お互い対等でいたかった。そのために選択肢は事実婚しかなかった
選択的夫婦別姓をめぐる、黒川さん根津さん家族のストーリー
「私にとっての家族は、一緒にいて安心する存在です」、キッチンでお昼を作る父と母を背に、中学生のひかりさんが言う。「ずっと当たり前に一緒にいるから、今まで考えたこともなかったけど」
それにこたえて父の根津充さんはいう。「家族って、人を幸せにする器」「…であるべきものですよね、本来は」
「だけど実際は、日本での結婚制度は、一定の家族形態だけしかバックアップしない制度になってしまっている」、母の黒川とう子さんが言う。
家族のあり方が多様化する中で、日本で「家族」として社会的便益を受けられるのは、「同姓を名乗る男女の日本国民のカップルと、その間の未成熟子」という単位に限定されている。結婚して法的な「家族」になるためにはカップルのいずれかが姓を変えなければならず、変えないとそもそも結婚自体ができない。
憲法24条1項は、結婚に「自由かつ平等な意思決定」を保障している。しかし日本の結婚制度は自由でも平等でもない。夫婦同姓を強制する民法750条のもとでは、双方とも姓を変えたくないカップルは法律婚とそれに伴う恩恵を諦めなければならない。
ふたりが結婚したい場合は、カップルの片方が常に姓を変えた状態であり続けるという、不平等な状態がつづく。二者択一を迫るこの構造は、結婚にあたっての本人たちの自律的意思を奪う。結婚制度は、いったい何のためにあるのだろうか。
事実婚を始めて18年目を迎える黒川とう子さん・根津充さんは、お互いに対して「改姓を強制したくなかった」ため、法律婚を諦めざるを得なかったふたり。「事実婚を選んだことによる不利益は、ボディーブローのようにきいている」と、「選択的夫婦別姓」制度を求めて訴訟を起こした。
夫婦別姓も選べる社会へ!訴訟
選択的夫婦別姓制度は、結婚するカップルが同姓または別姓を選べる制度である。
1980年代から導入が議論され始め、1996年には法制審議会が法務大臣に「民法の一部を改正する法律案要綱」を答申している。しかしそれから28年が経った今、制度を求める2度の大きな訴訟と最高裁の2015年の判決、2021・2022年の決定を経てなお、この制度は実現されていない。
結婚するカップルは今も姓を変え続ける。2022年は改姓する94.7%が女性だった。全国で47万8,199 組のカップルが夫の名字に改姓し、2万6,731 組が妻の名字に改姓した(※1)。
どちらの姓も変えないで一緒に生きていくことを望むカップルは、法律婚自体を諦めるほかない。そうしたカップルが何組、何万組いるかはわからない。結婚するカップルは1990年代半ばの79万件台から4割減の50万件台まで落ち込んだが(※2)、調査で婚姻意思について消極的な独身男女の回答理由に「名字・姓が変わるのが嫌・面倒だから」が相当数上がるのは、こうしたカップルが潜在的に多くいるという現われだ(※3)。
「選択的夫婦別姓」と聞くと、またその話?まだその話?という反応がある。こうした反応そのものが、今、原告たちが再び声を上げる理由だ。
2024年3月、同姓の強制を避けるために事実婚を選ばざるをえなかった黒川さん・根津さんその他のカップル、逆に法律婚を選んだためにカップルの一方が望まない改姓の不利益を被った人びとが原告となり、国に対し、名字を維持したまま結婚できる地位の確認や、国家賠償などを求めて提訴した。夫婦別姓も選べる社会へ!訴訟(第3次選択的夫婦別姓訴訟)である。
※3)令和3年度 人生100年時代における結婚・仕事・収入に関する調査 報告書(令和3年度内閣府委託調査)
自由な意思決定に基づいて結婚できない
「根津と10年くらい付き合って、結婚が自分ごとになったときに、改姓の問題に直面し、長年慣れ親しんできた『黒川』という名字は自分の身体の一部なんだと認識した。仕事もしていたし、名前を変えたくない、と根津に話した」と黒川さん。
それにこたえて根津さんは、「彼女の気持ちを聞いて自分でも考えてみた」という。
「出た結論は、『自分も強制したくないし、されたくない』だった。名字も自分の名前。奪われれば痛みがある」
氏名はその社会での識別機能やアイデンティティの機能により、憲法13条が保障する「人格的利益」とされている。氏名を変えて被る不利益は改姓コストだけではない。例えば研究者は論文を書く名前が変わるため、海外で働く人はパスポートの名前が変わるため、キャリアに断絶ができるし、信用や業務の評価へも影響する。病院や役所に行ったときに新しい姓で呼ばれても気づかないという話はよくあるし、あだ名が名字だった人はアイデンティティそのものが消失する。通称使用はそれらの問題をカバーするのに十分ではない。
「自分たちは、お互いの姓を守ったまま一緒に生きていくには、事実婚しか選択肢がなかったんです」―ふたりは2007年、やむなく法律婚を諦めて事実婚としての同居を開始した。
法律婚を選ぶカップルに夫婦同姓を強制する現在の制度は、「二者択一構造」だ。望まない場合も同姓という不利益を甘受して法律婚を選ぶか、税制その他の待遇の不利益を甘受して事実婚を選ぶか。果たして姓の維持を望みながら結婚を考えるカップルには「選択肢がある」と言えるのだろうか。
別姓の選択肢がなかったことによる不利益
「当初はまだよかった。だけど、家どうする?子どもどうする?ってなったときに毎回、法律婚をしていない壁が立ちはだかった」
黒川さんは言う。法律婚でないことによる不利益は、ふたりの生活を少しずつ蝕んでいった。
ふたりの子ども・ひかりさんが産まれたとき、「当時は婚外子に対する差別が法律上残っていたから、子どもが差別されたらどうしようと迷った」と黒川さん。当時は、民法の非嫡出子の相続分差別を違憲とする判決(2013年)が出る前で、結婚していない男女間に産まれた非嫡出子の相続分は法律婚の子(嫡出子)の半分と規定されていた。
「迷ったんですが、婚外子差別をなくす運動をしていたグループの粘り強い交渉のお陰で、出産前に法務省の通達が出され、根津が胎児認知をした上で、父として出生届を出すことができ、さらに、子どもを差別する『嫡出子・嫡出でない子』の記載にチェックを入れずとも出生届が受理されるようになったんです。それでも、根津に当然に親権があるわけではないから、不安は残りました」
家の住宅ローンを組むのも大変だったという。「事実婚だとなかなかペアローンを組めず、組めても高い利率だったり固定金利だったりしたけど、そこに頼むしかなかった」と根津さんが振り返ると、「相続だって安定しない」と黒川さんも他のハンデを挙げる。
「元気な時はまだいいけど、どちらかにもしものことがあったら?お互いがお互いの法定相続人ではないので、遺言書を書かなければならないし、遺言書がたとえあっても税法上の配偶者控除がない。こういう不利益がたくさんある」
「結局、正式なカップルと認められたくても、事実婚は法律婚よりワンランク下のファミリー形態とみなされてしまっている」
平等でいるためには自由を失う
「自分たちは、お互い対等でいたかった」と根津さんは事実婚を始めたときを振り返る。
「どちらかが自分の意思に反して姓を変えないといけない状態は、対等ではないと思った。だから、不利益はあっても、対等なパートナーシップを築くために事実婚を選ばざるをえなかった」
カップル間の平等を求めると、自由を失う。今の日本の結婚制度はそういう仕組みになっている。黒川さん根津さんは対等なパートナーシップを築くのと引き換えに、法律婚を選ぶ自由、「やむをえず」ではなく自律的に事実婚を選ぶ自由を失った。
根津さんは、「同姓の強制は、『家制度』の価値観を押し付けやすい状態をつくる」という。
「パートナーにそのつもりがなくても、パートナーの生家のメンバーが『家に入った』女性のことを都合よく『嫁』扱いし、労働力として駆り出すのを、親戚でも見てきた」
「そういうのが嫌だったから、育児も家事も対等にやっていこう、ふたりでそういうことを大事にしていこう、といってここまで来た。対等なパートナーシップがジェンダー平等だと思うから」
ひかりさんが誕生した後、根津さんは父として育児休暇を取った。10年以上前、父親の育休取得はレアだったという。
「当時、街を歩くと、パパ一人で赤ん坊を抱っこしているパパは見かけなかった。僕たちは『変わり者』でした」
「事実婚も、選択的夫婦別姓訴訟も、『変わり者』だとみられることに耐えられる人じゃないと、できないことなのかもしれない。僕たちは対等なパートナーシップを求めているだけなのに」
ふたりはジェンダー平等に対する思いを別姓に込めていると根津さんは言う。
「選択的夫婦別姓の実現はジェンダー平等、対等なパートナーシップに対してインパクトがあると思う」
2015年に言い渡された夫婦別姓訴訟に関する初の最高裁判決で、大法廷の多数意見は、民法の「夫または妻の氏」という文言が「形式的には平等である」ことなどを理由に、夫婦同姓を定めた民法規定を「合憲」と判断した。
しかし、同判決時には15人の裁判官のうち5人が「違憲」であるとの意見を表明し、岡部喜代子裁判官(肩書は当時)は「女性の社会的経済的な立場の弱さ」「家庭生活における立場の弱さ」「種々の事実上の圧力」といった要因を分析し、改姓の「意思決定の過程に現実の不平等と力関係が作用」していると指摘した。
不平等を受け入れないと「正式なカップル」としての便益を受けられない制度上の不利益だけでない。根津さんを「変わり者」扱いする「事実上の圧力」によっても、別姓を選ぶ夫婦が例外扱いされ、カップルは「変わり者」扱いされない「安全」な選択を強いられる。こうして不平等は再生産される。
第24条1項
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
日本の結婚制度下では、憲法の「同等の権利」も、自律的意思も達成されていない。
家族とは
そもそも「家族」という概念は、法律的にも定義されておらず、「その外延は明確ではない」(2021年最高裁判決 宮崎・宇賀反対意見)。
それなのに、明治時代の民法の名残りを受けて、夫婦同姓制度は今も、「同姓の男女の両親および未熟子」という社会の単位を「あるべき家族の姿」と仰いでいる。この単位にあてはまらずに暮らしている家族形態を「はみ出している」と排除している。
「子どもが生まれて、ごはん食べたりダラダラしたりテレビ見たりする、何でもない幸せがこのまま続けばいいな、と思うようになった」と黒川さん。
「私たちどちらかに何かあっても、制度として排除されないという状態であってほしいなって。でも現実はそうじゃない」
「私たちのような事実婚もそうだし、シングルマザー/ファザーのファミリー、国際結婚、ステップファミリー、同性のカップルやファミリー。たくさんの家族のかたちがありますよね。同姓を名乗る人たちだけが『正式な家族』だというのは、多様な家族を否定している。全然幸せをバックアップするシステムじゃない。なぜ男女のカップルだけを支援する制度になっているのかもよく分からないし」
同姓を名乗る男女の法的夫婦以外を排除するあり方は、「普通/普通じゃない」の線引きのまなざしにあらわれる。
ふたりの娘のひかりさんが以前受けたあるインタビューでは、聞かれることは、『いじめられたことない?』『困ったことない?』ばかりだったという。子どもへの不利益を探すことで、『子どもは不幸なはずだ』『かわいそうなはずだ』『普通じゃない』と証明しようとするかのようなインタビューだったと。
「そういう風に勝手に言ってる人たちもいるのかもしれないけど、私は普通に過ごしてるし、普通に生活してる」、ひかりさんは言う。
そもそも同姓制度は明治時代、「家制度」創設にあたり、1896、1898年の明治民法が家父長制を強化するために取り入れたものだ。
「過去2度、同姓の強制を合憲とした最高裁判決の多数意見では、100年ちょっとの制度を『伝統』と呼んでいた。でも果たして本当にそうなのか?排除されて苦しむ人がいたし、今もいる」と根津さんは言う。
2021年には再び夫婦同姓の規定を合憲とする最高裁判決が出たが、反対意見を述べる裁判官もおり、三浦守裁判官は同姓の強制は「少なくない痛みの上に成り立っている」と指摘している。
「結局、都合よく『伝統』が使われているだけなんじゃないかと思う」
―結婚制度は誰のためにあるのか。今の結婚制度は家族をバックアップするためではなく、明治民法下の家父長制を維持するためにあるように見えないか。
2024年に声を上げる意味
婚姻の多数を占める世代は20代から50代。選択的夫婦別姓の議論は、始まって30年。その間に法的に結婚したざっと2,000万組のカップル、事実婚を選ばなければならなかった無数のカップルに影響を与えてきた(前出※2)。結婚18年目を迎える黒川・根津夫婦の子どもは中学生になり、カップルは世代を超えて影響を受けつづける。
「夫婦別姓くらいすぐ導入されるだろうと思っていた。でも、二度も裁判所が国会にボールを投げて、これが娘の世代まで続くのか?と考えると、動かないわけにはいかなかった」と黒川さん。
「名前は軽く見られているのかもしれないが、娘が中学生になった今、彼女が将来的に同じ選択を迫られてしまう状況は避けたい。自分たち世代の課題を次の世代に投げたくない」と根津さん。
夫婦同姓の合憲性が争われた過去2度の訴訟で、最高裁の多数意見は立法府に判断を委ねた。2015年の判決につづき、2021年の判決も、「国民を代表する選挙された議員で構成される国会において評価、判断されることが原則」と判示した。その間も刻々と社会情勢は変化し、「国民の意識」の表象である家族形態もどんどん多様化している。
2022年、日本の同姓制度が差別的であるとして日本政府に対して国連の自由権規約委員会から勧告が出され、是正が求められている。人権条約機関の勧告は、1980年代からたびたびなされてきた。1985年以降、世界各国は女性差別撤廃条約を受けて別姓等を選ぶことのできる制度を整え、現在では同姓を義務づける国は世界でも日本のみだ。しかし日本政府は勧告を無視しつづけ、社会では今も不本意な改姓/やむなくの事実婚といった選択は積み上がっている。
2024年に入ると国内からも是正を求める動きは活発化し、経団連も「女性活躍や多様な働き方を推進する方策の一丁目一番地」であるからと、政府に選択的夫婦別姓制度の導入を求めた。
「もう国会にボールを投げさせない」
2015年の判決から9年が経った今も、国会の議論は進んでいない。
日本の国会議員の平均年齢は55歳を超える。8.4割を占めるのは男性議員。もちろん当事者以外でも大局的な視点を持つ議員はいるのだろうが、国会には当事者が圧倒的に不足している。「国民を代表」している「彼ら」の大多数は、改姓で困ったことがない。
「通称使用で足りる、とする言説の他人ごと感、想像力のなさに驚いた」と黒川さんも言う。
「自分が名前を変える立場にないし、考えたこともないんだろうなって。でももう今回は国会にボールを投げさせない」
司法の役割は、「困ったことがない」大多数によって人権が抑圧されている「困っている」人びとを救済することにあるはずだ。しかも、姓を変えることによって、または事実婚を選ばざるを得なかったことによって被害を被った人びとはもはや少数ではない。
結婚は誰のためにあるのか
選択的夫婦別姓の議論は制度設計の問題だけではない。不自由で不平等な結婚制度に侵害されつづけている一人ひとりの人権の問題である。自らの氏名を維持することに対する人格的利益の問題であり、結婚にあたっての自律的意思決定または選択権の問題であり、ジェンダー不平等の問題である。そしてこれは、私たちが「家族」をどう考えるかの問題である。家族とは、空間なのか、関係性なのか、それとも「同姓」という記号にすぎないのか。
炒め物を作る油のジャーという音がキッチンに響いている。外は快晴、春の日差しがバルコニーにさんさんと降り注ぐ。住み始めて9年が経つという3人の家には「器」の安心感がある。窓から入ってくる風が、「ごはん食べたりダラダラしたりテレビ見たりする、何でもない幸せ」の上を撫でていく。
「こないだのインタビューでは、家族は何でも相談できる相手とか言ってなかった?」と母の黒川さんが聞くと、「それは言いすぎ」と娘のひかりさんが答え、父の根津さんが笑う。「同姓」でない3人は紛れもなく「家族」だ。
取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/鮫島亜希子(Akiko Sameshima)
編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)