、弁護士以外は家族ともコミュニケーションをとることができない「接見禁止」は、勾留されている被疑者の4割が受ける(※5)。保釈を得るのは至難の業だ。『大川原化工機事件』(※6)で起訴された相嶋静夫さんのように、末期がんでも死亡する1ヶ月前まで保釈は認められないのだから。
独房の中で外部とのコミュニケーションを一切遮断し、「生殺与奪の権を奪われた」と精神的に追い込んで、自白以外の出口を作らない「地獄」。その帰結は何か。自白調書の分厚いファイルであり、調書を読み上げるだけの裁判である。裁判の決着は、法廷に行く前についている。
「刑事弁護士は、あこがれていたような『法廷のヒーロー』ではなかった」
高野弁護士は言った。
「裁判を支配していたのは供述調書だった」
刑事弁護士は、法廷の中で弁論をもって闘う「法廷弁護士」ではなかった。刑事弁護士が日常的に闘えるのは身柄拘束への不服申し立ての手続だけだった。起訴される前は裁判所の勾留決定や接見禁止決定に対して不服申し立てである準抗告(※7)をすること。起訴後は裁判所に保釈(※8)を請求し、保釈却下の決定に対して準抗告や特別抗告(※9)をすること。しかし、そこでも法と現実はかけ離れている。
「僕たちがいくら申し立てても、裁判所に三下り半(みくだりはん)を突き付けられるだけ。事件ごとの事情を検討することもなく。刑事裁判官は、どれほど不服を申し立ててもまともに判断してくれない」
裁判官は、「罪証隠滅のおそれ(※10)あり」というゴム印で、勾留を決め、保釈請求を却下することが通常だ。それですべて、おしまい。
「身柄拘束が自白を得るため、取り調べをするための道具として使われている。それに裁判所がお墨付きを与えている」
「刑事弁護士」は無力だった。―まだ若い高野弁護士は絶望した。
新しく提起された集団訴訟
それから40年が経ち、カルロス・ゴーンさんの弁護人を含む無数の刑事事件を担当して何度も絶望を繰り返した高野弁護士は今、“人質司法”の違憲性を問う初の集団訴訟「人質司法に終止符を!訴訟」の弁護団長をしている。
日本では毎年10万人弱が逮捕され、その多くが勾留される。あいまいな理由でもほぼ通る勾留請求によって。その半数が起訴されるが、多くの場合には起訴後も身体拘束はつづく。被告人が保釈を請求すると、自白している事件では第一回公判期日までに4分の1が保釈される反面、事件を否認すると10分の1に激減する(※11)。自白しているか否認しているかで裁判が始まる前までの保釈率にこれほどの有意の差ができる。裁判が始まるのは起訴されて1年以上経った後のこともある。こうした一連の身柄拘束の手続は検察官の利に偏っており、検察官が裁判官に提出した資料を弁護人が見ることすら許されない。国際人権規約が定める「武器対等」(equality of arms)は無視されている。
「疑いがあるだけの時点で『人身の自由』を完全に奪われ、実質的な反論の機会はまったくない。これが日本の人質司法です」
「人質司法」は国際的にも問題視されており、国連(恣意的拘禁作業部会)からも「代用監獄」(勾留決定後の被疑者・被告人を警察署内に収容する慣行)の廃止勧告、ゴーンさんの拘束は「恣意的拘禁」にあたるなどと、たびたび意見や勧告を受けている(※12)。
自分の家で眠る。家族や友人としゃべる。仕事へ行く。好きなときに好きなところへ行く。閉じ込められない。腰縄手錠を付けられない。トイレを覗かれない。罵倒されない。
そんな普通の生活を送ることが、「人身の自由」である。憲法で保障されているというまでもなく、重要な人権である。
しかし現実はどうか。もともと保釈は被告人の権利である(※13)はずだったが、権利としての保釈はずっと使われていない。保釈をまるで恩恵のように認める(※14)ことで、その権利性は薄められ、例外の扱いになる。
裁判所の三下り半のテンプレートことゴム印「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」(刑事訴訟法60条1項、89条1項2号・4号)はそもそも立法時、ただの可能性で身柄拘束をしてはならないという問題意識のもとで立法された。
「それが、立法者が危惧していた通り、簡単にハンコを押せるようになってしまったのが、今の運用」と高野弁護士。
それだけではない。接見禁止も簡単に付けられるし、保釈を認めない理由として犯罪の重大性や常習性といった「被告人はすでに有罪の人間だということを前提にした」要素を挙げる条文も刑事訴訟法にはある。
「逮捕されたら最後、はじめからずっと有罪の人として扱われる。無罪推定はどこにいった?」高野弁護士は問う。
「時間が逆行している。それと戦わなければならない」
浅沼さん、盛本さん、柴田さん、天野さん。人質司法のメカニズムに苦しめられた。そして今でも苦しめられている4人が原告になり、身柄拘束を容易にしている条文の違憲性を争い、「刑事裁判のあり方」を問うのがこの訴訟だ。

捜査と公判の共犯関係
なぜ裁判所は起訴前の検察官による勾留請求を簡単に認め、起訴後の被告弁護人による保釈請求を簡単に却下するのか。
そこには官僚機構の利がある。裁判官にとっても、勾留中に取調べがなされ、自白調書がそろっていることは都合がいいし、起訴後の争点整理の段階で、同意された書証が多くある方が楽だ。なぜなら、「公開の法廷での裁判が始まる前に」争点がはっきりして、あとは読んだものを整理するだけで済むから。
「そうしたら効率的に裁判が終わるから」―公開された法廷ではなく、その前に。紙に書かれた文字を読む、裁判官室の裁判官の頭の中で。
逮捕され、勾留され、被疑者として毎日取調室に連れていかれる。黙秘権を主張していても、日本の実務が取調受忍義務(※15)を認めているために、身柄拘束されている限りそうなる。捜査の場で被告人が署名・指印をするのは、すでに捜査機関の手で書かれている調書である。起訴状のストーリーに沿って整理された自白調書や供述の変遷が、そのまま法廷で使われる。
起訴された後も、否認している限り保釈請求が認められず、身柄を拘束されつづける。その間、被告人と弁護士は証拠の開示もろくに受けられない中で、検察官は裁判の準備をする。
公判整理の段階で事実を認め、調書に同意することによって、本来は法廷で争われるべきターゲットを絞らせることができ、公判廷でのやり取りは最小限で済む。つまり書面に依拠することで、「法廷は出来レースの場所になる」。検察官の準備したストーリーで話が進み、被告人と弁護士はそのストーリーと、それを支える自白調書に立ち向かわなければならない。
捜査の場の「人質司法」と、公判の場の「書面主義」。これらはがっちりと手を組んで、この国の「誇る」有罪率99%を支えている。
捜査機関の調書への渇望を「罪証隠滅のおそれ」というゴム印で後押ししているのは、他ならぬ裁判所なのである。

人質司法と書面主義は相性がいい
2025年9月24日水曜日、私は「人質司法に終止符を!訴訟」の訴訟期日に来ていた。
原告側からは、前の週に提出した2つの書面をもとに弁護団がふたり、口頭弁論(※16)を行う予定だった。すると向かって右側に座った被告の国側の代理人が立ち上がり、「まだ読めていません」といった。裁判長も、「2つ目の書面は、本日は留保でお願いします」といった。高野弁護士は「この書面はわずか3ページですが…、丁寧に訴訟手続をするというのならば、わかりました」と応じた。1つ目の書面は9月17日水曜日、2つ目の(3ページの)書面はその翌日の18日木曜日に送られたものだったという。
結局その日弁護団は、1つ目の書面をもとにした弁論のみしか行うことができなかった。比喩やエピソードも交えて弁論を行った吉田弁護士に、裁判長は言った。
「これは要望ですが……次回からは(弁論内容を)書面でください」
「民事訴訟における口頭弁論とはOral Argument。口頭での弁論のことです」、期日の後、高野弁護士が説明する。
「それは紙をそのまま読み上げることではない。たとえ話や格言を使うこともあります」
弁論や証拠調べを口頭で行う口頭主義は近代裁判の原則とされ、民事訴訟では口頭弁論の定めが置かれているほか、刑事訴訟においても判決は、「口頭弁論に基いて」するといった条項が定められている(第43条)。
「しかし民事でも刑事でも、圧倒的多数の事件で裁判は書面で行われる。刑事事件においては、裁判は検察官が裁判官に捜査書類を受け渡すためだけのものになっているといってもいい」
裁判官が「やりやすい」裁判を求めると、証拠書類はなるべく争わない方がタイパが良いし、密室での捜査資料でも、反対尋問を諦めてもらう結果になってもコスパが勝る、となる。事前に、書面で、シャンシャンで準備を進めた方が楽だし、イレギュラーなことが起こって、裁判員の心が動かされるようなライブの場になるのは面倒だ。……そんなシステムに陥りやすくなる。
「これでは公開の場で裁判をする意味がなくなる」と高野弁護士。
「裁判とは本来、公開の法廷で、証拠をもとに主張を述べあい、紛争の決着をつけるものなのではないか」
裁判は何のためにある?
「裁判は、国家の秩序の中核にあるものです」、高野弁護士は言う。
国家は一個人に刑罰を科すことができる。
「裁判を受けさせること、有罪かどうかを決めること、有罪の人は罰せられるということ。これが、国家の刑事制度のしくみの根幹です」
国家という圧倒的に大きい権力機構がひとりの個人に刑罰を科す刑事手続には、その一個人の人権保障がセットでなされていなければならない。その過程が公正であるように、憲法は戦前の人権侵害に対する反省に基づいて、刑事手続に特に手厚い人権保障を定めている。人身の自由だけでなく、黙秘権も、反対尋問の権利も、弁護人選任権も、裁判をする権利も、無罪推定の原則もそうだ。
ところがこの数々の人権は、“人質司法”のメカニズムの中でいとも簡単にはぎとられていく。
「身柄拘束して是が非でも自白調書を取らせる人質司法の運用は、無罪推定原則を侵害するだけではない。捜査の場では取調室に連れていかれる『取り調べ受忍義務』と結びついて、被疑者が黙秘権を行使できないようにしている。本来法廷で証人として尋問しなければならない人々の調書を、保釈と引き換えに同意させることで、被告人の反対尋問の権利は切り崩されていく。それは、公開の法廷で裁判を受ける権利を放棄させるのと同じだ。ほとんどのことは、裁判がはじまるずっと前に、捜査官の取調室で決まってしまうのだから」
「まさに、私たちの身体を『人質』にして、さまざまな刑事裁判上の権利を奪うことで、公開法廷での公正な裁判ができなくなるのです」

40年を経て今
「人身の自由も、刑事手続上の人権も、官僚機構の都合の良い運用―書面の受け渡し―のために、こんなに簡単に制限されてもいいのか」
高野弁護士は、捜査の場では「人質司法」と、公判廷では「書面主義」とずっと戦ってきていた。
20代のときに一度、日本の刑事司法制度に絶望した高野弁護士は、法廷弁護士への憧れと現実とのギャップに、「本当に辞めようと思ったんだけど」、アメリカに渡ることにした。
アメリカのロースクールで刑事手続や証拠法の実務を学びながら、「正解を覚えるんじゃなくて、現実に起こった紛争が教材になっていて、それをどう考えるかを議論した」という。その中で、実践の中で刑事手続のあり方を構築している弁護士たちがいることも知った。
「刑事司法の問題は、チャレンジする価値のあることなのだ」と、日本に帰ってきた高野弁護士は帰国後、90年代にミランダの会(※17)を立ち上げ、2000年代にはロースクールで学生たちを多く教えた。今でも刑事弁護士相手に裁判員裁判の研修を続けている。
「志を持った人は日本にも、一人じゃなくて何人もいる」、そう知ったのも大きかったのだという。
「慰め合って、酒飲みながら、やることができた。今は、これが自分の生業(なりわい)なので、とことんやるしかない」
若き高野弁護士と異なり、筆者の世代は20年前、裁判のアンフェアな現実に迎合しなくてよいと教える、当時40代の高野弁護士のような実務家教員の「予防接種」を受けて弁護士になった。
その学生たちや若手弁護士が育って今、刑事弁護士や憲法訴訟の弁護士になり、公共訴訟の枠組みと連携して刑事被疑者・被告人の人権問題に取り組むようになった。刑事弁護士と憲法弁護士のタッグが今、新たな局面を生んでいる。

刑事手続の人権をきちんと裁判官に判断してもらうには
「裁判員裁判制度が始まってから、刑事法廷弁護のあり方も注目されるようになった。でも裁判所の体質は変わらなかった」、高野弁護士は振り返る。
「今まで、刑事手続の中で何度も声を上げてきた。でも、勾留決定や保釈を認めない決定に対して、不服申し立て―準抗告や特別抗告―を行っても、『事件の性質』だとか『被告人の供述状況』だとか、ありきたりの言葉だけ書いて、刑事裁判官は中身の判断をしない」
「それに対して『この勾留や、この条文は憲法違反だ』と刑事の救済手続の中で出します。すると、まるでそんな申し立てなどなかったかのように準抗告の棄却決定が繰り返される。最高裁に特別抗告をしても、憲法判断をする裁判官はいない。実質は法令違反だと言って、三下り半の棄却決定を出す」
「裁判官たちは、憲法の人権と刑事訴訟法の関係についてまともに考えていなかった」
最近になってやっと「憲法的刑事手続論」―刑事手続と憲法の人権を架橋する考え方―の議論が始まってきたのは、公共訴訟の前進があるという。公共訴訟は民事訴訟の枠組みで刑事人権問題を争うからだ。
「民事裁判官は被告側にも反論の準備書面を出させる。中身はさておき、被告側も応答をする。裁判官は双方の主張を見て、判断せざるを得ない」
「刑事の不毛な手続よりも民事の方が見込みがある。刑事手続に対して、民事の裁判官がNoというわけですよ、違法であると。そして損害賠償を認める。そういう事例が民事にはあるんですよ」
「実際に『大川原化工機事件』も『日本の黙秘権を問う訴訟』も、刑事手続の中で闘うだけでは成果が得られていない。だけれども、民事訴訟を提起することによって国側に強制的に応答させて、証拠で判断するという手続は保障されている」
本来は刑事裁判において解決されるべき問題であるが、刑事手続の中では判断すらされない状況がもう何十年も続いているから、「憲法上の人権を争う民事訴訟に活路を見出したのが、今このタイミングで集団憲法訴訟に踏み切った一番の理由」と高野弁護士はいう。
僕らの世代で何とかしたい
「もう一つの理由としては、人質司法は僕らの世代で何とか解決したいという思いがある」
2025年になっても未だに壁は厚い。しかしゴーンさんの事件の後、大川原化工機事件や日本の黙秘権を問う訴訟、角川人質司法違憲訴訟(※18)を経て、やっと“人質司法”のメカニズムが世の中に知られるようになってきた。イノセンス・プロジェクトや「人質司法サバイバー国会」など、訴訟内外で人質司法のあり方が問われるようにもなった。
起訴前、たとえ黙秘すると言っても、否認したが最後、毎日取調室に連れていかれ、罵詈雑言を浴びせられる。その様子が、黙秘権侵害の現状を問う江口大和さんや角川歴彦さんのケースで明らかになった。取り調べの可視化の結果、2016年の刑事訴訟法改正を経て一部の事件で取り調べ状況が録画されるようになったからである。民事裁判で、ビデオが証拠として採用されたからである。
否認事件の捜査の際に自白を取ろうと働く有形無形の力も、明らかになってきた。大川原化工機事件の裁判の中で捜査機関自身がその圧力を証言したからである。検証報告書の中で理由なく保釈を渋った何人もの裁判官たちの動向がつまびらかになったからである。
私たちの身体を文字通り「人質」にとって自白や権利放棄を迫られる。心身の健康や、生命そのものと引き換えにしないと、否認できない。拘置所の中で十分な医療を受けられずに亡くなった大川原化工機の相嶋静夫さんは、否認していたことが死期を早めた。浅沼さん、盛本さん、柴田さんは否認していたために、拘置所の中で心身にわたり不当な扱いを受けた。天野さんは今も受け続けている。

人質司法という「現実」
法務省のウェブサイトで「人質司法」を調べた。
日本の刑事司法制度は,身柄拘束によって自白を強要するものとはなっておらず,「人質司法」との批判は当たりません
と書いてあった。
明らかに自白事件と否認事件で有意な差があっても――つまり自白を得るまで身柄拘束を解くことがない現状を踏まえても、「身柄拘束によって自白を強要するもの」ではないらしい。取調べ、身柄拘束、自白調書をめぐる様々な実態が明らかになっても、国内外からの批判を受けてもなお、この不誠実な回答が法務省のサイトに堂々と載っていることに唖然(あぜん)とした。
高野弁護士が40年間戦ってきたものの片鱗が見えた気がした。これが、公開の裁判法廷における弁論を無効化し、被告人を被疑者の時点で「罪人」にしつづける「システム」なのだった。実務家教員から現実を教わる「予防接種」を受けてきた世代の私でも唖然とする「現実」なのだった。
無罪推定の原則。
刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。―自由権規約14条2項
ロースクールで高野弁護士に刑事訴訟法を習い、証拠法を習い、被疑者や被告人に対する予断の深刻さを習ってからもうすぐ20年が経つ。
名前を呼び捨てにされたり被疑者・被告人という記号で呼ばれたりせずに、「〇〇さん」と呼ばれること。これも、「無罪と推定されている」はずの普通の人間が享受できる「人身の自由」であると、2025年の今なお追記しなければいけない「現実」に驚く。
「仕組みに絡められたときに、初めてわかる。決して無罪の人としては扱われないということが」、高野弁護士は、今まで「普通の人びと」が普通に扱われなかった無数の事件を振り返る。
「そこには、疑いの段階でも身柄拘束が当然だという正義感があるのかもしれない。だけど、私たちには無罪の人として扱われる権利があると、私たち自身も理解しないといけない」
「私たち自身が、自由について真剣に考えなければならないんです」

※1 高野隆・河津博史『刑事法廷弁護技術』(日本評論社)
※2 アメリカのテレビドラマの主人公で、依頼人の無罪を証明するべく闘う法廷弁護士
※3 被疑者として56時間の侮辱的な取り調べを受けた江口大和さんが提起した国賠訴訟。「黙秘権の保障の趣旨」に反するとして検察官の取調べの違法性が認められ、江口さんに対する損害賠償が認められた
※4 元日産自動車会長のゴーンさんが金融商品取引法違反などに問われた一連の事件
※5 高野隆『人質司法』(KADOKAWA)P.195、日弁連編著「弁護士白書2019年版」P. 92
※6 機械メーカー「大川原化工機」の社長・役員らが逮捕・起訴された後、「冤罪」とされ起訴が取り消された事件。国賠訴訟で警察・検察の捜査の違法であると認定された
※7 裁判官の処分に不服があるとき、裁判所に対してその処分の取消や変更を求めること(刑事訴訟法第429条1項2号など)
※8 保釈保証金の納付などの条件のもとで、起訴後の被告人を(一時的に)身柄拘束から解放する制度
※9 憲法違反や憲法解釈の誤りなどがあることを理由に、最高裁に処分の取消や変更を求めること(刑事訴訟法第433条1項)
※10 「罪証」は犯罪の証拠。「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由」(刑事訴訟法刑訴法60条1項、89条1項2号・4号)
※11 高野隆『人質司法』(KADOKAWA)P.418、最高裁事務総局編資料
※12 ヒューマンライツウォッチ報告書など(https://www.hrw.org/ja/report/2023/05/25/384885)
※13 刑事訴訟法89条:権利保釈に関する条文
※14 同90条:裁量保釈に関する条文
※15 身体拘束されている被疑者に取調べに応じる義務があるとする考え方
※16 民事訴訟において、当事者またはその代理人が公開の法廷で裁判官の前に立ち、互いに主張や意見を述べ、証拠を提出する手続き(民事訴訟法第87条1項)。本訴訟は国を相手取った民事訴訟として行われている
※17 被疑者の人権を守るために取調べの立ち会いや黙秘権の行使を助言する会
※18 贈賄容疑で逮捕された角川歴彦氏が持病悪化による命の危機を訴える中で、過酷な取り調べや長期の身柄拘束を受けたことに対して提起されている国賠訴訟
取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/雨森希紀(Maki Amemori)
編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)