一点の曇りもないと黙秘をし、身柄拘束され続けた331日間

2022.1.12

無実で約1年勾留された、大川原さん、島田さんのストーリー

「供述調書は毎回、取り調べの行われる前から、できあがったものが用意されていた。鉛筆も持たせてもらえなかった。その文章を直してほしいと、頼むことしかできなかった」と島田順司さん。

「私たちは、11カ月の間、留置所から拘置所へと、身柄を拘束され続けました。取り調べに行くときには腰縄に手錠でつながれ、パイプ椅子にくくり付けられて」と大川原正明さん。

これは、日本の機械メーカーの役員3人の身の上に起こった話である。

▲大川原化工機株式会社 代表取締役社長 大川原正明さん

大川原化工機株式会社の役員であった大川原正明さん、島田順司さん、相嶋靜夫さんは、機械の輸出について外為法(外国為替及び外国貿易法)違反の疑いを受け、1年半、会社や自宅で取り調べを受けた後、2020年3月に逮捕された。3人はそれから2021年2月まで一度も保釈されなかった。

保釈の後、裁判の進む7月になって東京地検はこの件を起訴取り消しとした。12月には満額の刑事補償がなされた。無罪が認められたのと等しかった。

<刑事訴訟法 第60条>
裁判所は、被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合で、左の各号の一にあたるときは、これを勾留することができる。
一 被告人が定まつた住居を有しないとき。
二 被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。
三 被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

法律上、身柄の拘束は、犯罪の嫌疑があり、住所不定や罪証隠滅・逃亡のおそれ、そして勾留の必要性があるときにのみ認められるものである。はずである。

しかし、外為法の解釈が確立しておらずそもそも「犯罪の嫌疑」の存在が疑わしかった件で、すでに十分に取り調べを受けており会社も住所も明らかだが「黙秘していた」3人は、起訴されたうえ、身柄を拘束された。

起訴が取り消しとなった後の2021年9月、大川原社長らは、「捜査機関が自分たちを起訴したのは違法だ。自分たちの身柄が拘束されたのも、犯罪の嫌疑を合理的に判断しておらず、違法な逮捕・勾留請求、取り調べに基づくものだった」として、国と東京都に対し、損害賠償を求めて国家賠償訴訟を起こしている。

▲最寄り駅から大川原化工機株式会社へと向かった

大川原化工機と3人の役員

新横浜にほど近い鴨居の駅から土手を行くと、地元の企業や工務店が並ぶ地域に「大川原化工機」という標識が見える。

大川原化工機株式会社は、設立から40年、日本において「スプレードライヤー」の製造・技術をけん引する機械メーカーだ。「スプレードライヤー」とは、「液体を粉にする機械(噴霧乾燥機)」で、コーヒーやカップ麺の粉末に始まり、電信部品やセラミック、医薬品・漢方薬に至るまでさまざまな分野で使われている。

もともと技術者だった大川原さんが取締役社長を務めるこの会社では、2020年当時、島田さんが取締役を、元・専務の相嶋さんが顧問を務めていた。島田さんと相嶋さんは、「時にはお互いの責任感からケンカすることもあったが35年間一緒にやってきた」同年入社の二人だった。

「機械貿易の仕事をしたくて入社した」という島田さんは、「ずっと貿易輸出を担当していた」と業務を振り返る。「スプレードライヤーを海外に輸出するにあたって法令を遵守し、武器転用などをされないように各顧客に誓約書をもらうのも私の仕事でした」

▲大川原化工機株式会社で役員を務めていた島田順司さん

あいまいな法令の定義

「私たちのスプレードライヤー機械を輸出するにあたって外為法の許可(経済産業大臣の許可)が必要かどうかは、実は日本では、法令の定義があいまいで、ずっと問題にされていなかったところでした」大川原社長が説明する。

▲今回問題となったスプレードライヤー。インスタントコーヒーの粉など、液体から乾燥粉を作るために用いられている

国際基準上、機械の国際輸出管理に関しては、武器転用などを防止する「AG(オーストラリア・グループ)のハンドブック」という基準がある。その機器リストの中に、スプレードライヤーが追加されたのは2012年のこと。

ハンドブック上は「装置を分解しないで滅菌(sterilized)または化学物質による消毒(disinfected)ができる装置」が規制を受ける機器リストに挙げられた。

ところが、このAG基準を受けて改正された日本の政省令では、実務上も国際的解釈でも「化学物質による消毒」を意味する‘disinfected’が、明確な定義を欠く「殺菌」と訳され、解釈にあいまいさを残すことになった。つまり、化学物質によらず熱風などを使って微生物を死滅させられる場合でも「殺菌ができる機械」として規制の対象と解釈される余地を残してしまった。

「技術者の現場ではごく当たり前に使われている言葉が、日本の法令では定義がないばかりか、異なる解釈ができる状況になってしまった。他国では、AGの定義は同一の意義を有する概念として法令化されているのに」大川原社長がいう。

「機器の輸出を管轄する経済産業省も、定義のあいまいさを認識していたのでしょう、『滅菌又は殺菌』の解釈を周知していなかったし、許可申請をしたことのある企業は日本で1社だけであるにもかかわらず、全国の会社に対して一度も行政指導は出されていなかった。もちろん私たちの会社に対してもです」

それが2018年10月になって、会社は捜索差押を受け、書類やパソコンを押収された。

「私たちの会社が問題にされたのは、定義があいまいだったところ――『殺菌』ができる可能性のある機械を海外に輸出したというところ――でした」

▲和やかな二人の表情は、捜査の話になると翳(かげ)った

1年半も捜査した後の身柄拘束

2018年10月に捜索差押を受けてから、会社は警察に全面的に協力し、資料を多数提出し、任意で取り調べを受けた。取り調べは、社長や役員以下の従業員48人、合計264回にもわたった。

「会社は1年半のあいだ、捜査に協力した。捜査の内容のほとんどが、『この機械は滅殺菌できるかどうか』、『それを役職員一同が知っていたか』でした」

「捜査機関はトラック3台分の資料を持って行った。会社が出せるものすべてをさらけ出していた矢先でした」

▲社員が静かに働く執務フロア。捜索差押え当時の面影はない

2020年3月11日のことだった。1年半の任意捜査の後に、大川原社長、島田さん、相嶋さんの3人は逮捕された。

「今さら何を隠すのだろうと思った」というのは大川原社長。「客観的に外為法違反に当たるかどうかの判断材料は、1年半で集めているはずです」

被疑者の勾留は法律上、犯罪の嫌疑があり、勾留の必要性があり、住居不定、罪証隠滅・逃亡の恐れ(勾留の理由)がある限定的な場合にのみ許容されるものである。はずだ。(刑事訴訟法207条1項、60条)

1年半も任意捜査に応じて犯罪の嫌疑を吟味するための資料はすべて出し、会社の所在地や住所もはっきりしていて簡単に夜逃げもできないような役員3人は、それでも、逮捕された後に勾留された。―――長い身柄拘束のはじまりだった。

すでに作成されていた調書

逮捕されてから、再逮捕、起訴までの3カ月間、3人は被疑者として留置所に拘束された。

「毎日2回、警察の取り調べがありました。警察での尋問は平均2時間。検察庁での取り調べはあわせて14、5回くらいあって、土日も検察庁に連れていかれました」大川原社長が振り返る。

「取り調べに移送されるときは腰縄に手錠をかけられます。20人くらいが手錠を鉄輪で通して一列につながれて、『下を向け』とか『口をきくな』とか大きな声で怒鳴られながら歩かされる」

「取り調べ中は、身体ごと腰縄をパイプ椅子に括り付けられます。拘束されたまま、手錠は両手にかけられていたものを片手錠にされて、尋問に移る」

▲島田さんが当時の様子を絵にしている

隣で島田さんもうなずく。「身体検査では真っ裸にされる。法律違反の『疑いがある』と、このような屈辱的な扱いをされるのだということに驚きました」

「それだけではなく、取り調べのときは『おまえ、言いたいことがあるだろ』とか『なぜ言わない』とか、高圧的に言われる。『社長や相嶋さんと違っておまえだけしゃべってない』と、保釈後にうそと分かったことも、何度も言われました」島田さんは振り返る。

「でも、こちらが何を主張しても一切供述書にはならない。事前に作られている供述書には、最初から『不正に』、『故意に』という文言や、『分かっていて』、『ずさんに』という文言が入っていた。削除してほしいと頼むと、『では、ここを直す代わりにこの文言を入れる』という交換条件を出される。毎回そうでした。私もずっと否認していましたが、結局、調書を直しきれずにサインしてしまったこともありました…。また逆に、弁解を認めてくれない取り調べに対して、手が震えてサインできなかったこともあった」

「言いたいことを抑えるのは、本当に苦しかった」

それでも3人は黙秘を続けた。

▲大川原さんは最初から最後まで完全黙秘を貫いた

終末医療を要する段階になっても認められない保釈

起訴後も、3人の身柄拘束は続いた。弁護士たちは、たびたび保釈を請求したが、請求は通らなかった。

「起訴後、裁判(公判前整理手続)を担当する裁判官も、令状部(勾留や保釈の決定権を持つ)の裁判官に対して、『この事件はこんなに長期拘束される事件ではない』とメモを差し入れてくれたようで、年末の12月28日にやっと保釈が通りそうになりました。そうしたら、検察庁から準抗告があって、その日のうちに覆された。いとも簡単に、覆された」と大川原社長。

島田さんは、「正月が迎えられなかったのは本当にショックで、涙が出てきました」という。「でもここで苦しんじゃいけないと思った。私は悪いことをしていない。一点の曇りもないと思って耐えました」

「私は、拘置所に移ってからも、妻にすら1度も会えなかった。11カ月、ずっとです。面会を申請しても通らない。会えるのは弁護士だけでした。会社や社員がどうなっているか、家族がどうなっているかも分からなかった」

「その中で、顧問の相嶋さんが拘置所の独房で倒れたという噂だけ聞いた。でも相嶋さんが癌(がん)だったなんて、知らなかった」

▲島田さんは言葉を絞り出すように、同年入社の相嶋さんの話を聞かせてくれた

顧問を務めていた相嶋さんは胃癌に侵されていた。しかし捜査機関は、相嶋さんの癌が進行し、終末医療を要する段階になっても保釈を認めなかった。弁護人は7回も保釈を請求したが、すべて却下された。身柄拘束も7カ月を迎えた2020年の10月になってやっと、相嶋さんは、短期間だけ勾留を停止する「勾留執行停止」の手続きで病院に運ばれた。病床で相嶋さんは、いつまた拘置所に戻されるか分からない状態だった。

「私が相嶋さんの容体を聞いたのは、保釈当日の2月5日でした」島田さんが言う。

大川原社長と島田さんが保釈された2日後の2021年2月7日、相嶋さんは、進行胃癌のために死去した。

日本の刑事司法が「人質司法」と呼ばれるのは

本件の起訴後、しばらく裁判の進んだ7月末のことだった。その日の裁判期日では、捜査機関が捜査開始時に作成した資料(捜査メモ)が開示される予定だった。ところが急に、検察庁から「この件は起訴を取り消しとする」という申請がなされ、裁判所による公訴棄却決定で裁判は終焉(しゅうえん)を迎えた。

いったん起訴された後に取り消しとなることは、不起訴の場合と違って非常に稀(まれ)だ。

「結局、実機で実験をしたところ、私たちの機械では、たとえ捜査機関の主張する『殺菌』の定義に乗ったとしても機械全体には殺菌を行きわたらせることができないということが明らかになった。つまり、捜査機関側の解釈をとっても外為法違反にはならないということでした」大川原社長が説明する。

「検察側も裁判を続けることを断念したのでしょう。それだけではない、強引な捜査・立件がされていたという証拠、捜査メモを開示したくなかったのかもしれない」

起訴の要件として「犯罪の嫌疑」が必要であることは、捜査機関であれば当然分かっていたはずだ。そのうえで「嫌疑」の検討をおろそかにして起訴を行い、身柄拘束を続けた捜査機関の責任を追及する――それが、大川原社長と島田さん、そして相嶋さんの遺族による国家賠償訴訟になる。

「そもそも、任意捜査を1年半も続けた後の段階で、果たして捜査機関は彼らを逮捕する必要があったのでしょうか」この訴訟で代理人を務める高田剛弁護士は言う。

「結局これは、自白を取るための逮捕・勾留だったのではないでしょうか」

ある行為が犯罪として成立するといえるためには、客観的に法律違反の構成要件に当たったうえで、故意があると言えなければならない。

「捕まえたら不安になって、怖がって、認めるだろう。特に本件は会社の役員が相手だから、役員は自分の信念を曲げても会社のために自白するだろう。……そういった考えも捜査機関には働いていたのではないかと思います。逮捕・勾留されることで会社への社会的な風当たりは強くなりますし、融資がストップすることもあります」

大川原社長は警察で、「有罪になっても罰金刑で執行猶予つきで終わるのだから、認めろ」、と直接的に言われたという。

「日本の刑事司法の運用が『人質司法』と呼ばれるのは、こうして、事件を有罪にするため、そのための自白を得るために、身柄拘束が行われるからです」

▲和田倉門法律事務所代表の高田剛弁護士。本ケースのクラウドファンディングも主催する

憲法 第38条>
①何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
②強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
③何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

もとより、国家機関による身柄拘束は最低限でなければいけない。身体の拘束は、人の自由に対する大きな制限だからである。

人質とは、「交渉を有利にするために身柄を拘束された人」。ここは近代国家。自由の制限と引き換えに「自白」を得ようとするという「交渉」が、今も存在するということの持つ意味は何なのか。

会社を出ると、強い日差しの中で冷たい風が吹いた。

「逮捕直前の2020年2月」、島田さんの言葉が風に乗って流れる。

「原宿署で取り調べに応じているときに、相嶋さんと会った。『これが全部終わったら、島田、一杯やろうな』と声をかけられた。それっきりになった」

捜査機関も事実上無罪と認めた事件、裁判官ですら「こんなに長期拘束されるべきではない」と言った事件で、長期間身柄を拘束された3人の役員は今、一人減って、「国家賠償訴訟を通じて名誉の回復を求めたい」と、会社の前に立つ。


取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/保田敬介(Keisuke Yasuda)
編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)