「次の世代へ向け教育現場の働き方を変えなければいけない」

2021.4.9

声をあげた田中先生と訴訟をめぐるストーリー

「公立の学校教員は激務です。非常に長い時間外勤務がある。それなのに、労働者としての権利が認められていない。残業代も出ない。こんな状況は、私たちの世代で終わりにしないといけないと思ったんです」

そう語るのは、38年間、埼玉県内の公立小学校の教員を務めた田中まさお教諭(仮名)。定年退職した後、再任用教員として現在も教壇に立ちながら、「超過勤務裁判」を戦っている。

海外と比較しても長い教員の勤務時間

「私は、定年退職の前の1年間、勤務時間のメモを取っていました。すると勤務時間は1日12時間に及んでいました。そしてそんな状態だったのは、私だけではなかった」

条例に定められた埼玉県の公立学校教員の「定時」は、月曜日から金曜日の8時半から17時。うち休憩が45分なので、1日あたり7時間45分である。1週間で38時間45分。

しかし、38時間45分勤務で仕事を上がることができる教員は、埼玉県のみならず日本全国でどれほどいるのだろうか。2016年の文部科学省の調査では、公立学校教員たちの1週間の勤務時間は、小学校で57時間20分、中学校で63時間20分に及んでいる。

海外と比較しても、日本の教員の1週間当たりの平均の勤務時間は、2013年の時点でOECD諸国(34か国)の中で最長だ(TALIS報告書)。文部科学省も、「過労死ラインの週80時間を超えて働いている教員は、小学校教員の約3割、中学校教員の約6割」と「教員勤務実態調査」で指摘している。

「毎年5,000人以上の教員が、精神的な影響で休職に追い込まれている。文部科学省が把握しているだけでも、この10年間で60人以上の過労死も出ています」田中先生は言う。

訴訟に踏み切るまで

「もし民間企業であれば、この労働時間は、労働基準監督署が介入したり、労務管理者が責任を問われたりする数字です。だけど、教員の世界では誰も歯止めをかけられていない」

「私は、労基監督署にも相談し、教育委員会にも、市の公平委員会(地方自治体の行政委員会)にも訴えに行きました。それでも、何の是正措置もなかった」

田中先生が決心したのは、定年退職の1年ほど前だった。
「裁判にするしかないと思った。こんな超過勤務が生じていることを、それに対して何の手当もないことも、38年教員として働いてきた私が、問題提起しないといけないと思った」

「自分自身のけじめでもありました。私の教員生活最後のお務めだ。そう思って、一人で戦おうと思いました。そして、若生(わこう)弁護士に相談に行ったんです。無我夢中でした」

越谷市に事務所を構える若生直樹弁護士は、これまでも労働事件を多く手掛けてきた。「その日はちょうど土曜日でした。土曜日に開いている法律事務所が少ない中で、私は事務所を開けていて、そこに田中先生が相談に来られた」そう若生弁護士は振り返る。

「私も、もともと教員の超過勤務の問題は知っていましたし、ずっと問題意識も持っていました」

若生直樹弁護士は、これまでも労働事件を多く手掛けてきた

これは労働者すべての問題だ

「公立教員の『時間外勤務』は、ないものとされている。その背景には、公立学校の教員に適用される『給特法』という法律(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)があります」若生弁護士が説明する。

給特法は、1971年に「公立教員の一般業務は、時間内に処理する」という建前で制定された。この建前のもとで、「教員に対して時間外勤務を命じることができる場合」を4つの項目(①実習、②行事、③職員会議、④非常災害など緊急の処置)のみに限定する。その上で、4項目に対する時間外勤務手当・休日勤務手当を支給しない代わりに、基本給の4%を「教職調整額」として支給する。

「しかし、これほど時間外勤務が長い現状がありながら、『教員の仕事は勤務時間内に処理する』という建前が、実態と乖離しています」

「この問題は、本来、労働法の問題なのです」

『労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない』(労働基準法1条)

労働者としての権利は、人が人間らしく生きるための人権だ。

「給特法は、建前上、4項目以外の業務について『時間外勤務が必要な場合』を規定していない。なので、時間外勤務については本来、労働基準法上の『労働』として、時間外勤務の協定を結び、残業代を支払う必要がある(労働基準法32条、36条、37条)。なのに、今までそれがされていなかった」

時間外勤務の実態について問題提起し、公立学校の教員にも労働者としての権利保障を求めよう。残業代が支給されていないことも問題提起しよう―そう田中先生と若生弁護士は話し合った。

「この訴訟は、全国に何万人もいる公立教員すべての働き方に対する問題提起です。そして同時に、教員以外の労働者に対しても、今の働き方は妥当か?と考えるきっかけになる裁判です」

こうして、田中先生と若生弁護士の戦いが始まった。

「ですが、この問題については、『時間外勤務であっても、教員の自主的・自発的労働と評価できる場合は法律違反ではない』という裁判例がすでにあった。法律的にも一筋縄ではいかない問題だということは、分かっていました」

「では、現場の教員は、業務を『自主的・自発的』に判断して取捨選択できるのでしょうか?」

長い教員の1日

教員の1日は長い。

「条例に始業は8時半と書いてあっても、出勤するのは毎日、7時30分です」話すのは田中先生だ。「配布物の確認や準備をし、電話連絡を受けているうちに、児童が登校する7時50分になります。体育部の教員はこの時間で朝のライン引きをする」

その後、朝マラソン、朝会、朝自習・朝読書と、息をつく暇もないまま、8時50分から教員は授業を開始する。そこから昼休みまではノンストップだ。休憩時間も教員は、ドリルのチェックや連絡帳の確認、授業準備や登校渋りの子の指導などで忙殺され、休憩を取ることはほぼ不可能という。

昼は給食指導や掃除の指導。午後の授業が終わった後も、児童の下校時刻16時までは下校確認や指導で忙しい。

結局、教員に課された事務作業のほとんどは、児童が帰った放課後にやらざるを得ない。放課後も、職員会議などの打ち合わせに参加しているうちに、「定時」の17時になり、教員はこの時間帯から仕事を行う。

その中には、教室の整理や掃除、掲示物や学級だよりなどの資料の作成、テスト・ドリルの採点やパトロールなど、授業準備以外の事務作業が数多く含まれている。

「そしてこれは、通常の1日です。学期末や年度末になると、通知表や指導要録を作らないといけないので、もっと忙しい。通知表の作成は40人で40時間かかりますし、指導要録の作成は40人で80時間かかる。休日出勤も必要になります」と田中先生。

こうした日々のスケジュールは、なにも田中先生の勤務先に限られたことではない。全国の小学校で、同じように長時間勤務を行わざるを得ない教員は多い。

時代の変化「学校に求められることが増えてきた」

「仕事は、どんどん増えています」と田中先生。

「38年間働いてきて思うのは、時代が下るにつれて業務量は増えてきているということ。地域や保護者が学校に求めることが、多くなってきた」

たとえば小学校近くで交通事故が起こると、「朝の登校指導」を教員は月1回担当する「ことになる」。たとえば新型コロナウイルス対応で教室の消毒が必要となると、IT化の流れで校務支援のソフトを導入することとなると、現場の教員は必要となった業務に応じて、各自担当する「こととなる」。教員たちが業務に費やす時間が増えるが、調整はない。7時間45分の勤務時間は、既存業務で埋まっているからだ。

「こうした業務は、提案があれば職員会議にかけられて、現場教員の仕事になります。職員会議は、時代の流れの中で、多数決ではなく、校長が決めるものになりました。つまり、いったん職員会議を通ると、その業務はなし崩し的に『私たち現場の教員がやる業務』になるんです。現場教員の私たちに、『自主的・自発的』な取捨選択はできない」

「教員の数も、時間も、有限です。にもかかわらず、労務管理をするべき校長が、取捨選択をできていない。校長先生も保護者や地域からのリクエストとの間で板挟みになっているとは思いますが、内部から削れるのは校長しかいない。

私たち教員は、事実上決まったことを、やるしかない…」田中先生は悲痛な叫びをあげる。「私たち教員は、労働者としての権利を無視されているのと等しい」

「さらに問題なのが、これから教員になる次世代への影響です」

教員を目指す学生の数は年々減っているという。教員採用試験の倍率は下がり、学生たちも働き方の実態を見て尻込みする。人材不足は深刻だ。

「教育の研究に費やす時間がない」という状況を変えたい

朝業務や、学級・学校経営、その他の報告書作成などの事務に要する時間は、毎日1時間半を超える。一般事務に要する時間が多いことによって、授業準備や生徒指導などの、「担当教員以外では代替できない業務」の時間は圧迫される。

そうすると、こうした「代替困難な業務」から教員たちが学び、よりきめ細かな教育のあり方を探求する時間は残されているだろうか。

「教育というのはとても個別的で、専門的な業務だと思うんです」というのは、教育学を研究する大学院生の佐野良介さんだ。

田中先生の訴訟提起からしばらくして、訴訟をサポートし、署名や広報の活動を通じて超勤問題の議論を広める「支援事務局」ができた。佐野さんもまた、「この問題は他人ごとではない」と口をそろえる支援事務局のひとりだ。

「教員って、本来『専門家』のはず。目の前の一人一人の子どもに対して、どうあるべきか、最善の答えを探していく、医師に近い職業のはずです」

「なのに今は、専門家が専門を深める時間を持てずに、日々の事務作業に追われている。一般的な事務を終えるだけで勤務時間が12時間だと、探求の時間を作ることもできない」

佐野さんはこれから、『どのように現場の個々の子ども視点できめ細かい教育ができるか』というテーマで研究を進めるという。

「子供たちがどう学んだかは教育現場によってそれぞれ違う。それを個別の事実から読み取り、教員相互で共有できるようにしたい。でもそのためには、教員が個別の事実から学ぶための研究の時間が確保されていないといけない」

「この裁判によって、教員の労働環境が整って、よりよい教育を議論する時間が教員に確保されるようになってほしいと思うんです」

 教育学を研究する大学院生の佐野良介さん

働き方改革をすべての業界に

「私はずっと疑問だったんです」というのは、経済学部に通いながら教職課程を履修する大木さくらさん。大木さんもまた、田中先生の訴訟支援事務局のメンバーだ。

「例えば銀行は、窓口が15時に閉まるけれど誰も文句を言わないですよね。でも、教員の先生たちは保護者対応を、18時を過ぎてもやっている。やらないと文句を言われたりもする」

「この数十年で女性が社会進出して、以前のようにお母さんたちが日中に学校に来ることができなくなったこととも関係あるのではないかと思います。でもその時代の変化の中で、学校は、夜遅くまで残業するという方向になってしまっている。銀行のように定時で終わりにせずに」

「私は今、『女性の社会進出と教員の働き方改革』について論文を書こうとしています。これから働き始める自分自身の問題でもあるからです」
公立教員の中にも女性教員は多い。小学校だと半数を超える。

「教員と児童・生徒の保護者は、働く時間が同じです。どちらか一方の働き方を見直すだけでは足りないのかもしれない」大木さんは続ける。

「最近では、保護者対応も、意見交換のためにLINEやメールを使うなど、テクノロジーを使ってやっている学校もあります。そういうところから変わっていくのかもしれないとも思います」

デジタル化を教育業界にも及ぼさない理由などないはずだ。そう思いながら大木さんの話を聞いているうちに、法廷が開いた。

教職課程を履修する大木さくらさん

教育業界のあり方を議論する前提で

法廷には、田中先生の勤めていた小学校の歴代校長先生が、証人として、二人出廷した。裁判官は校長に、「業務を整理する努力はしましたか」と聞いた。

校長たちはこの質問に答えられなかった。

現状の「働かせ放題」の構造では、労務管理者である校長たちには業務整理の努力をするインセンティブがない。そしてたとえ校長が「努力した」と言ったとしても、「努力をしてもどうにもできない量の一般的事務」が現場に残る。

この事務作業に追加の人的リソースを確保するためには、その財源を確保するための提案をボトムアップで、しなければならない。これは現場にとっては、とても重いプロセスだ。

「内部からは変えられない、仕組みを変えるしかない」「裁判をするしかない」―そう言った田中先生の言葉がよみがえった。

専門家である教員が専門を深めるためには何が必要か。

積み上がった一般的事務はどこまでが子どもたちのために必要か。誰が何の業務をどう処理するべきか。一般的事務を担う人材もまた、入れるべきではないのか。

活用するべき人材は地域コミュニティの中に数多くいるのではないか。児童が学校で出会う大人が、専門家の教員だけでなく、バックオフィスの事務局の人たちがいるのはプラスなのではないか。それが、様々な職種の「大人たち」に対するリスペクトにつながるのではないか。

子どもたちにとっての「社会」である学校で、子どもたちがよりよく生きるために、本当に必要なものは何なのか。私たち大人が子どもたちに伝えるべき「人間らしさ」とは、何なのか。

「よりよい教育」を目指して、現場からも議論すべきことはたくさんある。そしてこれから38年を働く佐野さん・大木さんが言うように、その議論の前提となるのは、「教員の労働環境が整うこと」「労働者としての権利が認められること」だ。

訴訟提起から2年半を経て

「毎朝、登校してきた児童たちと、廊下や階段で会う。そのときに児童たちと話して様子を聞くのが、私が1日で一番好きな時間です」田中先生は法廷の中で、裁判官席を見てゆっくりと話す。

「今までは、長時間勤務で大変ということはありましたけど、やっぱり教員という仕事は楽しかった。でもそれは、権利とか、待遇の理不尽さに対して、今までの私が無知だったからです」

「今、訴訟を始めて、おかしいことが見えるようになってきた。見えてしまったら、おかしいと言わないといけない。それはけっこう、苦しいことでした」

訴訟提起から2年半が経つ。さいたま地裁の法廷前には、一般傍聴人がずらっと列を作っていた。満席になって入れない人もいた。

報告会にも多くの人々が訪れた。オンライン中継を視聴する人たちがいれば、京都から駆け付けた学生たちもいた。多くの「働く人たち」「これから働く人たち」が、裁判の行方をかたずをのんで見守っている。

「私は、たった一人でこの訴訟を始めました」、田中先生は言う。「自分たちの世代から次の世代へ向けた最後のお務めだと思っていたから、最初は、支援も要らないと思っていました」

「でも今、若い世代が関心を持ってくれていて、私の中でも気持ちの変化も出てきた。私は、自分の自己満足であれ、次世代に引き継ぎたくないという気持ちで始めたから、まさにその次世代の若者たちに響いたということは本当に嬉しいことです」

2年半にわたる裁判も、次の5月の裁判期日で弁論終結、あとは判決を待つのみとなる。

「あと少し、私は自分のできることをやるだけです」田中先生は言う。
この裁判が、これからの教員の働き方を、労働者の権利のあり方を左右する。


取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)