「不必要に面倒な行政手続きの問題を放置してはいけない」

2021.3.16

「LINE」を用いた住民票請求サービスの適法性をめぐるストーリー

住民票や税証明書の申請、粗大ごみの収集。保育施設の予約や、パブリックコメントの提出…細かい手続きを必要とする行政サービスは多い。「住民票を取得するために半休を取って役所に行く」というようなことも、往々にしてある。

この10年で例えばアフリカの国ルワンダでは裁判すらもオンラインで起こせるようになったが、日本はデジタル改革が叫ばれ始めたばかり。日本の行政手続きのオンライン申請の割合は未だ他国と比べて低いという。それがずっと不思議だった。

「とにかく面倒な行政手続きをオンライン化できたら大変に意義があると、私はずっと思っていました」デジタル化の潮流が起こる以前から、エンジニアとして行政のオンライン化に取り組んできた、株式会社Bot Express代表取締役の中嶋一樹さんは話を始める。

「ですから、国の側が自らオンライン化の選択肢を狭めるようなことは、国民の利便性を損ねるものに思えます」

Bot Expressのサービス

これまでBot Expressは、「LINEを用いてオンラインで行政手続を行うサービス」を、60を超える自治体と組んで提供してきた。

その中の一つが、2020年4月1日から東京都の渋谷区で開始された、「LINEを通じて住民票の写しを交付請求するサービス」。LINEのトーク画面上でChat Bot(AIによる自動会話)を使って住民票を請求し、支払い手続をすると自宅に住民票が郵送される、というものだ。

奇しくも新型コロナウイルスの影響で自由な外出ができないご時世に、役所へもコンビニへも出かけずに家で住民票が取れるというサービスだ。

しかしこのサービスが始まった直後、総務省から全国の自治体に対して「オンラインでの交付請求には電子署名が必要」とする通知が発出され、Bot Expressのサービス提供に事実上のストップがかかった。

それに対してBot Expressは、総務省の出した通知は違法である(Bot Expressのサービスは適法に提供できる)ことの確認を求めて、2020年9月に総務省(国)を提訴した。

なぜBot Expressは訴訟に至ったのか。

株式会社Bot Express代表取締役の中嶋一樹さん

電子署名以外の本人確認を排除すべきか

「もし通知に従って、国の決める『電子署名』以外の方法を完全に排除すると、住民票の写しの交付請求をオンラインで行う方法が、事実上、マイナンバーに基づく方法に限定されてしまいます。これはほとんどの住民が今すぐ利用できる手段でしょうか。」中嶋さんはいう。

今、住民票の写しの交付については、自治体の窓口、郵送、一部の郵便局での交付のほか、マイナンバーカードと暗証番号を持ってコンビニなどの店舗で行う「コンビニ交付サービス」を提供する自治体も出てきた。この際、マイナンバーカードに搭載された「電子証明書」という機能で本人確認を行う。

法令上、オンライン申請に際しての手続として、1.電子署名(と本人確認のための電子証明書)を用いる場合(4条2項本文)と、2.「行政機関等の指定する方法により当該申請等を行った者を確認するための措置を講ずる場合」(規則(※1)4条2項但書)の、2つの方法が想定されている。

マイナンバーカードを使った「コンビニ交付サービス」は前者(4条2項本文)だ。Bot Expressは、「渋谷区が指定する本人確認手続き」を経た、後者(4条2項但書)のパターンにあたるとしてサービスの提供を始めた。渋谷区も同様の見解だ。

「マイナンバーを使ってコンビニで取るという方法も、あってもいいと思います。でもこのご時世、家を一歩も出ずに住民票が届くという方法もあることには意味がある」

「行政サービスを受ける手段の選択肢は、増えれば増えるほどいいと思う。そしてそのどれを使うかを決めるのは、本来ならば、ユーザーである国民の側であるべきです。それを国が、手段を限定するというやり方に出ている」

マイナンバーカードの交付数は、2021年3月1日時点で3,344万3,334枚。総人口の約26%である。コンビニ交付サービスを採用している自治体の数は830。全国1,700余の自治体の半数を少し割る。

一方、LINEのユーザー数は、日本の人口の7割弱にあたる8,400万人を数える。

※1 「総務省関係法令に係る情報通信技術を活用した行政の推進等に関する法律施行規則」(主務省令)4条2項但書

利便性や技術の信頼性を考慮した判断なのか

総務大臣は会見で、「電子署名がないとなりすましのリスクがある」ため、電子署名が必要だと説明した。

セキュリティの強化のために、Bot Expressは顔認証のシステム(eKYC)を導入していた。LINEのトーク画面上で、写真付きの身分証明書の画像とリアルタイムで複数の方向から撮影した顔の画像を照合することによって、本人確認を行う仕組みだ。これによって、「なりすましのリスク」はほぼ回避できる。

顔認証と比較して、電子署名は、家から行う場合には、ICカードリーダーとソフト(JRE)のセットアップが必要となるなど、利用のハードルが高い。

「電子署名は、物理的にカードやチップが必要になり、それを端末に読み込ませないといけない。対応する機材が必要で、それらを適切にセットアップする知識も必要になります。」

「結局、電子署名を必要だと固執する理由は、マイナンバーカードを使わないとNGにしたい国側の事情にすぎず、国の言う『なりすましの議論』は、技術を検討した結果ではないのではないか」

判断の根拠が国民の利便性や技術の信頼性ではなく、政策的なもののみに左右されるとなると、「利用率の向上」という本来の目的から離れてしまう。

「この訴訟提起後に始まった政府の『脱ハンコ』の方針と、「押印」を前提として正当性を展開している総務省の通知の整合性を、国が訴訟の中でどう主張するかにも注目しています」と、訴訟にあたってBot Expressの代理人を務める水野泰孝弁護士も付け加える。

国と自治体の関係を問う

「このサービスは、渋谷区がきちんと内部で検討し適法であると判断して、自治体として取り組んだ案件。住民票に関する事務は「自治事務」であり、本来的に自治体が責任をもって取り組むものです。それに国が違法だからやめろと横やりを入れたという構図になっています」

説明するのは、水野弁護士。
「これは、国と自治体の関係を問う訴訟でもあります」

憲法上、地方自治体は、住民の意思に基づいて国とは独立して運営を行うものとされている。『地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める』(憲法92条)

「今回の通知は、地方自治法が定める『技術的助言』に位置付けられます。本来は「助言」に過ぎないのに、事実上国は「助言」の名のもとに自治体をコントロールしようとしている。それでいいのでしょうか」、水野弁護士は問いかける。

Bot Expressの代理人を務める水野泰孝弁護士

他の自治体は続々とプロジェクトを始めていた

行政手続きをオンライン化することで職員の負荷を軽くし、新しいことに取り組もうとしている自治体は少なくない。

「どれをとっても面倒な行政手続きをアクセスしやすくする、住民の利便に資するサービスを作りたいと、私はエンジニアとして思っていました」

中嶋さんはBot Expressを立ち上げる前、LINE株式会社に勤めていた。そこで着想したのがLINEを使った行政手続きのオンライン化だ。

はじめに手掛けたのは、福岡市とLINE社でパートナシップを組み、LINEを通じて粗大ごみの申請をできるようにするサービス。LINEで行政手続きをする全国初のサービスだったという。

「それまでも、市町村の公式LINEアカウントなどはあった。でもそれは自治体がマーケティングのために使うにとどまっていて、住民側のニーズに応えるものではなかった」中嶋さんは振り返る。

「私たちが福岡市の粗大ごみ申請のサービスをリリースしたところ、利用率、フィードバックともに、想像をはるかに超えた圧倒的な支持を得ました」

LINEを通じた受付が始まった後、電話での受付数が減り、LINEからの受付数はウェブサイトでの受付数を大きく上回るようになったという。

「はじめは市町村も、LINEという一企業が提供するアプリに依存するようで躊躇(ちゅうちょ)があったようです。しかし、ふたを開けてみると圧倒的な利用率があった。建前上の公平さより、住民の利用率を上げることの方が重要なのではないかと、自治体も取り組みを通して分かってきたようでした」

「そこで私たちは次に、行政手続きの中でも特に利用量が多く、それゆえになじみが深くて『面倒』な、住民票申請に取り組もうと考えました」

事実上「住民票申請機能」が利用不能に

中嶋さんの『GovTech』チームは、次は千葉県の市川市と組んで、住民票の申請手続のオンライン化を始めた。市川市のサービスは着想から半年でリリース。当時の平井卓也IT政策担当大臣にも話し、応援を受けた。

もともと区としてLINEを使っていて、「新しいことをやりたい、職員の負荷も下げたい」という意識が強かった渋谷区でも、すぐにサービスの提供が決まった。他の自治体からも話が来ていた。その矢先、渋谷区のサービス提供開始から2日後の、総務省の通知だった。

Bot Expressの提供する住民票申請は、「役所をオンライン化するサービス」の中の一機能。「そのほかにもいろいろとサービスを提供していますので、ビジネス自体が停滞しているというわけではないです」と中嶋さんは言う。

「でも、総務省の技術助言が出た後に、住民票申請機能を導入した自治体は、一件もありません。60ほどの自治体と組んでサービス提供していますが、一件もない。これは明らかにいびつ。明らかに総務省の通知の影響でした」

通知を出した総務省の自治行政局・住民制度課には、中嶋さんも説明に行き、市川市の職員も、渋谷区の職員もコミュニーケーションをとっていたという。

「ただ、もし総務省の見解が自治体の見解と違って『このサービスは適法でない』というものだったとしても、最終的に適法かどうかの判断は裁判所が決めることだと、私はそのときから思っていました」

提訴に至るまで

もともと、サービスが適法か(規則4条2項但書に該当するか)は、裁判所が判断するべきと思っていたという中嶋さん。「裁判を起こしたのは、一言でいえば、やっぱりやるべきだと思ったから、に尽きます」

「ロビイングもしました。与党の議員さんにも会いましたし、各党の勉強会などにも行った。世の中にも訴えたし、自治体にもコミュニケーションをとった。ロビイングに関してはこれ以上やっても効果は出ないだろうという感がありました」

「それでも、うちがやらなかったら、この問題は放置されてしまう。やるべきことはすべてやらないといけない、残る手段が裁判であればすべてやり切るべきだ、と、夏ごろに提訴を決めました」

『紙縒り(こより)』で綴(と)じなければならない仕組み

「これだけ技術イノベーションが起こっている時代にもかかわらず、自治体のITシステムを使った行政サービスって、あまり変わっていない。なぜこの化石みたいなシステムが続いているのか」中嶋さんは問いを立てる。

一つの理由は、「この領域が閉鎖的な業界で、規制も多いが参入障壁も高い」ということがある。しかし参入障壁は数の問題だけではない。

「官公庁とのプロジェクトは、一つの案件に対する負荷的な労働が非常に多い。面倒なプロセスを経ないと自治体との契約自体ができないとなると、スピードを求めるIT企業はなかなか一緒にやっていけません」

「たとえば先日、入札のための資格申請の手続きがありました。書類を法務局に取りに行ったり、大量にダウンロードしたりするのですが、極めつけが、書類を『紙縒り(こより)』で綴(と)じてくださいというものでした」

紙縒りとは、細かく裂いた和紙をより合わせて紐にしたものである。閣議で使われる書類の「紙縒り綴じ」廃止を河野太郎行政改革大臣が提唱したのが、この訴訟の提起後、つい数か月前の2020年10月だった。

「行政機関ではルールを前提に考えるため、いったんルールが作られると、そのルールの妥当性について能動的に検証がおこなわれることはほとんどないと感じます。だから紙縒りの話も、これってなんだかおかしくないか?って、気づかない。根本的に、何でこうなっているかを考える習慣がないように思います。それが、「常に改善していく」という姿勢にならず、仕組みが化石のようになっていく原因の一つだと思います」

「ルールに依存しすぎている。何のためのルールかを考える余地もない。ルールを作った後は、ルールであれば問題がないという発想になることが、あまりに多い」

自治体とイノベーションの未来

「自治体側がそれを変えるのに必要なのは、ひとえにリーダーシップ、ビジョンを提示する首長の存在だと思っています。そして私たち民間側でできることもある」

「私たちがやるべきことは、成功事例を作ることです。自治体の中に、共鳴する人、新しいことをやりたいという一部の人を見つけて、プロジェクトを一緒に立ち上げ、実現させる。3カ月から6カ月の短いスパンの中で成功事例をまず作る。一度成功すると、自ずと展開されていく可能性が高い。」

「誰かがやっていると途端にハードルが下がって、次が続く。そして、粘り強く取り組みを継続していればそれが新しいデファクトスタンダードになっていく。」

「自治体もサービスをいろいろとやってみて、実際に広く使われたプロジェクトや、満足度が高かったプロジェクトは何かを判断し、多く使われたものに予算を投入するようになればいい」と中嶋さん。

「今の国のスタンスからは、フィードバックを得るプロセスが欠落している。やった事業を正当化するというスタンスばかり見える。何を評価の指標にしているか、事業をやってどういう効果があったかを可視化して、客観的に評価するべきです。事業を適切に評価できないと、意味のなかった事業を意味がなかったと言って終わらせることができないままになります」

今回の裁判が始まってから、「まわりの自治体はみんなこの裁判のことを知っている」と中嶋さんは言う。自治体ネットワークは全国にある。多くの総務課や経営企画課がこの裁判の行方を見守っているのだという。

取材を終えて

「技術が進化している」といわれる時代に、日本の行政手続きのオンライン申請の割合が低いというのがずっと不思議だった。「紙縒り」という言葉を10年ぶり以上に聞いてすこし理解した。紙縒りが標準設定になっている世界が10年以上続いている。

そこを変えていくためには内部からも外部からも自律的に考えた働きかけが必要になるのだ、そしてそれは「訴訟レベル」の働きかけになるのだと。


取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)