ひとりの自由な人間として、理由のない兼業却下に声をあげる

2021.11.9

「教育公務員の兼業のあり方を問う訴訟」をめぐるストーリー

都立高校で公民科の教員を勤める原告、ペンネーム・パパ頭(ぱぱあたま)さんの趣味は、漫画を描くことだ。プライベートで描いていた漫画にある日、出版社から単行本化のうれしいオファーが舞い込んだ。そこで、パパ頭さんは学校を通して教育委員会に出版の兼業を申請。しかし1カ月後、申請書類はそのまま返却されてきてしまう。許可通知でも不許可通知でもない。申請そのものが「なかったこと」になったのだ。

憧れの出版の機会をここであきらめるか、それとも隠れてやるか。決断を迫られたパパ頭さんは、そのどちらも選ばずに提訴に踏み切る。彼は言う。

「理由が知りたいんです。訴訟にはきっと何年もかかるし、お金もかかる。けれど、あとに続く人のためにも今、向き合う価値はあると思いました」

戻ってきた兼業許可申請書

2017年に第一子が誕生するのを機に、パパ頭さんが「今の気持ちを日記に残すつもりで」描き始めたのは、育児のエピソードをつづるコマ漫画だ。夜に仕事や子どもたちの寝かしつけを終えた後、漫画を描く就寝前の時間は、創作好きな夫婦の憩いのひとときでもあるという。

週1回1ページ程度をコツコツとTwitterに投稿していたところ、次第に子育て世代を中心に評判が広がって、フォロワーは現在約9万人に。そして、大手出版社の編集者から単行本化の声がかかる。「男性による育児参加を促す社会的な意義がある」という熱心な申し出だった。

▲漫画には、パパ頭さんと妻、長男「にに」、次男「とと」の宝物のような日常が描かれる

そこでパパ頭さんは、2020年8月、兼業許可申請書を所属校に提出。校長は直接申請書を受け取り、その場で所属長の意見欄に「本兼業は勤務外のものであり本務への影響はないと考える」と記載したうえで、東京都教育委員会に提出してくれた。

ところが1カ月後、申請書はそのまま校長経由で返却される。なぜ却下の理由さえ知らせてもらえないのか。悩んだパパ頭さんは、意を決して教育委員会宛てに手紙を書くも、返ってきたのは「基準に基づいて判断している」といった趣旨の短い文面のみ。そこで人生で初めて法律家へ電話をかけた。

そのときにつながった竹内明美弁護士と船戸暖弁護士による、兼業内容の詳細と本務への支障がないことの指摘、兼業を許可すべきとする主張の意見書も添えて再度、兼業許可申請書を提出するも、再びそのまま書類は返却されてしまう。校長を通じて「なぜ不許可なのか。せめてその理由を知りたい」と不許可通知の発出を教育委員会に求めても、やはり受け取ることはかなわなかった。

教育公務員の兼業のあり方を問いたい。そう決意したパパ頭さんは、2021年5月、訴訟を提起する。

裁判で明らかにしたいこと

「法律には、はっきりと書いてないんですよ」

本件の代理人を引き受けた竹内弁護士はそう言って、本訴訟を解説してくれた。

まず、今回の兼業に関係する法律は二つある。一つは「教育公務員特例法」。17条に「教育公務員は本務に支障がないと任命権者が認める場合、教育に関する兼職や、教育に関する他事業に従事ができる」と定められている。

そしてもう一つは「地方公務員法」。38条に「職員は任命権者の許可を受けなければ営利企業への従事はできない」と定められている。いずれの法律も、兼業は許可を得る必要があり、任命権者にその判断を委ねている形だ。

▲「立川フォートレス法律事務所」の竹内弁護士は六法をめくって該当箇所を示してくれた

都立高校に勤めるパパ頭さんの場合、この任命権者は東京都教育委員会となる。被告から証拠として裁判所に提出された、「学校職員の兼業等及び教育公務員の教育に関する兼職等に関する事務取扱規定」という規定によれば、兼業を承認しない条件は以下の通りだ。

まずは、職務の遂行に支障をきたしたり、心身の疲労により能率に悪影響を与えると認められるとき。パパ頭さんの場合、「勤務時間外に1日2時間の週4日」という内容で申請しているため、これらは当てはまらない。出版社とのスケジュール調整も済んでいた。

ほかには、兼職先の団体が請負や物品の購入等について関係があるときや、勤務校と密接な関係にあるとき。職の信用を傷つけたり、都民の信頼を損なったりして、学校教育に疑念を抱かせるものであるとき、と並ぶ。

「この公(おおやけ)にはされていない都の規定を見ても、どの非承認の条件にも当てはまっていない。なぜ今回の兼業がだめなのかはやっぱり分からないんです」

「裁判所は現在、もし申請を受け取って不許可にしたのならば、不許可通知を出すようにと教育委員会に言っています。まだ提出はされていませんが、“なぜ却下したのかを答えてください”、というところまでは来ています」

今後の裁判の行方に注目したい。

この訴訟が社会に問うもの

あくまでプライベートな時間に、誰にも迷惑をかけず創作した漫画を、より多くの人に見てもらえる機会に恵まれて出版をする。多額の印税が保証されたような契約でもない。

そもそも教育委員会に、今回のパパ頭さんの漫画出版を認めない権限はあるのだろうか。

憲法22条1項で「職業選択の自由」は誰にも保障されている。過去の裁判例からも、労働者が労働時間外の時間をどのように利用するかは基本、本人の自由とされている。そこに制限をかけられるのは、職務に支障をきたしたり、信用を失墜する可能性がある場合だけだ。

私たちは勤め人である前に、ひとりの自由な人間なのだ。竹内弁護士は主張する。

「兼業に対して日本は厳しい見解の時代が長かったと思うんですが、職務に従事しなきゃいけない時間ははっきり決まっているわけで、たとえば雇用先がそれ以外の時間に何をするべきか、しないべきかは本来的には言えないはずなんです」

▲本件は竹内弁護士と、パパ頭さんの漫画を以前から知っていた船戸弁護士の2名で担当している

ただ公務員の場合には、民間に対する公正、公平さを保つ基本的な理念があるため、一般的な企業勤務者や専門職に比べてより高い倫理性が求められる側面はあるという。

「とはいえ、じゃあ家に帰ってお給料をもらっていない時間まで縛られなきゃいけないのか。そこは憲法上の人権の問題だと思っています」

実際、アメリカやイギリス、ドイツなどの欧米諸国では公務員の副業は原則自由。申請も不要。むしろ制限を課すことは個人の権利の侵害につながるという見方がスタンダードだ。

公正さを担保して、未然に問題を防ごうとするあまり、日本は個人の権限に規制をかけすぎてはいないのか。申請制度を運用するのであっても、承認・非承認の基準はしっかりと示すべきだろう。

「基準を一切示さずに申請をさせて、ダメだったらそれを受け入れろ、というのはあまりにも行動の制約が大きいですよね」

今回のいちばんの問題を竹内弁護士はあらためて指摘する。

「人の自由や権利をあいまいな基準で侵害するのは許されない。そのメッセージにおいて、本訴訟には公共的な意義があると思っています」

手元にきたカードを切る勇気

「“手番”が来たなっていう感覚があって」、パパ頭さんは提訴を決意した理由をそう表現した。

▲パパ頭さんは今年で教師10年目。高3のクラス担任を務める

「おそらく今、僕と同じような状況で兼業を自粛している人が一定数いるはず。今後ますますそういう人たちが増えていくだろうと予測したときに、もし自分がいろいろ無視して出版をしたとしても、手札をまた次の人に渡すだけになるな、と思ったんです」

今回の訴訟の目指すところは、教育公務員の兼業基準のオープン化。職員たちがどういう条件ならば自分の活動が認められるのかをきちんと理解して判断ができる建設的な体制だ。

それぞれの持っている能力が十分に生かされないことは、組織にとっても個人の人生にとってももったいない。生徒たちへ還元できるものも少なくなってしまうのではないか。そう話すと、パパ頭さんは生徒とのエピソードを教えてくれた。

「たとえば自分が実際に育休を取ったときに、生徒が僕のところに聞きに来たんです。『育休は取りにくくなかったですか?』とか『周りからどんなことを言われました?』とか。かなり早いですけど、気になるんですね」

最近では卒業生からも、突然連絡が入ったという。

「今、就活中だけれども、実は小説家デビューをしていて、就職しながら小説も書いていきたい。けれど父親から『兼業している人と、本務に専念できる人、企業が求めるのは後者だ。中途半端なことはやめなさい』と言われたんだそうです。そういう悩みを持つ生徒に対して、自分の経験を還元できるようになれたらとは思います」

「非常に速いスピードで変化する今の時代、子どもたちにその社会の中で生きていく力を身に着けてもらうためには、教員自身がその変化する社会の中である程度の経験を積んで、自分の立ち位置から見えている景色を子どもたちに伝えていくことが重要な意味を持ってくると思うんです」

そう話すとパパ頭さんは、「まぁ、そのまま自分に返ってくるんですけどね」とはにかんで笑った。

見えない基準

不動産賃貸業や投資、著作物の発行、マスコミ出演、家業の手伝いなど、公務員で兼業を行っている人たちは今も多く存在する。弁護団は現在、証拠集めのリサーチを行っている。

任命権者の裁量が非常に大きい、と竹内弁護士はこれまでに聞いた話を分析する。書籍出版については、兼業申請が認められる人がいる一方で、秘密で行っている人もいるようだ。

「正式にダメと言われると本当にできなくなるからこっそりやるか、諦める人も多いのかもしれません」

「これは伝聞なので真偽はわかりませんが、コミックマーケットで同人誌を売って100万円ほど利益が出て、どうやら処分された事例があるらしいとも聞きました」

「ほかにもたとえば、ある慈善活動をされている公務員の方は、公にはしていないそうです。職場の方に、“そういうそぶりを見せられちゃうと禁止しないといけなくなるから”というようなことを過去に言われたことがあるからと話されていました」

基準の見えない制限によって縛られ、人生の可能性を失ったり、本来なら無用のはずの後ろめたさやリスクを抱えて苦しんでいる人が、パパ頭さんの向こうに大勢いるのだ。

「パパ頭さんの生徒だってもう高校生なわけじゃないですか。しっかり自分たちの頭で考えられる年齢です。どうして先生の兼業を認めなかったのかを、もしきちんと彼らに説明できないのだとするとやっぱりおかしいですよね」

竹内弁護士の言葉に、向き合う私は大きくうなずいた。

▲パパ頭さんのリュックには、家族のキャラクターのキーホルダーが揺れる

長年の夢だった

仕事に育児に多忙な日々でも4年間、やめずに少しずつ漫画を描きつづけてきたパパ頭さん。執筆の動機を、ゆくゆく育児に葛藤するであろう未来の自分に対して、何かあたたかい気持ちになれるものを残しておきたい気持ちが強かったと語る。

育休は、長男誕生時に約1カ月。次男のときは3カ月ほど取得した。当時の様子を訊くと、「本当にあっという間でしたね」と、勢いよく言葉が返ってきた。

「もう、朝から晩までどっちかが起きてますから。長男がお昼寝しているときが唯一の立て直しタイミングだったんですけど、第二子が誕生してそれもなくなったので、ひたすらに消耗戦で…」

育児はエネルギーを使う。余裕がなくなって周囲に、あるいはパートナーや子どもにイラッとしてしまいそうになることもあるという。

「子供って絶対的にかわいい存在。でも精神的な余裕がないと、そのかわいさが受け取れなくなるんですよね。なので、育児で苦しくなっちゃったときに、気持ちが柔らかくなるというか、ネガティブなものを吸収してくれるスポンジみたいな作品が皆さんにも届けられていたらいいなと思っています」

編集者から単行本化の声が掛かったときは、どんな気持ちだったのだろう。私が訊くと、それまで少し緊張した様子で真剣にインタビューに答えてくれていたパパ頭さんは、顔をほころばせた。

「単純に、驚きと喜びがありました。子どもの頃からずっと漫画を描いてきて、学生時代は出版社に持ち込んだこともあったので、出版なんていうのはもう夢のまた夢、みたいな感じで」

たたかう人の背負うもの

しかし、その喜びは一転する。

「最初にこの弁護士事務所の扉をたたいたときは、本当に孤独感が大きかったです」

「各所に要件を問い合わせても良い対応は得られず、お世話になっている校長や周囲にも迷惑をかけているのかもしれない。普通はしないことをやっている迷惑な人間になっているのかもしれない、という不安が深まっていきました」

暗黙の了解のように誰もが触れずにきた箱をなんとか開けようとするパパ頭さん。本人ははっきりとは言わないが、たとえ自由な校風だったとしても、学校という組織の中で冷たい言葉や視線を浴びた数は決して少なくないのではないか。

▲Twitterで書籍化の話が流れたことを一度だけつぶやいたとき、上の立場の人から消すよう助言を受け、悩んで消したこともあったという

「自分がしていることが声をあげるに値する行為なのか、確かめようにも一人でできることには限界を感じていました」

そう当時を振り返る。しかし今は弁護団と 250人を超えるサポーターが彼の味方だ。

「クラウドファンディングを行ってから、実際に目に見える数字となって、あるいは言葉となって、支援してくださる方がいることにすごく励まされました。

地に足がついたような気持ちになれて、声をあげてよかったと思えました。本当に感謝の念は尽きないです」

▲CALL4上の支援メッセージ。読者や卒業生、同じ公務員の方などから熱い応援の声が集まる

「正直、公共訴訟に勝つためのハードルは非常に高いですし、自分の漫画出版に関して言えば、すでに時間がかなり経っている時点で難しくなってきているんだろうとは思うんです」

「ただ、せっかくこれだけの方に応援していただいているので、最悪は自分が難しくても、あとに続く方にとって得るものがある結論には何が何でも持っていきたい」

迷いを払拭(ふっしょく)するかのように、パパ頭さんは言葉を力強く発した。

豊かな未来をつなぐ

インタビューを終え、お辞儀して立ち去るパパ頭さん。その姿を私は頭の下がる思いで見送った。

長年続く不文律にひとり声をあげることは困難だ。あげた声はときに反発を受け、今回の兼業申請のようにうやむやにされ、最初からなかったもののように集団の中にかき消されさえしてしまう。そんな社会では、個人は息苦しさを覚えながらルールの下で生きていくしかない。

けれど私たちが暮らしたいのは、次の世代に受け継いでいきたいのはきっと、一人ひとりが好きなものを自由に表現したり、やりたいことに挑戦できたり、人生を豊かに過ごせる社会だ。ルールはより良いものに自分たちの手で変えていける。

パパ頭さんは後者を信じて、手札を切った。勝負のゆくえはこれからだ。今回の裁判で良い結果が得られれば、それは一つの判例となり、新たな道筋となる。彼の漫画が単行本化されて全国の書店に並び、多くの読者の心に自由の種がまかれ、やがて芽吹いていくーーそんな未来を見たい。


取材・文・構成/丸山央里絵(Orie Maruyama)
写真/保田敬介(Keisuke Yasuda)
編集/杜多真衣(Mai Toda)