「あきらめるのも特権です」。900人が問いかける、この暑さに手を打たない国の責任

2026.10.7

気候正義訴訟で声を上げる、斎藤幸平さんや若者たちと、島昭宏弁護士のストーリー

家に帰った瞬間にクーラーのリモコンを手に取り、スイッチを入れて設定温度をガンガンに下げる。「クーラーよ、早く効いてくれ」と願いながら、あつい、あつい、と手を洗い、パソコンのスイッチを入れ、冷蔵庫からよく冷えた麦茶を取り出す。クーラーの真下に行って、背中の汗がシュワーと冷えていくのを待つ。

秋になるたびにやっと涼しくなったねと時節のあいさつをして、喉元過ぎれば暑さを忘れる私たちがやることはせいぜいフィルターの掃除だ。それでも異常気象はつづく。「誰のせいにもできない」天気はつづく。

「環境、このままじゃやばいんでしょ?夏も暑いし」、それはわかってる。

「でもどうしようもないよね? 自分が何かアクションをして、何が変わるの?」、私もそう思っていた。

「今のこの暑い夏が異常気象であるとして、誰にどう責任を問えばいいのかわからないし」——本当に? 私たちは、「クーラーつければいいか」で済ませていいのだろうか?

▲アスファルトの照り返しがひどい東京で、私たちはコンビニに逃げ込む

「あきらめる」ことさえできない人たち

「実家の近くの公園を通ったときに、子どもが全然いなかったんです」

20代半ばの原告、大学院生Hさんが言う。「ほんの10年前、私たちが小学生だったときは遊んでいた公園に」

平成に子ども時代を過ごした私たちには、プールで真っ黒になるまで泳ぎ、帰りに公園でアイスを食べて夕暮れまで遊んだ記憶がある。今の子どもたちにはない夏の記憶が。

「あきらめることができるのも、特権です」

そう話すのは、経済思想家であり、気候正義訴訟原告の斎藤幸平さんだ。

「クーラーがある世界で生きていくチョイスが今あるからです」

この夏、温室効果ガス排出量は世界の0.1%に満たないネパールで、地球温暖化に伴う氷河崩落が原因と思われる土石流と洪水が起き、1000人以上が亡くなった。ネパール政府は、気候変動による災害には、慈善事業ではなく気候変動の補償としての責任を国際社会は果たすべきだと問題提起し、話題になっている。

平成の夏を外で過ごせたのも、暑ければクーラーのあるオフィスや家にとどまれるのも、海面上昇におびやかされる沿岸部や氷河が解ける山岳部に住んでいないことも、特権だったのだ。

▲斎藤さん。しわ寄せを受けるのは、チョイスを持たない地域であり、チョイスを持たない世代だ

脅かされているのは、安心して暮らす権利

「楽しい、美しいものが、今のままだと根こそぎなくなる」

気候正義訴訟の弁護団長を務める島昭宏弁護士は言う。

「それだけではない。今すでに、私たちが安心して暮らせる権利—平穏生活権—は脅かされています」

農家や漁師など、自然を相手にした一次産業従事者や屋外労働者は、すでに夏の仕事に支障をきたしている。夏野菜は育ちが悪く、海は水温上昇で生態系を変えている。世界平均を超える形で気温が上昇している日本では大雨が増え、海面水温も海面水位も上昇し、熱帯低気圧による台風の強度も強まっている。

子どもたちが心身ともに健やかに成長・発達する権利もおびやかされている。「夏休みのプールは廃止になった。もう復活することはない」小学2年生の子どもを持つ訴訟の原告が言う。

「仕方ないねって今は言ってますけど、来年は運動会がなくなるかもしれない。公園遊びも、遊具が熱すぎてもうさせられない」

こうした具体的な危険は、政府が十分な気候変動対策をとらないこと自体によって引き起こされているのが現状だと、島弁護士は説明する。

「生活を送っていく上での不安感や危惧を抱く合理的な理由が、すでにある。こうした合理的な不安感を保護する権利が、平穏生活権。実効性のある政策がないこと自体が平穏生活権を侵害しているのです」と島弁護士。

「気候変動は人権問題です」

気候正義訴訟では、900余人の原告が、「国は人権侵害の拡大を防止する有効な措置を講じていない」として、「平穏生活権」の侵害に対する損害賠償を国に請求している。

▲島弁護士。平穏生活権の侵害は人権の重要さに照らしてすでに許されないレベルに達していると話す

この暑さに、誰が責任を負うのか

「地球沸騰化の時代」と国連のグテーレス事務総長が評したのはすでに2023年のことである。「温暖化」なんて生やさしいものではなく、地球は沸騰している。

世界の平均気温は19世紀の産業革命前から2020年までの間に1.1℃上昇しており、0.8℃以上が温室効果ガスの人為的排出によるものといわれている。このままだと21世紀末の世界の平均気温は最大5℃以上上昇する。

その予測を回避するために、国際社会は1994年に気候変動枠組条約を定め、日本も批准した。その後も国際的な議論はずっとされてきた。2015年のパリ協定では、温暖化を産業革命以前と比べて1.5℃以内に抑えることを目指す「1.5℃目標」が定められ、各国で制度の整備が進んだ。

EUでは欧州気候法で2050年までの排出削減目標が法的拘束力のある形で規定されており、イギリス、ドイツにおいても国内法で排出削減目標が定められている。日本もパリ協定に参加しており、1.5℃目標に照らして気候変動対策を進めるべき立場にある。はずである。

ところが日本は、環境対策ランキング(CCPI 2026)で63カ国・EU中、57位と下位グループに沈む。「1.5℃目標の達成のための削減水準に照らして著しく不十分」との低評価だ。水素製鉄や全固体電池など、脱炭素の技術はある。それでも対策が社会に広がらないのは、制度が不十分だからだ。

日本では、「二酸化炭素の削減についてきちんと定めた法律がない。地球温暖化対策の推進に関する法律という枠組法しかないのが現状」、島弁護士が言う。

「CO2を削減するための基準をどのように守っていくかも決まっていないこのような状況では、大掛かりな対策もできません」

気候変動対策には二つの柱がある。熱中症対策やハザードマップの整備など、すでに起きている被害に備える「適応策」と、温暖化の根本的な原因である温室効果ガスの排出そのものを削減する「緩和策」だ。日本では近年、気候変動適応法が整備され、適応策は整えられている。​​一方、緩和策については、排出削減を実際に促す規制や価格づけといった強制力が十分にない。排出削減目標を法的拘束力のある形で定め、排出量取引制度などの規制的手段と組み合わせているヨーロッパとは対照的だ。

国際調査機関(Climate Action Tracker)も、日本の現行の政策・措置を、1.5℃目標との整合性の観点から「不十分(Insufficient)」と評価している。再生可能エネルギーの占める割合が23%程度の日本はまだ化石燃料に依存し、排出量そのものを減らす法律ではなく、昭和に制定された省エネ法の改正を重ねて対応している。

「適応策について法律ができても、緩和策がないままだと抜本的な解決はできない。これは、国会の怠慢です」島弁護士が言う。

相次ぐ豪雨や土砂災害を「まずい」と思いながら、やり過ごして、今も昭和期と同じように「省エネ」「省エネ」と言う私たち。これから加速度的に暑くなっていく世界で、いつまで同じことを言い続けるのだろう?

「気候変動対策が、コントロールするより、耐えて適応することになってしまっている。本当はそれだけでは足りないのに」斎藤さんも言う。

パリ協定に加わっている日本には、1.5℃目標と整合する削減目標を定め、それを実現するための法的拘束力ある排出基準等を定める法的義務があると弁護団は主張する。それにもかかわらず、有効な根本策をとっていない国に対して責任を問うのが、この気候正義訴訟だ。

▲第一次、第二次を併せて900人が原告となった「気候正義訴訟」提起時の入廷行動(写真:弁護団提供)

気候正義訴訟が「遠く感じる」のはなぜ

「将来世代には、もっとひどい未来が待っていることは、知ってます。環境問題が悪化しているのはみんな知ってます」そう大学院生のHさんは言う。

「だけど私たちに何ができるんだろう? エコバッグとかハイブリッドカーでどうにかなるレベルなのか?」

「気候変動対策が我慢を強いるもの、冷房は28℃に設定とか、蛍光灯の半分は消して作業しないといけないとか、不便なものとして始まったのが、気候変動に対する関心が日本で高くない理由のひとつかもしれない」と斎藤さんは分析する。

「本当はほかにも断熱とか、技術を使った対策はあるのに、導入時のイメージが後ろ向きになってしまった。今も『エコなものは我慢』という発想が強いから、電気自動車になっても不便だと思ってしまう」

「たとえばペットボトルの分別は日本人はまじめだからやるけど、そういうレベルの話しかできない」

「若者たちを含めて、自分たちが社会を大きく変えられると信じていないし、社会を変えた経験もない。1970年代の公害訴訟の時代には、住民や専門家、弁護士や学生などが連帯して大企業や政府に責任を求め、成果を勝ち取ったけれど、50年経った今、当時の社会運動とは断絶している」

「社会運動も弱くなっている。気候変動に取り組んでいる人たちが『意識高い系』とみられている。分断もあって、社会は変えられないという手詰まり感がある」

環境問題が取り組みづらい背景には、個人の力では何も変わらないという絶望がある。

この「環境問題の遠さ」が一つ目のハードルだとすれば、900人の原告たちの前には、もう一つ「訴訟という手段の遠さ」というハードルもあった。

訴訟の原告になったHさんは言う。

「環境活動家はアクティビストなイメージがある気がするので、ハードルはありました。もめごとは避けた方がいいとか、権利の主張もあまりしない方がいいとかいうようなイメージはあるし、訴訟の原告になるって大変だと思っている人もいる」

「それでも、意思表示として、訴訟という方法があるなら参加したいと思って参加しました」

Hさん自身、「自分も環境問題に詳しいわけではない。だからおこがましいと思う人もいるかもしれないけど、訴訟を通じて勉強していけばいい、学べるはずだと思いました。そうしたら、それを自分が家族や友達に話すことができる。実際、訴訟の原告になる中で、海外の環境訴訟についても学びました」と話す。

世界では、ヨーロッパを中心に、排出量をめぐる環境訴訟が次々と起こされている。

オランダでは2019年、市民らが起こした訴訟(アージェンダ事件)で、最高裁が政府に対し、2020年末までに温室効果ガス排出量を1990年比で少なくとも25%削減するよう命じ、その中で、政府の対策の遅れが市民の人権を切迫した形で侵害していると認めた。

2021年には、ドイツの憲法裁判所がノイバウアー事件で、現行法のもとで許容される排出量は国民の自由を危険にさらしており基本権が侵害されていると判示した。2024年には欧州人権裁判所が、スイスの高齢女性たち(シニア女性の会)が起こした訴訟で、国は気候変動による悪影響から個人を保護する義務があると認めた。

同じ2024年、韓国の憲法裁判所も、2031年以降の削減目標を定めていない法律の規定を違憲と判断し、国に法改正を命じている。

「政治が動いていない絶望感があって、司法を通じて変えるしかないのでは、と思うようになったのもあります」Hさんは裁判への期待を示した。

「それにこの訴訟は原告が多い。まとまって、集団訴訟をして、報道されることで、活動を広げていくことができると思うから」

▲裁判が始まると、期日ごとに集まって議論することができる。それが原告たちの学ぶ場にもなる

動き出している人たち

気候変動の問題は、「エコで地球にやさしい暮らし」じゃない——そう斎藤さんは話す。

「より公正で、だれも取り残さない社会にするには、という話です。気候変動は経済格差やジェンダー格差、労働の問題と結びついている。たとえばクーラーを持たない家庭、屋外労働者、ケア労働者が、環境弱者として不利な立場になる」

「単に環境だけの問題ではない。環境権とは何かという問いは、どう『いい社会』を作っていくか、どう生活がよくなるかと直結している」

「社会のシステムを変えていかなければならない」と斎藤さんは言う。気候変動の分野は広く、「国家の介入が必要です。そして国家が動くことが必要ならば、市民の参加型にしていくことが大事です。市民に政治的想像力が広がってほしい」

この提言と呼応するように、若者たちが、「大きくて遠かった」環境問題に、さまざまな視点から参画するようになってきている。

900人の原告の中には、親子で訴訟に加わった人たちもいる。今年大学に入った18歳のSさんは、同じく原告になった父親からこの訴訟のことを聞き、参加を決めた。

「気候変動の要因は複合的すぎて、一つに絞れない。だから、国に対してきちんとした政策や法律を求めるこの訴訟は大事だと思いました」とSさん。

高校生のころ気候変動に興味を持つようになったと話すSさんは、これから専門の学部を選ぶという。

「将来は気候変動の問題解決をしたいなと思うようになった。温暖化の要因には火力エネルギーが占める割合が大きいので、エネルギーにかかわることのインパクトが大きい。そこで再生可能エネルギーの研究か実装をやりたいと、今後は工学部への進学を考えています」

Sさんの大学では、昨年から1、2年生向けの科目に「気候変動と社会」という総合科目が開講された。「友人を誘って受講したら、友人も気候変動に興味を持つようになった。きちんと学んで、きちんと知る機会があることが大事だと思った」という。

「一人一人の努力だと限界があって、だけど、社会を変える一員にはなれる。私も成し遂げる一員になりたいと思った」

若者が参加しているのはこの訴訟だけではない。2年前に始まった愛知の「若者気候訴訟」は、将来世代である15歳から29歳の若者たちが原告となり、日本のCO2排出量の約3割を排出する大手電力会社10社を相手どって、排出削減を求めている。

「日本のこれからの対応が海外からも注目されている」、島弁護士は言う。ノルウェーの裁判官から訴状の問い合わせがあったり、イギリスの映像チームから日本の気候変動訴訟を撮りたいといわれて次のCOPで取り上げられるドキュメンタリーも制作されたりしているのだという。

「この訴訟を通じて、社会は変えられるという経験をしていくことが大事です」

▲この訴訟は、「社会は変えられないと私たちはあきらめてはいないか」という問題提起でもある

私たちも「共事者」になれる

「今、いろいろな社会課題があって、バックラッシュも起こっているし、声を上げないとどんどん子どもたちが傷つきやすい社会になっていく」と話すのは、大学院生の原告、Hさん。

「私たちは20代半ばで、若者と大人のはざまにいる。大人にきちんと不満を話し、意思表示しないと、自分自身も先送りする側になってしまう。次の世代への道を整備する義務が大人にはあると、意思表示をしたいと思った」

「デモなどでも声を上げていると、『若い人が来てくれたのは初めて』と言われたりする。それを聞いて、私たちの世代が声を上げることに力があると思うようになりました」

「こうした動きはひとつひとつは別個に起こっていても、同時多発的です。共感することでみんな、『共事者』―当事者性を共有する存在―になれる。直接の当事者でなくても、『共事者』になることでいろいろなルートで原告の声を聴きやすくなると思うんです」

私がきちんと考えていなかっただけで、ユース世代も、中堅世代も、いろいろなアクションを起こしていたのだ。それを、「なんだか遠く感じる」くらいの気持ちでやり過ごしていたのは、私もまだ「あきらめる特権」を持つ側にいるからなのだと気が付いた。そしてあきらめる特権に自覚的になって初めて、自分もすぐにあきらめられない側になるということに気が付く。

温暖化対策は人権問題だと、クーラーの効いた部屋の中で考える。この社会にあるのは、若い世代や、一次産業従事者、ケア労働者が割を食い、労働弱者がそのまま環境弱者になる仕組みだ。気候正義に訴訟という手法で取り組むことは、世代格差や経済格差、ジェンダー格差など、社会のさまざまな人権問題に目を向けることにもなる。

私たちが個人でできることには限界があるが、当事者の声を聴いて共事者になることはできる。すぐにこの部屋から出られなくても、原告にならなくても、日本や世界の温暖化対策を学ぶことはできる。その中で自分たちの権利や環境を考えることもできる。私たちの権利は自然環境に埋め込まれていて、自然環境を無視した権利は成り立たないのだと、自分のまわりにあるつかの間の「守られた場所」で早く考え始めようと思う。


取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/枦木 功(Isao Hashinoki)
編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)