「これは長崎市だけの問題ではなく、行政プロセスの問題ではないか」

2021.11.17

長崎市BSL4施設訴訟をめぐるストーリー

細い山間の道をくねくね、車に振られながら半島を南下すると町に出た。

平和公園のわきをすり抜け、原爆投下中心地碑を通り過ぎ、ぎゅうと密着した住宅街の坂道を山の手へ上る。混雑した道路を照らす日差しが強い。

被爆した後、戦後になって再建された浦上天主堂が赤々とそびえる道の向かいに、長崎大学の坂本キャンパスがある。

キャンパスの北門をくぐってすぐのところに、茶壁の四角い建物が見えた。講義実習棟に面し、動物飼育棟と隣り合う5階建ての建物。小さな窓が3つだけついている。建物を囲むワイヤーに電流は流れていないらしい。それが、BSL4施設だった。

▲左から原告の岩本千枝子さん、山田一俊さん、野村力夫さん。
奥のフェンスの向こうがBSL4施設。

危険な病原体を取り扱うBSL4施設

BSL4施設とは、エボラウイルスなど高度に危険な病原体を取り扱う、「バイオセーフティー・レベル(安全管理レベル)4」の要件を満たす施設だ。

「周囲は住宅密集地。隣は観光名所の歴史文化地区。建設地の近くにある断層は活断層の可能性があるといわれている。そんな地域にBSL4施設の建設計画が立ち上がり、病原体に起因する疾病がどのように社会に広がりうるかの疫学調査もしないまま、リスクの及ぶ職員や住民の集団の特定もないままに、建設が始まりました」

山田一俊さんはそう話す。山田さんが自治会長をつとめるのは、BSL4施設に隣接する上野町東部だ。

「避難計画も、安全対策も、緊急対応マニュアルもできていない。耐震基準の審査も不十分で、地域住民との議論も、合意もない。補償も明示されていない」

「近隣1キロメートル圏内の16町には、17,000人が住む。地震が起こったときはもとより、平時の拡散リスクもある。被害発生時の住民への影響が計り知れない中で、それでもなお住宅地の真ん中で、建設だけがどんどん進められていきました」

国立大学法人・長崎大学が、BSL4向けに施設を建てた。それに対して55人の近隣住民が、施設が「BSL4施設」に指定されることへの差し止めを求めて訴訟を起こしている。相手方はBSL4施設として施設を指定する権限を持つ厚生労働大臣だ。

BSL4施設で研究の対象となる病原体(「一種病原体」)は、エボラウイルス、クリミア・コンゴウイルス、天然痘ウイルス、マールブルグウイルス、ラッサウイルスなど。致死率が高い感染症を発症するこれらのウイルスは、世界保健機関(WHO)が危険度に応じて定めた4段階のうち最上位のレベル4。BSL4施設でなければ取り扱えない(なお新型コロナウイルスは、レベルが一つ下のBSL3の施設でも扱える)。

▲BSL4施設入り口のゲート。その前にある一般大学施設とは、通路一本分の距離を隔てて隣接している

この問題の本質は何か

はじめに話を聞くことが決まったとき、「この問題は、研究価値と地元の価値の対立なのだろうか」と考えていた。研究施設を作ることvs.それに反対する地域の住民運動なのだろうかと。しかしそれは違った。正確に言うと、それもあるが、それだけではなかった。

「私たちが訴えているのは、この施設を、リスク管理も不十分かつ住民との議論も不十分なままに、住宅密集地―しかも長崎有数の歴史文化地区―に作ることに対してです」と山田さん。

「未来のために、感染症の研究が必要だというのは分かる。しかしなぜこの長崎市の中心部に作る必要があるのかと私たちは問うている。BSL4施設の計画が決まってからずっと、問うてきました。なのに長崎大学も、長崎市などの行政も、住民に一方的に宣告するだけで、議論もしてくれない」

「何か起こったときの対策を聞いても、『安全ですから』の一点張り。緊急時対応すらも、『今後作ります』と堂々とホームページに載せている。リスク管理が抜け落ちた状態なのに、建設だけはさっさと終わらせてしまった・・・私たちはその体制についても問題提起しています」

ここで問題となっているのは、立地の問題が危険の及ぶ可能性のある周辺住民と議論されないままに決定されているということ、議論の抜け落ちたまま建設が行われているということ――不適切なプロセスについてだった。

▲長崎大学の入り口付近には、原告らが作成した横断幕が掲げられている

隠れキリシタンが多く居住した歴史をもつ浦上という地域

「BSL4施設が接する浦上という地域は、戦国時代の終わりから、隠れキリシタンが多く居住していた地域でした」山田さんが語るのは地域の歴史だ。
「私もその末裔で、戦後すぐにここで生まれました。100年前からあるこの浦上天主堂は地域の学校のようなもので、小さいころは、毎日のように通っていました」

「学生時代に少し東京に出ましたが、すぐにこの町に戻ってきて、技術者として定年までずっとここで働き、暮らしていました。私がこの町の自治会の会長になったのは現役を退く頃で、BSL4施設計画の話が来たのもその頃でした」
2015年のことだったという。

「長崎大学の学長から、協力してくださいという要請が各自治会に来たんです。それで私たちは自治会でアンケートを取った。結果は、反対6割、分からない2割、賛成1割でした。そこで、反対の結果を長崎大学や長崎市、長崎県、文科省などに申し入れました。そのときからずっと、伝え続けています・・・」

▲左奥の茶色の建物が浦上天主堂。右奥に見える茶色と白の四角いBSL4施設との距離は近く、市街地に施設が立地していることがわかる

形式的な対応を続ける地域連絡協議会

BSL4施設建設の検討が開始されたのは2010年。2014年の9大学のコンソーシアムの決定に基づいて、2015年6月、長崎県・長崎市・長崎大学の間で基本協定が結ばれ、その後の7月に坂本キャンパスが建設予定地として表明された。

「私はその話を聞いたとき、市役所の職員だったんです」山田さんの隣で当時のことを振り返るのは野村力夫さん。坂本キャンパスの山側にある江平東部地区の自治会長をつとめる。

「最初は何の話か分からんでさ、でも地区の人の話を聞いたときに、住宅密集地に作って大丈夫なのかって意見が出て、ハッとした。『ちょっと待てよ』となったんです」

「それからいろいろと学ぶうちに、『これはリスクがあるな』と分かってきた。でも、説明をする側はリスクの説明をちゃんとしない。安全性の説明も、事故が起こったときの説明もなかった。避難についての質問をしても、体育館に避難してくださいとか言われたりする」

「行政は住民の気持ちをわかろうとしないと思ったね。私たちが質問を許された地域での説明会も一方的だった。処理水も市の下水道に流すのでは?と聞いても、『安全です』、排気のフィルターから病原菌は漏れ出さないか?と聞いても、処理のされていない病原菌が実験室から持ち出されないか?と聞いても、『安全です』っていうだけ。それがもう何年も続いて、これは行政に何を言っても無視されるだけだと思うようになったね」

施設の安全対策、危機管理要領、研究者の人物審査、倫理教育要領、事故時のハード・ソフト対策、通報や避難要領、責任や補償のこと・・・地域説明会での住民たちの質問は多岐に及んだが、そのすべてに明瞭な説明はなかったという。

▲江平地区の自治会長をつとめる野村力夫さん。浦上天主堂近くのこの商店街も、BSL4施設に近い生活環境。奥には浦上天主堂が見える

BSL4施設建設の経緯

地域住民の疑問がくみ上げられることのないまま、2016年11月には政府が関係閣僚会議で、「国策として」長崎大学のBSL4施設整備を進めると決定した[1]

「市も大学も国も、住民の話を聞く耳も持たない。こちらが誠意を尽くして質問をしても、行政からは反応がないまま、どんどん決められていく。もう司法に訴えるしかないと思うようになりました」山田さんが野村さんの話を引き継ぐ。

「2018年に『BSL4施設計画の差し止めを求める会』を結成しました。今は近隣住民2,275人がメンバーです」

施設の起工は2019年頭から始まった。それと前後して、2018年末から住民たちは不開示情報の開示や、建物の建築禁止仮処分を求める申し立てを起こしていく。26の自治会が反対表明を出し、18,000筆を超える反対署名が集まった。

しかし建設は止まらない。2021年3月末に施設は竣工し、7月末には大学側へ引き渡された。2022年3月末までに実験設備が搬入される予定で、その後、すでにある研究対象ウイルスを輸入するなどして試運転が始まる見込みだという。稼働が開始されれば、致死的病原体の遺伝子組み換えを伴う動物実験も行われる。

「建物の建設前からやめてほしいと訴えているのに、それでも建物が作られてしまった。私たちは、BSL4施設としての指定差し止めを求める訴訟を起こすほかなくなりました」

断層があるのに不十分な耐震審査

「近隣住民の人権の尊重も、安全確保もなされていない。施設のBSL4指定は、住民たちが『生命を守り生活を維持する』ことを侵害する恐れがある。憲法13条の人格権に基づき、指定の差し止めを求める訴訟を起こします」訴訟の代理人をつとめるのは、龍田紘一朗弁護士と三宅敬英弁護士だ。

病原体管理を目的とした感染症法では、前文で「患者等の人権の尊重」が定められている。前文がハンセン病患者等への差別を問題視していることからも、「患者等」には地域住民も含まれる。

「感染症法と厚生労働省令を受けて出された建設省告示の規定では、構造体・建築非構造部材・建築設備に対して『BSL4施設は放射性物質を取り扱う施設と全く同等の耐震性能を持つこと』が要求されています」

「ところが、長崎市に対して『長崎市の建築確認において、この告示に関する耐震審査関係書類を開示されたい』と情報公開請求を行ったところ、長崎市は『不存在』と回答した。。大学は『免震構造』があると言うが、『耐震基準の審査』はなされていないようなのです。耐震と免震は別物です」

長崎市を斜めに横切って、小江原断層が走っている。
「断層はビッグN球場付近まで確認されています。長崎市の書誌にも載っている[2] 。断層の先端がどこまで伸びているかは未確認で、活断層の可能性もあります。ところがこの断層の存在を大学は調べてもいない。そして問題はそれだけではないんです」

▲地図上の小江原断層

大学は建物が免震構造物であると強調するが、免震構造物であることで逆に、重大な問題が出てくると三宅弁護士はいう。

「免震構造物は短周期の地震動に対してほとんど揺れない半面、長周期地震動には大きく揺らされる特性がある。内陸部で断層が動くときには地震波は長周期化することがわかっており、熊本地震でもそのことが確認されています」

「つまり、ここの地震のリスクは無視できないということ。それを過小評価して建ててしまっている。排気量が膨大なこの建物が、もし被害を受ければ、致死的病原体を含む大量の排気が漏れて住宅街が排気の海に沈みかねない」

▲訴訟の代理人をつとめる三宅敬英弁護士

穴だらけの施設立地の基準

こうした有事のリスクだけでなく、平時の拡散のリスクもBSL4施設が住宅密集地にあることで大きくなるというのは龍田弁護士。

「ヒューマンエラーは、ゼロにはできない」龍田弁護士は言う。「実験者のウイルス感染の危険は長崎大学も認めている。実験者が実験中に注射針等を自分に刺してしまういわゆる『針刺し事故』は実際に外国のBSL4施設で起こっているし、実験用のスーツ(陽圧防護服)が破損することもありうる」

針刺し事故やスーツ破損のリスクは大学側もホームページ上で認めている[3] 。しかしその対応として大学が記載している内容は『その場合には、すぐに分かりますので、第一種感染症患者を収容できる施設へ移して対処します』だけだ[4]

「すぐに分からなかったら? 感染した研究者が公共交通機関に乗って通勤する可能性だってある。研究者の水際対策の基準もない。結局、ヒューマンエラーによるリスクを、住民が負担することになる」

「感染症の研究は危険を伴う。BSL4レベルのウイルスはまだ治療薬もできていない。本当なら無人島でやるくらいの覚悟が必要です。そこまでとは言わなくても、漏れたときのことを検証して、たとえば1㎞以上民家がないとか、公共交通機関がないとか、そうした基準を作って立地条件を議論しなければいかんのです」

「しかし、長崎大学がBSL4移設に坂本キャンパスを選んだ理由として挙げているのは、大学や大学病院に近いとか、キャンパスと水・電気・ガスなどのインフラを共有できるといったこと。結局は、学内の研究者の利便性を優先させたということです」

立地基準が穴だらけであることも問題なら、明らかに利便性を優先した意思決定も問題だ。

▲訴訟の代理人をつとめる龍田紘一朗弁護士

「緊急時対応はこれから考える」とする大学

「大学側が事故を防ぐ施策として挙げているのは、『二人一組で行う』といった稚拙なものだけ。リスク管理をあきらめているも同然です」三宅弁護士がふたたび龍田弁護士の話を継ぐ。

大学のホームページ[5] にはたしかに、『避難訓練緊急事態対応の訓練を、定期的に行うことで退避者がパニック状態になることを回避します。また、BSL-4実験室内での実験は最低でも二人一組で行い、相互に協力して退避します』とあった。つづいて、『緊急時の対応は、感染研や各国BSL-4施設のマニュアルを参考にし、今後具体的に検討しますが、研究者自身及び周辺環境の安全が最大限確保される対応をとります』と。

「緊急時対応をこれから考えるというのはおかしい。同様に、避難計画もできていないし、動物実験指針も『今後』とある。本来ならばこれらは、建設の前に作るべきもの。緊急時対応も込みで建設を考えるべきでしょう」

「こうした手続きを何も行わないで、住民の質問をはぐらかしてきたのも、そもそも疫学調査をしないで場所を決定したのも問題です」

関連のガイドラインに目を向けると、WHOの文書 では場所の検証が要求され、日本学術会議の提言では地域の同意が要件とされている。

「これらはひとつも守られていない。WHO文書も日本学術会議の提言も、法規範性がないからといって無視されている。何のためのガイドラインなのでしょうか」

▲BSL施設は一般住宅の近くに立地している

これは、長崎だけの問題ではない

実はこれは長崎市だけの問題ではない。東京では国立感染症研究所のBSL4施設(村山庁舎施設)もまた、地域住民との合意が問題となった。今は、BSL4施設での処置が必要な感染症患者が発生したときなどに限定した稼働しかしていないという。基礎研究を行うことが予定されている施設は長崎市だけだ。

どこの地域が今後、危険性の高い研究施設の建設ターゲットになるかは分からない。もし自分の居住地域に計画が立ち上がったときにどうするか。
まずは疫学調査をはじめとするアセスメントを十分に行ってから場所の選定を行うべきではないか。住宅密集地のリスクは重くとらえ、被害発生時を想定すると避けるべきではないか。

安全対策や避難計画などのリスク管理マニュアルを策定してから建設を始めるべきではないか。責任主体は明確にするべきだし、補償は明示すべきではないか。

――そもそもこれらの手続や対策は建設の前提として行われるべきものなのではないか。

これらの手続を踏みながら議論が進められるようにならないと、どこに建設する計画が出ても同じことの繰り返しになる。

この訴訟の背後に横たわっているのは、プロセスの問題なのだった。当事者に手続が保障されていない問題であり、「地図の上から人の顔を見ていない」、政策の解像度の低さの問題であり、対策や指針を立てないままに、利便性を手続保障や危険性の精査に優先させる意思決定の問題なのだった。

一生ここに住む人たちの不安

「戦時中、6歳のとき、私は坂本キャンパスの南にある銭座町で被爆しました」BSL4施設から数百メートルの場所に住む岩本千枝子さんが言う。「原爆投下の瞬間は押し入れに逃げ込んで助かったけど、あたりがピカーと光って、その後ガレキがガラガラと落ちてきた。私は金比羅山の方へ逃げながら、町が燃えていたのを覚えています」

「今、その方角にBSL4施設ができた。家のベランダからも見える。生活空間の中にあるんです。あの建物があのときみたいにガラガラと壊れたりしたら。そんなことを考えます。そして、これを子孫に残していいのかと、ずっともんもんとしています」

リスクの説明も対話もないから、住民は最悪の事態を考えざるを得ない。
「ウイルスや菌は目に見えんけん・・・」野村さんも5年間、不安の中で暮らしていると話す。

「暗中模索の気持ちです」というのは代表の山田さん。
「私は、もしものときに小さいころから通った天主堂が被災する可能性を考えると苦しい。別の住民は、保育園や子供たちの生活空間をリスクにさらしたくないと言って声を上げている」

時間が降り積もった町に、「私たちは一生住むんです」といった住民の姿が見える。この声は計画を進める行政には伝わっているのだろうか。

▲平和公園近くにある旧浦上刑務支所の壁の一部の上から見たBSL4施設。建物の奥に見えるのは、原爆投下の際に人々がこの山を越えて逃げたといわれる金毘羅山

市民社会との熟議に基づいた意思決定の欠落

エボラ出血熱も、マールブルグ病も、未だ西アフリカで確認され、今年も感染者が発生している。どちらも感染力が強く、致死率も高い。

基礎研究の積み重ねというのは、本来、そういう「遠くの誰か」を助けるのにつながることで、それが「未来の近くの誰か」を助けることもあるかもしれない。

じゃあ、「今の近くの誰か」は? その基礎研究の土台となることに、遠くの、未来の誰かのための負担を引き受けるために、「近くの誰か」はどの程度議論の機会を与えられたのだろうかと考える。これらは本来、つながっているべきなのではないかと考える。

「研究」という、未来や世界に対する価値を達成するための負担を、地域の住民たちが負うことに、熟議の機会は保障されていたのだろうか。と。
計画から10年。「近くの当事者」との対話が形式的なものとしかとらえられていなかったことに、この訴訟の問題の本質があるのではないか。と。

[1]政府における取り組み | 長崎大学のBSL-4施設| 長崎大学感染症共同研究拠点 – (nagasaki-u.ac.jp)

[2] 新長崎市史

[3]3.施設の安全性 | 感染症とBSL-4施設に関するQ & A | 長崎大学感染症共同研究拠点 – (nagasaki-u.ac.jp)

[4]3.施設の安全性 | 感染症とBSL-4施設に関するQ & A | 長崎大学感染症共同研究拠点 – (nagasaki-u.ac.jp)

[5]3.施設の安全性 | 感染症とBSL-4施設に関するQ & A | 長崎大学感染症共同研究拠点 – (nagasaki-u.ac.jp)


取材・文・構成/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/岡本裕志(Hiroshi Okamoto)
編集/杜多真衣(Mai Toda)