「移動の自由が重要なのは、経験の機会を増やすから」

2020.8.11

パスポートを奪われた安田純平さんのストーリー

冬の終わりを境に、世界は一変した。

ウイルスの拡大を防ぐために「行きたいところに行けない」も必要だという時代が始まった。各国は入国制限を始め、航空会社は相次いでフライトをキャンセルした。移動はどんどん困難になっていった。

ジャーナリストの安田純平さんに話を聞いたのは、世界が切り替わる寸前の、まだ「人はどこにでも行ける」と思えた時代だった。

安田さんは2019年に国からパスポートの発給拒否処分を受け、その処分の取り消しとパスポートの発給を求めて訴訟を起こしている。

なぜ安田さんはパスポートの発給を拒否されたのだろうか。なぜ安田さんは、「過去にあんなことがあったのだからパスポートをもらえなくてもいい」と言われたのだろうか。

パスポートがないと、190か国以上に行けなくなる

安田純平さんは、新聞記者を経てフリーになり、紛争地域や被災地を取材してきたジャーナリストだ。「戦場だけでなく、その周りの難民の人たちも含めて、現地の様子やそこでの暮らしを伝えたい」と、アフガニスタンやイラクをはじめとする紛争地に赴き、取材内容を発表しつづけてきた。

安田さんは2015年、取材のために入ったシリアで武装勢力に拘束され、2018年、3年4カ月の拘束ののちに解放されてトルコ経由で帰国した。

拘束中にパスポートを取り上げられていた安田さんは、帰国からしばらく経った2019年1月、インドやヨーロッパ各国への家族旅行を計画して、パスポートの発給を申請した。

ところがそれから半年後の7月に届いたのは、「トルコ共和国から5年間の入国禁止措置を受けている」という理由でパスポートの発給自体を拒否する外務大臣の通知書だった。

パスポートとは身分証明書であり、国境を越える移動に必要なものだ。外務省のホームページには「パスポート(旅券)は生命の次に大切なもの!」と太字で書かれている。

世界は広く、国連加盟国だけでも190以上、日本人が行ける国もまた190以上にのぼる。パスポートがないということは、国籍を証明する身分証をうしなうだけでなく、このすべてに行けなくなることを意味する。

「この訴訟に名前を付けるとしたら、『移動の自由』訴訟だと思います」

話を聞くために訪ねた弁護士事務所では、安田さんの訴訟を担当する弁護団が会議を開いていた。弁護団の一人が手を挙げていう。

「パスポートを持つことで得られる『国境を越えた移動の自由』は、憲法22条(居住移転・職業選択の自由、外国への移住・国籍離脱の自由)や、憲法13条(自己決定権)で保障された基本的人権。そんな重要な権利が侵害されていることが最大の問題です」

発給拒否の根拠は、旅券法という古い法律

「それもあるけれど、『旅券法という古い法律を濫用して、国が個人のパスポートを奪えてしまうこと』も問題視したほうがいいと思う」、会議の席でほかの弁護士がいう。

安田さんに対するパスポート発給拒否処分は、旅券法13条1項1号にもとづいて行われた。「渡航先に施行されている法規によりその国に入ることを認められない者」にパスポート発給を拒否できる、というのがこの1号の規定だ。

「1か国でも入国禁止措置を取られた人からパスポート自体を取り上げ、そのほかの190以上の国に行けないようにする。こうした運用が、旅券法の条項を使ってできてしまう」安田さんと弁護団は問題意識を話す。

「しかもトルコ入国禁止の通知は私には届いていないので、本当にトルコが私に対して入国禁止措置を取っているかも分からない」と安田さんが付け加える。

パスポートの発給などを定める「旅券法」は、1951年にできた古い法律だ。
当時は、パスポートの95%が「予定された渡航先を1往復して帰国したら効力を失う」というシングル旅券だった時代。

ひとつのパスポートで世界中どこへでも何度も往復できる今の時代に、当時の様子はなかなか想像しにくいが、13条1項1号が制定された目的は「渡航先に入れないことで本人のお金と時間が無駄になる事態を避けるため」という趣旨の国会記録が残っている。

安田さんは、「そもそも本当にトルコが入国禁止措置をとっているか明らかでないので、旅券法13条1項1号は適用できない」し、「旅券法13条1項1号自体が、憲法で保障された移動の自由を侵害する法律であり、憲法違反のものだ」として、発給拒否処分の取り消しと、パスポートの発給を求め、国(外務大臣)を訴えている。

安田さんにパスポートを出さない本当の理由は

「手塚治虫の作品『アドルフに告ぐ』に、大戦前夜、日本に住むユダヤ人が国外でパスポートをスられて身分を証明できなくなり、ナチス政権下のドイツに送られるシーンがあります」

弁護団の会議がひと段落した後、安田さんはゆっくりと話を始める。

「パスポートは移動のためにも、国籍を証明するためにも必要な書類。紛失したら、怖くて仕方ないですよね」

「アドルフに告ぐ」のエピソードは、「命の次に大切な」パスポートがなく国籍を証明できないことが、命を危険にさらす例だが、これを昔のことと笑ってばかりはいられない。ウイルスに侵された世界で、国籍を証明できない人はどんな扱いを受けるだろうかと思いをはせる。

「パスポートは本来、機械的に発給するもの、」安田さんは一息置いて、「のはずです」と続ける。

「そのときの政府が『この人にはパスポートを出す』、『この人には出さない』と恣意的に決められるようになったらどうなるか。その人の価値観や思想信条によって、政府が人を自国に閉じ込め、国籍を証明できる人とできない人を決められるようになってしまいます」

「今回のパスポート発給拒否処分はどうか。これは事実上、私の過去を理由として、恣意的に行われている可能性があります」と安田さんはいう。

法律上、国がパスポートの発給を制限できるケースは、7つの条項に分かれる。その中の13条1項7号は「外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」を発給制限の対象とする。

「今回の発給拒否処分は、外見上は、1号でいう『入国禁止措置』がトルコでされているから、ということを理由にしています。しかしその実質は、7号という異なる条項の『日本国の利益又は公安を害する』者に私が該当するとして、超法規的に判断されている可能性がある。私の過去が理由でしょう」

「社会の目」と処分がリンクしているのではないか

背景には、安田さんが過去にシリアで拘束され、解放されたことを「社会に迷惑をかけた」として今も問題視する言論があるのではないかと安田さんは指摘する。

2000年代から、紛争地で日本人が拘束されるたびに「危険な場所に行く責任は本人がとるべき(であり、社会や国家は責任を負わない)」という「自己責任論」がメディアに出てきた。

安田さんがシリアで拘束されたときにも、「紛争地域に行った方が悪く、社会に『迷惑』をかけている」という批判があった。

それから3年4か月を経て安田さんが解放されたときにも、安田さんを労う論調は少なかった。

メディアで目にしたのは、「安田さんは『自己責任』で行くべき場所(つまり行くべきではなかった場所)で拘束され、その後解放に至るまでの一連の出来事で、社会を騒がせ、政府と国民に『迷惑』をかけた」という批判だった。バッシングも多く見かけた。

今も、安田さんは壮絶なバッシングを受ける。

「私は今でも『税金を返せ』と、毎日のように言われています。匿名メールは今も来る。SNSには自殺しろとか、死ねとか、Twitterが凍結するひどい内容の書き込みもされる」

「外国に行かないで日本にいればいいという人もいるけど、家族の顔も知られているし、日本では気が休まらない。心配せずに家族と一緒にいられる場所を求めて日本を出ようとしても、それさえ許されない」

「シリアで拘束され、解放されたことが『社会に迷惑をかけたこと』であり、7号の『日本国の利益又は公安を害する行為』だというのならば、何をもって『迷惑』か、何をもって『日本国の利益又は公安を害する行為』に当たるかを明らかにしないといけない。しかしその線引きは非常にあいまいです」

「線引きのルールもなく、『迷惑』にあたる行為を恣意的に判断できるのならば、私以外にも、目立った行動をテレビなどのメディアが取り上げれば、簡単に『世間の迷惑』が作られてしまう」

事実ではなく憶測で評価が生じる怖さ―「事実を確認できる場所を作りたい」

よく考えてみると、安田さんがバッシングされている「迷惑」とは「拘束・解放により国の税金が使われたから」ではなく、「拘束・解放により国の税金が使われたかもしれないという噂があるから(ただ、本当の事実は誰にも分からない)」だ。

「税金といっても、どこに何が使われたか、本当に使われたのかも含めて、政府の報告書もないので事実関係は分かっていないんです。しかし事実関係を確認して議論する人は少ない」

「今回の訴訟にあたっても、旅券法の条項や、訴訟の経緯を、事実にもとづいてきちんと議論する報道は少なかった。旅券法13条1項『1号』と『7号』という異なる条項を混同した指摘も見られた」

訴訟支援サイトCALL4を通じて裁判情報を公開することにも当初はためらいがあったと安田さんはいう。それは、「裁判は売名行為なのではないかと、ずっと言われていた」からだという。

「それでもサイトへの掲載を決めたのは、訴訟資料を掲載することで、事実関係や法律をまとまった形で確認できる場所があることが必要だと思ったからです」と安田さん。また、CALL4にはクラウドファンディングの機能もあるが、「集まったお金の使い道は明確にする予定」だという。

「日本にはちゃんと憲法や法律がある。裁判を知ってもらうことで、どういう事実があるか、どういうルールがどうやって作られたかを、多くの人に理解して議論してもらう。そうすることで、社会が、そのときの気分とか、そのとき力のある人が一時的に考えた方向に流れていくのを回避できる。多くの人々が参加できる社会になるはずです」

誰もが矛先になる

「今回のように、事実ではなく、憶測にもとづいて『迷惑』だ、『だから非難されていい/罰していい』という考え方が通るようになると、何が『迷惑』なのか、慮るしかなくなる」と安田さんはいう。

しかし、何を「迷惑」ととらえるかは人によって違う。

「迷惑」と糾弾される矛先に、自分だけはならないと、言い切れる人はどれほどいるだろうか。

「私はシリアなんて行かないから大丈夫」、「私が行くところは危険にならないから大丈夫」、それは本当だろうか?

「私は海外なんて行かないから」「僕は山なんて登らないから」「人ごみに行かないから」「目立つことなんてしないから」、「ずっと自粛しているから」「私は何もしないから、大丈夫」、それで良いのだろうか?

「とりあえず何もしないでおこう、なるべく『人と違うこと』をやらないようにしよう、という社会になると、信念をもって行動しようとしても、行動の結果で得られるものに目を向けるより、マイナスの結果を作らない方が大事、という価値観になっていく」と安田さんは危惧する。

移動しないで見えるものも、もちろんある。だが今は、何をしたいか、何を見たいか、何を知りたいかが、強く移動と結びつく時代だ。移動することで見えるものは大きく広がる。

「人間は、一人ではすべてのことは経験できない。多くの人がさまざまな形の経験をすることで、自分の知らないことが幅広くカバーされていきます」

「誰かが制限したら、制限したものしか見られなくなる。『誰も見たことのないもの』『誰も知らないもの』は、経験できなくなってしまう。誰も知らないから新しいわけで、誰かに言われたらすでに新しいものではないんです」

あいまいな「迷惑」に忖度し、「何もしない」社会は、「新しい経験」をなくし、行動する人の気持ちを少しずつ蝕んでいくのではないだろうか。

移動は経験を増やし、経験は他者理解を促す

「移動の自由が重要なのは、移動は経験の機会を増やすからです」安田さんはいう。

「ものごとを経験するにはその都度、自分でものを考え、選択し、決断することが必要です。その経験が多ければ多いほど、他者を理解しやすくなる。いろんな場面を知って、自分とは違う選択肢もあったかもしれないと分かると、自分とは全然違う選択をした人のことも理解しやすくなります」

「そして一方で、理解できないものもあるということも、分かるようになる。理解できなくても、そういう『理解できないこと』が起こり得るということを、理解できるようになる」

他人を理解することは、あるいは「理解できないものの存在」を理解することは、自分を理解し、自分のアイデンティティを作ることにもつながる。

「人が『自分はこういう人間だ』ということを説明するとき、本来なら、自分が生きてきた人生で説明する。こういうことをやってきたとか、こういう経験があるとか、こういうことを考えてきたとか」安田さんは言葉を急がずに話す。

「ところが、人を理解することをやめ、自分で人生を選ぶことや、自分で経験することをやめていくと、自分で説明できるアイデンティティがなくなっていき、国籍や民族といった自分の意思で選んだものではないところに、アイデンティティを求めるようになっていく」

「ほかの人と自分がいかに違うかという点にアイデンティティを求めると、排除によって自分が何者かを実感するようになりやすい。これが続くとどこかで衝突する」

社会は属性によって維持されているわけではない

「2012年にシリアに行ったとき」、安田さんは言葉を継ぐ、「シリアの人たちは自治組織を作り、彼らなりに社会の秩序を維持しようとしていました」

「戦争は瞬間的に起こるものではなくて、続くものです。そこには人々が暮らし、人々がどうやれば生きていけるかを考えて社会の仕組みを作っている。戦争って、人の愚かさや残酷さの象徴だけど、人間の可能性や強さが見えることもある」

「紛争下のシリアでは、社会は与えられたものではなく、自分たちで作っていくものだった。社会は属性によって維持されているわけではないと、そのときに分かったんです」

「秩序が脆弱だったり、当たり前の秩序がなかったりする場所は、世界中にある。そこで社会がどう作られているのかを知ることは、私たちにとっても意味があります」

「日本には秩序はもともとあると思っている人が多いけれど、日本でだって、ルールは与えられたものではなく、作ってきたものです。今あるルールはもともとの目的に合っているのか、何のためにあるのか、共通の倫理や道徳はどこから来ているか。こうしたことを見直すためにも、いろいろな立場の日本人が世界の現場に赴くことは良い機会になるはずです」

「紛争地を知ることは日本を知ることでもある」と安田さんは言う。「日本人が行って、日本人が聞かないと分からないことがたくさんあります」

私たちの見る世界

「日本が70年以上戦場になっていないのはいいことです。でも、戦争を経験した日本人が少なくなった今、戦争の現場で起こり得ることの前提知識がなくなった」

「日本では経験しないで済んでいるけど、今も世界中で戦争は起こっています。戦場だけでなく、その周りには難民の人たちもいる。こうした現場にいる人たちのことは、ネットでは分からない。直接行って、目の前の人と実際に話す経験をして、分かることがある」

「『遠い場所』って、物理的な距離というより心理的な遠さによるもので、」安田さんはいう、「その心理的な遠さを越える手段のひとつが移動なんです」

私たちの見る世界は、移動できる距離に比例して膨らみ、心理的距離とともに収縮する。安田さんの話すシリアを近くに感じるのはそのせいだろう。

「一人でも多くの人が自由な状態にあって、やりたいことや好きなことをやって、その結果として、誰も知らないことを見る人が現れてくる。そういう社会を作るためにも、心理的距離を越える『移動の自由』はある」安田さんは強くいう。

安田さんの話を聞いてからすぐ、私はパスポートを持って日本を出た。それからすこしして、世界が「遠い場所」の断片へとほどけていくのを目の当たりにしている。

行けない場所が増え、直接に見られないものが増えた。最近私たちが見る「外国」は、新たな感染者数や死者数、入国制限や対ウイルス政策のリストの中にばかり強調されている。

そこで日常を送る人の姿は、か細く伝わってくるだけだ。日本国外にいる人間には、日本さえも遠くなってしまったように思う。それがとても心細い。

閉じた世界で「移動できないこと」にじょじょに慣れていく中で、「人が自由に行き来できる世界」のかたちを、努めて忘れないようにしている。

その世界がどれほど大きく豊かであったかを記憶の中に反芻しながら、「自由は空気みたいなもので、奪われないと分からない」といった安田さんの言葉を考える。

移動できる世界が戻ってきたときに私たちは、「移動の自由」がどれほど大切であったかを、忘れないでいられるだろうか。この訴訟のゆくえに、次の世界の大きさが見える気がしている。


取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)