寄付は役に立ちます。経験から堂々と伝えていきたい

フォトジャーナリスト 安田菜津紀(やすだなつき) 2019.9.17

フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんと「カメルーン人男性死亡事件国賠訴訟」のストーリー

都内中心部の雑踏に佇む、コーヒーショップ。安田菜津紀(やすだなつき)さんは、待ち合わせの5分前に、朗らかな笑顔で取材陣の元に現れた。

「日が暮れる前に、写真、撮っちゃいましょうか。」カメラの前にすっと立つ。

東南アジアやアフリカの貧困、中東の難民問題、東日本大震災後の陸前高田の姿などを、現地に取材し、多くの人に気付きのきっかけを届けている、フォトジャーナリスト。そんな肩書きを持つ彼女の、あまりに構えず自然体な人柄に、彼女の作品同様、私たちの心は一気に引き込まれた。

エイズで親を失ったウガンダの孤児たち(写真:安田菜津紀)
エイズで親を失ったウガンダの孤児たち
(写真:安田菜津紀)

CALL4のことは、SNS経由で偶然に知ったのだという。

「難民支援協会の広報の方のSNSで流れてきて。元々、カメルーンの方の事件を知識としては知っていましたし、その3カ月程前の2018年11月にも、ちょうど弁護士さんと一緒に、牛久にある入管(入国管理局)に、収容者の方の取材に行っていたんですね」

地獄と呼ばれる場所

「その年の5月、難民認定申請中に収容されてしまった、トルコ出身のクルド人男性をインタビューしていたんです」

そう話して、安田さんはプラスチック製のストローを断り、アイスティーを直接グラスから口にした。

「そして翌2月の記事公開とほぼ同時期に、カメルーン人男性の死亡事件を担当する弁護士、児玉さんのストーリー記事をCALL4で読んで、寄付しました。twitterでもシェアして支援を呼び掛けたんだったと思います」

私たちがお礼を伝えると、安田さんは「ささやかではありますが」と言い、話を続けた。

フォトジャーナリスト 安田菜津紀

「私の取材したクルド人男性は、日本に難民申請をしてやって来て、日本人のパートナーと出会って結婚。奥さんは妊娠中だったのですけど、強制収容されてしまって。6カ月強の長期収容を終える時にお会いしたんです」

その時に、彼にこう告げられたのだという。

「自分は、日本が凄く好きだ。そして、日本で出会ってきた方が大好きだ」

「ただ、入国者収容所だけが、自分にとって地獄だった」

安田さんは目を開いて、まっすぐにこちらを見た。入管という密室で起きていることを、我々日本に住む人のほとんどは知らない。何が起きていて、収容されている人々は何を感じているのか。情報が表に出てくることは、ほとんどない。

「知らないままにしておくと、力を持っている側のやりたい放題になってしまう、というような言い方を彼はしていました」

「自分は仮放免されたから赤ちゃんに会えた。けれども出産直前に収容され、赤ちゃんにまだ触れられてもいない収容者も、まだ牛久に残っている。その状況を改善するには、知ってもらうしかないんだ。そう話す彼のその言葉が、まだ胸に残っていたんです」

フォトジャーナリスト 安田菜津紀

2014年3月30日、その茨城県牛久市の入国者収容所において、収容中のカメルーン人男性が「I’m dying(死にそうだ)」と胸の痛みを訴え、ベッドから転倒して転げ回っているのを入管職員が監視しながら、「異常なし」として7時間放置し、死に至らせた事件。遺族である男性の母により、2017年9月に賠償請求訴訟が提起された。

「本来は国が責任を持って管理する施設で、ああいう亡くなり方をすること自体が異常だと思うので、私たちはまずは知らなくてはいけない」

「そして私には裁判の専門知識はなくても、今、裁判に向き合っている弁護士さんなり、当事者のご遺族の方々なり、またご遺族を支えている方々を、寄付で少しでも支えることは出来るんじゃないか。そう思いました」

自分の役割と分担

初夏の夕暮れ、既にアイスティーの氷は解け、グラスを曇らせていた。私は聞いた。

―安田さんの周囲には、難民の悲惨な話も多く、ご自身、それを変えていく活動を懸命にされている。そうすると、他の方を応援している場合じゃない、とはならないんでしょうか?

すると安田さんは思いもかけない、という表情で「やっぱり問題と向き合えば向き合うほど、自分に出来ないことも、ありありと見えてきますよね」、と言葉を返した。

「例えば紛争の現場を取材していても、私は医者ではないので怪我人の治療はできない。バリケードも撤去出来ない。いくら私がシャッターを切っても、現地の人々はそこから抜けられない」

「そういう意味では、自分には出来ないことだらけ。でも自分に出来ないことをやってくださる専門家の方と、手を携えることは出来るって思うんです」

今回のカメルーン人男性の訴訟に関しても、「お金を寄付するだけでいいのか、と躊躇される方も沢山いると思いますが…」と、前置きしながら続ける。

「けれども、色んな支援の現場で、やっぱり資金がどれだけ支えになるかを、私は見させてもらってきたので」

「例えば、難民支援の現場に、何か一生懸命に物資を送ろうとするより、その現場にいる人たちで何が必要か判断して、購入できる資金があった方が、現場の人々をより助ける支援になりますよね」

「寄付だけでいいの?と思う方々には、自分の経験を生かして、『それは役に立ちます』と堂々と伝えていきたい。現場で支援されている方を、そんな風に支えることも出来るんだって、知ってほしいんです」

“共感のピース”を生み出す

CALL4が目指すのは、当事者の声を届けるストーリー記事などを通して、縁遠いと思われがちな公共訴訟が、実は自分たちの日常の延長線上にあることを伝えて、共感の輪を広げていくことだ。安田さんは、自身の取り組みにも触れ、そのコンセプトに賛同を示してくれた。

例えば安田さんが自ら撮った写真を掲載し、また文章も自身で綴る、WEB RONZAの連載シリーズ『記憶を宿す故郷の味 ―日本で生きる難民の人々』。シリアの方が丹念に淹れるコーヒーはカルダモンの香り。カンボジアの方が作る豚の角煮は、すり潰した胡椒のスパイシーな香り。取材記事はどれも見ただけで美味しい香りが漂ってくる、そんな料理の写真から始まる。

イラク北部難民キャンプ
イラク北部の難民キャンプ。日常の一コマ
(写真:安田菜津紀)

「私自身が関わっているのは、海外取材で言うと、シリア難民や紛争の問題です」

「何人が亡くなったか、爆撃があったか、それも情報としては勿論、大切。けれども、元々興味がある人でなければ、やっぱり『怖い』っていう感情の、人を遠ざけるエネルギーの方が、圧倒的に強い。もう辛いものなんて見たくない、悲しいことなんて知りたくないって、人は心の扉を閉じてしまうと思うんです」

「じゃあ自然に無理なく、もう一度心の扉を開いてもらうためには、どうしたら」

そんなことを、ちょうど考えていた去年、しばらく隣国の難民キャンプに接していた安田さんは、8年振りに、シリア国内の難民キャンプ入りをする。

「キャンプの食堂で朝、コロッケを食べている時に、『これも食え』『あれも食え』と、現地の方に言われるうちに、バーッと号泣しちゃって。周りはドン引き。『俺たちの用意したコロッケは、そんなに旨くなかったか!』みたいな」

と笑う安田さん。けれどもその時に、共感のピースを生み出せる気がしたのだという。

「“食”は人の優しい記憶を宿している、そして呼び起こしてくれるものなんだ、って気が付いたんです」

フォトジャーナリスト 安田菜津紀

難民問題を知ろうとは中々思えなくても、「何?このコロッケ、美味しそう!」とページを開いてくれた人が、「こんなに美味しそうなコロッケを家族と食べていたのに、離れ離れにならなければいけなかったなんて」と、背景のエピソードまで読んでくれる。そこが、間口になる。

どんな悲惨な場所にも、日々の暮らしがあり、大切な人がいて、食事がある。身近なところから、“私”という軸を少しずつ広げていく行為によって、理解に近づいてもらえたら。そんなまっすぐな安田さんの思いに、心が動かされる。

寄付で応援することは、ポジティブなこと

「私はどんな問題でもまず、気になったら少額でも寄付をしてみることをお勧めしているんです」

その理由は、たとえ少額だったとしても、寄付先の団体はお金を適正に使っているのか、その活動はその後どうなったのか、という風に、関心が持続する接点を作ることができるからだという。関心の第一歩としての、寄付。

大きいホースで水を飲め!と言われているかのように、情報の溢れる現代。その中でも関心を流さないためには、ちょっとした寄付でも、自分の関わった軌跡を残すことが大切だと思う、と安田さんは提案する。

フォトジャーナリスト 安田菜津紀

「CALL4は問題を伝えることだけでなく、具体的に寄付ができる仕組みがあるというのが、さらにポジティブだと思うんです」

「朝起きて、家から勤務先や学校に行くまで、スマホでSNSを見る感覚で、『どんなことが応援できるかな』って、CALL4のサイトを見る。自分も頑張っている人を応援できるって思えることは、勇気につながる面もあると思うから」

どんな悲惨を前にしても、ポジティブな面を見つけ、伝え、変えていこうとする。フォトジャーナリストである安田さんは終始、飾ることなく真摯な言葉を届けてくれた。

「そして、社会課題を自然に知れる。そんな習慣ができていったらいいな、って思います」

そう締めくくりのメッセージを述べてから、「私も聞きたいことがあるんですけど、ちょっと聞いてもいいですか?」興味津々という様子で、こちらに顔を向けた。


取材・文・構成/丸山央里絵(Orie Maruyama)
撮影/雨森希紀(Maki Amemori)