警察がとまどう子に「おまえがやったんだろ」。差別に沈黙せず、たたかう意味
不当聴取を受け個人情報漏洩された母子と、弁護団のストーリー
日本で暮らす南アジア出身のAさんと、当時3歳だった長女のBちゃん。ふたりが警察から長時間、不当な聴取を受け、個人情報が漏洩されたこの事件は、近所の公園でいわれのないいいがかりをつけられたことから始まっていた。
計4時間半におよんだ事情聴取
2021年6月のある日。
Aさんが近所の公園でBちゃんを遊ばせていると、血相を変えた男が近づいてきた。
「ガイジン!」「ザイリュウカード、ダセ!」
男は大声でそういい、ふたりを追いかけ、公園に警察を呼んだ。
その場に助けに入った男性の英語による通訳で、男が「自分の息子が蹴られた」と主張していると知ったAさんは、交番と、地域を管轄する警察署から来た計6名の警察官のひとりに、Bちゃんは男の子を蹴ってなどいないことを説明しようとした。
だが、警察官は「英語、わからない」と繰り返し、男性が通訳してくれるからと伝えても、Aさんの話を聞こうとしなかった。
公園でのやりとりの後、警察は強制力のないなか、任意であることを伝えず、ふたりを警察署に連行した。
警察側は、AさんがBちゃんに食事を与えることも、オムツを替えることも、彼女がトイレに行くことも認めず、事情聴取をするからとBちゃんをAさんから引き離し、10分以上、複数の警察官で取り囲んだ。
そして帰宅を望むAさんに、通報した男にAさんの電話番号を教えることを承諾するよう求め、Aさんが拒否すると、承諾しなければ家に帰さないといって、さらに事情聴取を続けた。
公園で1時間半、警察署で3時間、計4時間半、AさんとBちゃんは事情聴取をされたのち、帰宅を認められた。
この日、AさんとBちゃんに起きたことを順にたどっても、男と警察側に、肯定できることはない。一連の言動からは、彼らの意識の根底にある人種差別、外国人差別が透けてみえる。
彼らに対して理不尽を感じる人は少なくないだろう。でも、これは実際にあったことで、個人や公権力による外国の人たちへの差別は、今も日本のどこかで起きている。
3歳の女の子ひとり、複数の警察官に囲まれて
「最初、Aさんから相談されたとき、本当にそんなことがあったのか、正直、信じられないという気持ちもあったんです。でも、警察で担当者に事実関係を確認し、いろいろ事情がわかるにつれ、自分がそう思ってしまったことを反省しました」と、弁護団の西山温子弁護士は話す。
Aさんたち母子を警察署に連行したこと。詳細はないものの、少なからぬ時間、ふたりに事情聴取したこと。まだ3歳のBちゃんをAさんから引き離して話を聞いたこと。そして男にAさんの名前、住所、電話番号を教えたこと。
警察側の担当者は西山さんの問いに対し、上記のいずれも認めている。
警察側が少なからぬ、と、具体的な時間を明言しなかったのは、事情聴取をしながら、その記録を取っていなかったからだ。事情聴取は3時間に及んでいるのに、記録しないことはあり得るのか。
「本件のような、実質的な身体拘束の状態での聴取で記録なしというのは、あってはならないですね。担当者は、刑事事件じゃないから、一般人だからといい訳をしていましたけど、刑事事件じゃないなら、なおさら聴取が長時間にならないよう配慮するために、記録する必要があると思います」と、西山さんはいう。
そもそも警察官はなぜ、通報した側の一方的な話しか聞かず、ふたりを警察署に連行したのか。
「警察官は私たちをひどい態度で扱い続けました」と、Aさんはその日のことを英語で次のように話す。
「私はそばで見ていたので、娘は男の子を蹴っていないと、警察側に説明しようとしました。彼らが“英語、わからない”というので、“男性が通訳してくれます”と伝えましたが、それでも“英語、わからない”といい、男性を私から引き離そうとしたんです。
公園に行ったのは昼前で、娘は昼食をとっていないからおなかを空かせている、オムツも替えてあげたいといっても取り合ってくれず、彼らは“(警察側のいうことを認めなければ)終わらない、終わらない”といいます。ひとりで複数の警察官に囲まれた娘が泣き叫んでいることに耐えられず、私も泣きました。
私の長男には知的障害があり、彼が学校から戻るまでにはどうしても家にいたかったので、帰宅させてほしいと繰り返しました。でも、警察官は、私の電話番号を男に教えることを承諾しなければ、帰宅できないと、そういったんです」
事情聴取をされたBちゃんは、そのトラウマから睡眠時過呼吸症になってしまい、夜もよく眠れず、今も病院に通っている。それだけでなく、制服を着た男性を怖がるようになったと、Aさんはいう。
警察官が子どもに向かって「どうせおまえがやったんだろ」
後日、Aさんは助けに入ってくれた男性とたまたま近所で出会い、連絡先を交換した。このおかげでその男性に連絡を取ることができた弁護団は、通報者の男がAさんたちに「ガイジンに生きている意味はない」「ゴミ」と叫んだこと、警察官がBちゃんに、「どうせおまえがやったんだろ」「本当に日本語しゃべれねえのか」といった暴言を吐いていたことなど、当日の状況を聞くことができた。
「実はもうひとり、このとき仲裁に入ろうとした年配の男性がいたそうです」と、弁護団の中島広勝弁護士はいう。
「通報した男は、年配の男性にも“老害!”などと叫んでいたことも、その男性から聞きました」
事件の翌日、Aさんは警視庁の「外国人困りごと相談」と法務省の「みんなの人権110番」に電話をして、自分の身に起きたことを相談している。それぞれに40分ほど事情を訴えたものの、窓口に動いてもらえなかったため、弁護士に相談することにした。
「訴訟は時間的にも金銭的にも負担が大きい上、Aさん母子が公に出ることで、いろいろリスクも生じます。それでまずは東京都公安委員会に苦情申出を行いました」
苦情申出とは、警察官の職務執行への苦情を、公安委員会を通じて文書で申し出る制度だ。公安委員会は警察に調査するよう指示し、その結果は申出者に通知されることになっている。
弁護団は、警察官によるAさん母子への不当聴取について、2021年7月5日に苦情申出をしている。だが、2カ月半のあいだに数度、問い合わせをしたものの返事はなく、9月22日、弁護団は訴訟を提起した。
外国人であることが捜査の理由になる理不尽
2021年11月末に、CALL4で公開されたこのケースのクラウドファンディングは、当初の目標額に5日間で到達した。サポーターの数も2ヵ月ほどで500人を超えたように、少なからぬ人がこの問題に関心を寄せている。
「日本でこういう差別的な事件が起きていると、問題提起をしたくて訴訟を起こしたので、これだけ多くの方に賛同いただけたことに、私たちはすごく勇気づけられています。
裁判所は、ヘイトスピーチに対してようやく重く受け止めつつありますけど、訴訟自体、まだ個人対個人のケースが大半です。今回のように公権力が外国人差別を行う、あるいはそれを助長していることについての訴訟はまだ、ほとんどないと思います」
その理由について、西山さんはこう話す。
「外国の方にとって、たとえ差別を受けても、目につくような行動を起こせば、在留資格を失うかもしれないという不安もあって、国や地方自治体を相手に訴えるのは、ハードルの高い行為なんです。
最近は日本でも、警察が外国人であることを理由に捜査対象にする、レイシャルプロファイリングが問題になっていますが、この事件のことが知られ始めると、自分も同じような経験をしたけど泣き寝入りしたという方から、クラウドファンディング先を知りたいと、英語で問い合わせを受けました。
Aさんも、これは自分だけじゃなく日本で暮らす外国人の問題で、正されるべきことだと考えて、訴訟に踏み出したのだと話しています」
都合のよい話だけを引き出そうとする警察の姿勢
事実関係の確認のため、警察の担当者から話を聞いた西山さんは、そのときのやりとりについてこう話す。
「私が“Aさんは、Bちゃんは男の子を蹴っていないといっていますよ”と伝えると、担当者は“そんなことはない。(Aさんは)自分は見ていなかったから、(蹴ったか蹴らなかったか)わからないといった”と、答えました。
“じゃあなぜ3時間も、警察署で事情聴取したのですか”と、私が聞くと、“いや、それは……”と口ごもって、理由を説明することはありませんでした」
西山さんやAさんから警察官の対応を聞いていて気になったのが、警察側が、母語が異なる人とどう向き合おうとしているかだった。公園で“英語、わからない”といった彼らは、詳細を聞くという大義名分で、Aさんたちを警察署に連行したはずだった。
だが、手配したのはAさんの母語ではない英語での通訳で、しかも、通訳者はその場に同席せず、電話を通じてというものだった。
ことばの問題について、弁護団の林 純子弁護士はこう話す。
「公園には、通訳してくれる男性がいました。でも、警察側は、自分たちは英語ができないからと、Aさんと話すことを拒否する姿勢を取りました。彼らはことばの問題を、話を聞かない理由にしたところがあるのではないかと思います」
林さんの話を受けて、中島さんがこう続ける。
「自覚はないかもしれませんが、そもそも警察側には外国の人の意思や考えをきちんと聞く気がなくて、だから通訳も、かたちだけつけておけばいいとなってしまうのでしょう。
Aさんが伝えようとしていることを理解しようとするのではなく、自分たちに都合のよい話を引き出そうとする。事情聴取はそのための3時間だったのでは、と思います」
中島さんは、警察側の行動における自覚のなさや無意識を指摘する。だが、一連の言動に自覚がなかったとすれば、それもまた、根深い問題ではないだろうか。
「おそらく警察側が、自分たちに差別的な意思があったと認めることはないでしょう。でも、私たちは、彼らの無意識に、外国の人への差別があることを見てとりました。裁判では、その無意識の差別をしっかり認めてほしいですが、ただ、それは立証するのが難しいことだとも思っています」
国際的なスタンダードに準じる人権機関が必要
事件の翌日、Aさんはみずから警視庁と法務省に電話で相談をした。弁護団も、まずは公安委員会に苦情申出を行った。だが、窓口はかたちだけのものなのか、いずれも相談者が納得できる対応をしていない。
また提訴された警察は、証拠(録音)がないのを盾に、Aさんは警察署で、Bちゃんに食事を与えたい、オムツを交換したい、トイレに行きたい、帰宅したいと訴えていないし、自分たちはAさんに男のいい分を認めさせようなどとはしていないと、一連の事実を否定している。
日本にも、政府から独立した立場で公権力を調査し、市民が相談できる人権機関が必要な時期は来ていると、西山さん、中島さん、林さんは口をそろえる。
「昨年3月、名古屋出入国在留管理局(入管)の収容施設で亡くなったスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんの弁護団が文書開示を求めたときも、約1万5000枚の資料のほとんどが黒塗りだったように、強制力のないなかで調べようとしても、ああいう結果になってしまうんです。
事件が起きたとき、調査をして、相談者の人権救済に結びつける。公権力が人権侵害をしていないか、監視し、人権教育を行う。人権に関わる法制度を整備する際、政策提言を行う。他の国とも協力して人権教育を行う。
先進国ではすでに確立されている、国際的なスタンダードに準じる人権機関が日本にも必要だと、今回、改めて思いました」
「警察や入管でも、職員に対して人権教育が行われていないことはないでしょうけれど、ただ……」と、中島さんはいう。
「どんどん変わり、新しくなっている社会の価値観をアップデートしているかというと、やはりそうではないでしょう。入管の動画や資料を見ても、外国の人たちの人権に気を遣っているようには感じられません」
「警察も入管も、基本的には外国人を管理の対象として見ていて、人権を守るという視点が欠けていると思います」といって、林さんはこう続ける。
「私のなかには公権力による人種差別は絶対、許せないという気持ちがあるんです。社会にはいろいろな人がいます。残念ながら差別をする人はいて、そこに他者のコントロールはなかなか及びません。
公権力は本来、差別のない社会に向けて、これから日本が進んでゆく姿を示すべきものです。でも、チェック体制がないこの状況下、公権力はいいたい放題、やりたい放題です。警察や入管が、自分たちの権力を笠(かさ)に差別を行えば、社会がよくない方向に行くことは間違いないので、それを許してはいけないと思っています」
この社会に生きる誰の身にも起こり得ること
公権力の横暴を許してはいけない。林さんがそう強く思うのは、2010年10月に『警視庁国際テロ捜査情報流出事件』が起きたときの経験があるからだ。
「当時はまだ弁護士になる前でしたが、弁護団の活動には関わっていたんです。警察庁公安部から流出した内部資料は、ムスリム(イスラム教徒)であることだけを理由に、すべての在日ムスリムを監視していることを赤裸々に示すものでした。このような横暴を許したら、警察の恣意的な判断や偏見で、一般市民の人権を無視した捜査や活動が行われてしまいます。それが仕方ないと受けとられる社会になることへの危機感は、ずっと持っています」
難民訴訟など、外国の人から相談を受けることが多い中島さんは、公権力が差別的な言動をとることの危うさについてこう語る。
「ヘイトスピーチをする人は、残念ながら少なくありません。そして今回もAさんたちへの暴言が助長されたように、警察官がそれを止めなければ、彼らは自分のやっていることは“お墨付き”と受けとってしまいます。
公権力や政治に関わる人たちは、自分の発言が及ぼす影響を自覚する必要があります。警察や入管の職員は、差別を容認していると思われないよう、行動に気をつけ、差別はだめだと強くアピールするべき立場にいる人たちです。でも、彼らにはその自覚があまりになさすぎるんです」
外国の人の民事事件や入管関係の仕事を続けてきた西山さんも、
「もちろん外国の方の人権は、今回の大きなポイントではありますけど、それだけではなくて。この訴訟は、誰もが差別や監視を受ける対象になる可能性を、自分事として考えてもらう機会になり得ると思うんです。
今回のことは、日本国籍を持つ人と比べて立場の弱い外国の方の身に起きましたが、弱い立場の人が迫害されないように、彼らが社会で認められるように状況を変えていきたいですね」と話す。
同じことが繰り返されない公正な社会へ
ヘイトスピーチをする人は、自分と相いれない意見の持ち主を躊躇(ちゅうちょ)なく攻撃する。そのリスクを知りつつ、Aさんは声をあげた。
「私は日本に10年ほど暮らしていますが、日本人の大半は平和的で親切な人たちです。日本は素晴らしい国だと思っているし、今までこのような経験をしたことは一度もありません。
これは、私が直面した、人生で最悪の出来事です。彼らのようなごくわずかな人が、他人をトラブルに巻き込んでいるんです。
男の子はケガをしていないし、泣いてもいないのに、父親は事実無根のつくり話をしました。でも、警察官は通報した男の話を一方的に信じ、何もしていない私たちを犯罪者扱いしたんです。
私の母国では、女性が警察に連れて行かれることは人々に最悪の印象を与えます。それは、私が人としての威厳、他者からの敬意を一切失うことに他なりません。
誰にも、他人を傷つける権利はありません。ことばにおいても、精神においても、肉体においても、です。たとえ外国人であっても、日本人同様、平等に扱ってもらいたいと、私は望みます。
今回のことで私と娘の魂は、深く傷つきました。でも、だからこそすべての人の正義のために声をあげなければ、次の被害者が生まれてしまうと思うのです」
もし、Aさんが行動を起こさなかったら。助けに入ってくれた男性と再会できず、当日、公園で起きたことについて、弁護団が彼に詳細を聞くことができなかったら。
Aさんたち母子の身に起きたことは、公権力の前に泣き寝入りする、日本や世界の各地で起きている出来事のひとつになっていたかもしれない。
でも、Aさんは声をあげた。弁護団の方々も、社会をよくするためには公権力による人種差別という暴力は、決して認めてはいけないものだという意識や価値観を根づかせたいと、代理人を引き受けた。
誰もが安心して暮らすことができるように。公正な社会の実現を目指す裁判が始まった。
取材・文/塚田恭子(Kyoko Tsukada)
撮影/柴田大輔(Daisuke Shibata)
編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)