休憩もない過酷な労働環境を見直し、ケアの必要な子どもと向き合える“児童相談所”へ
児童相談所の元職員・飯島さんと、弁護団のストーリー
「深夜の勤務には給与も支払われませんでした。仮眠を取っていいと言われても、とても取れる業務量ではない。横になれたとしても廊下でした」
「研修もなければ、働き方の説明もされない。残業代の申請方法すらしばらく教えられませんでした」
「ときには定員の3倍の子どもたちを見ることもありました。常に人員不足で、子どもたちと向き合う時間がないだけではない。保護というより子どもを管理するやり方が主で、何をするにも許可制。子どもたちは『ティッシュをください』『トイレに行きたいです』と申告するような暗黙のルールもあった。これが自分のやりたかったことなのかと思い悩みました」
児童相談所の職員は、飯島章太さんが学生時代からずっと就きたかった仕事だった。しかし就職後、劣悪な労働環境に心も体もむしばまれ、飯島さんはうつ病を発症した。就職してから3年を経たずして、飯島さんは二度倒れた。休職を経て、児童相談所をやめざるを得なかった。
今、児童相談所を管轄する千葉県に対して飯島さんは、未払いの残業代の支払いと、劣悪な労働環境によって生じた損害の賠償を求めて訴訟を起こしている。これは、飯島さんの権利の回復を通じて、広く「児童相談所で働く職員たちの労働環境改善を求める訴訟」である。
「児童」の「相談」を受ける仕事
「もともと自分には震災時に家族から疎外された経験があり、他の子どもたちにもつらい思いをしてほしくないという気持ちがありました。大学2年生のときから子どもの電話相談ボランティアを始め、その中で、子どもの気持ちを聞いて寄り添うことを仕事にしたいと思うようになりました」
「ですから、子ども ―児童― に関わる仕事で、話を聞く ―相談を受ける― 仕事、つまり児童相談所の仕事を選んだのは自然な選択でした」
飯島さんは法学部から社会学の大学院に進み、大学院では「子どもの電話相談に関わる人たちのケア」を研究した。そして大学院修了後に千葉県庁に就職し、市川市(いちかわし)の児童相談所に配属された。
児童相談所の持つ役割
児童相談所とは、
18歳未満の児童に関するあらゆる問題について、
児童や保護者などからの相談に応じ、
児童の最善の利益を図るために、
児童や保護者に最も適した援助や指導を行う
行政機関です。(※1)
夕暮れ前、東京と千葉を分ける江戸川の向こうにはスカイツリーが見えた。取材チームは飯島さん、弁護士たちとともに、河川敷からほど近い市川市の児童相談所を通り過ぎた。4階建てのビルの中に人は見えなかった。
「児相(児童相談所)に来る子どもたちは幼児から18歳までで、だいたい6割は虐待が理由でした」と飯島さんは振り返る。市川の児相の中には一時保護所もあり、保護された子どもたちは平均30~40日ほどを保護所で過ごす。
「つまり子どもたちは何らかのサポートを必要として児相に来ます」と飯島さん。
児相の役割は、子どもたちの『最善の利益』のために援助や指導をし、保護し、ケアをすることである。
「そして私は、そんな子どもたちの保護やケアは、彼ら彼女らの話を聞くことから始まると考えていました」
「ところがいざ働き始めてみると、子どもたちの話を聞く時間なんてなかった。それどころか、『あまり話を聞かないように』という内部の指導までありました」
夜勤は24時間拘束が基本
飯島さんの就いた職種は児童指導員。子どもたちの自立を促すための援助や、生活指導を行う。その業務内容は過重労働そのものだった。
定時は朝8時半から夕方5時15分まで。午前中は小学生から高校生までの勉強を見て、午後は課外活動を企画運営し、夜の勤務の場合は就寝まで直接サポートする。
「定時は5時15分ですが、その後、職員は事務所で子どもたちの記録をします」
常に定員の2~3倍の子どもたちが保護されている中で、職員は「1人につき8~10人ずつの記録を担当した」という。
「その後も翌日の授業の準備、プリント学習の丸付け、その他の雑務に追われる。子どもたちの退所後の方針を決める意見書(特性や生活、人間関係を記録する)も書く。座っていたとしても業務からは解放されません」
夜勤の場合はさらに過酷(かこく)だった。
「基本は24時間拘束になります。昼に合流し、夕方4時からはノンストップ」
「夜勤はたいてい職員2人体制で行っているので負担も大きい。子どもたちが40人いるときはひとり20人の記録を書く。3時間はかかるので、午前1時までは終わりません」
「薬の配布、布団や洋服の注文といった手続きの仕事もあるし、緊急対応で警察から連絡があって、やり取りをすることもありました」
「やっと業務がはけるのは早いときで午前3時から4時。朝は7時が子どもたちの起床時間なので職員は6時~6時半には起きますが、その数時間ですら仮眠所は与えられていません」
「多くの職員が、居室前の廊下で横になっていました。ストレスを抱えた子どもの中には胃潰瘍になって嘔吐(おうと)する子もいて、そういうことがあった日は対応で寝られません」
「こうした状況の中で、感染症や衛生面にも気を付けながら子どもたちを見ていなければならない、ケガさせてはいけない、と職員はピリついていました。ルールや規則、事前の注意などはどんどん増えていった」
管理下に置かれる子どもたち
「一時保護所は、保護やケアというより、むしろ管理や指導の場所になっていました」
人員不足による過重労働という“業務量”面での問題が、児相の“質”の低下にも及んだと飯島さんは言う。
「嫌いなものを完食させる。茶髪の子を黒染めにさせる。子どもたちが個室から出ると部屋に戻るように指導して、実質的に部屋から出られなくする。ティッシュをとるときには『先生ティッシュください』と申告させる。何をするにも許可制になるとどうなるか。子どもたちの側にも管理される状態が染み付いてしまって、鼻をかむときにも『鼻をかみます』と言うようになる」
「これが自分のやりたかった子どものケアなのか? 自分がケアではなく管理をする側になっていたことに葛藤を感じました」
「ケアの方法を教える研修がなく、適切に学ぶことができなかったのも問題でした。子どものこれからを考える意見書の書き方すら教わらない中で、それでも書かないといけない。私も毎日ストレスを抱えて必死で働いていました」
強いストレスが続き、飯島さんは体を壊した。診断は重度のうつ病だった。
休職、その後退職に追い込まれた現在も、飯島さんはうつ病の治療を続けている。症状は大きくは改善しておらず、今もフルタイムでの仕事は難しいという。通院は3年以上にわたる。
労働法規を無視した職場
雇用主には、労働者の安全に配慮する義務がある。「業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して」「労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務」だ。
「市川の児相はその義務に違反しています」と語るのは足立啓輔弁護士。
「まず休憩も取れないような長時間労働、適切な仮眠場所も与えない夜間勤務など、勤務状況が悪すぎます。残業時間の把握もできておらず、労務管理もできていない」
「それだけではありません。飯島さんは以前もうつ病にり患したことがあったのですが、児相側はそれを知って採用しながら適切な人員配置をせず、勤務開始後すぐに夜勤に入らせた。明らかに無理のある配置でした」
「研修もなく、働き方の説明が不十分なのも、適切な管理体制ができていなかったあらわれです」
「こんなやり方での雇用は、職員の人生を使い捨てにしているも同様。民間に先んじて労働法規を遵守しなければならない自治体がこのようなことをしているというのは本当に問題です」
しかも児相の職員は公務員だ。ストの権利(争議権)や団体交渉権も認められていない職員は、労働環境を改善するために簡単にはたたかえない。
「深夜の勤務を残業とせず、残業代を支払っていないことも深刻な問題です」と足立弁護士は続ける。
「職員たちは、人の生命を預かる仕事をしている。夜には重い緊張感を持って子どもたちをケアし、緊急時の警察対応もしている。それなのに、深夜1時以降の夜勤の時間を労働時間とカウントせず、廊下で寝かせる? ……普通じゃないと思います」
「この訴訟を通じて裁判所には、職務の性質をきっちりと評価してもらわなければなりません」
若手職員の2人に1人が精神疾患に
児相の人員不足は慢性化している。職員の人気は下がっており、2021年12月の千葉県議会では、「職員の採用予定数が129人のところ76人しか確保できていない」という質疑が行われている。
「体質を改善しない限り、人は集まりません」、飯島さんは言う。
全て児童は、(中略)、適切に養育されること、その生活を保障されること、
愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する。(※2)
児童相談所の設置を規定する児童福祉法は、こう始まる。その理念に忠実に仕事をしようとした飯島さんのような職員たちは、法令も遵守されないような労働環境のもとで、追いつめられていく。
千葉県議会によると、市川児童相談所は、「児童指導員の6人に1人が精神疾患を発症している」という。さらに、千葉県全体の児童指導員に関しては、「採用後3年以内の若手職員は、2人に1人が精神疾患で長期療養を行っている」という。(※3)
労働環境の劣悪さは、真摯(しんし)に仕事に向き合う職員の精神をむしばみ、結果として仕事自体の価値を毀損(きそん)する。そのしわ寄せを受けるのは子どもたちだ。
今の労働環境のもとでは、職員は「子どもたちの話を聞く」こともままならない。厳しい指導で子どもたちの人権が損なわれることもある。
日本全体で、虐待相談対応件数は年々増えており、2021年度中には20万件を超えて過去最多となっている(※4)。千葉市を除く千葉県内の虐待相談対応件数も、2016年の6775件から5、6年で1万件近くに増えている。(※5)
「児相の仕事の8~9割は子どもたちの対応で削れない仕事も多い。まずはリソースを増やすことが必要。なんとかして子どもたちの心のケアにあてる時間を作らないといけない」
このままでは変わらない
「休職中に、児相の管理職と面談をしました。復帰するためには、休憩時間が取れること、研修が受けられること、産業医との面談、夜間勤務の免除が必要だと、面談時に話しました」と飯島さんは言う。ところが認められたのは夜勤の免除だけだった。
「休憩時間を取ることは労働者の権利なのに、拒否されました。次長(副所長)には『歴史的に、うちの保護所は休憩をとれない』などと言われました」
結局、条件を飲んで復帰したが、うつ病の症状は悪化し、飯島さんは再びダウンした。勤務の続行にドクターストップも出た。
「もうアクションをやめようと思ったときもありました。それでも、周りの支えもあり、メディアでも発信しつつ、きちんと手続きを踏んで問題提起をしようと思いました」
そこで飯島さんは労働基準監督署(労基署)に相談する。労働環境の劣悪さを知った船橋の労基署からは、市川児相に対して是正勧告が出た。
「その後の管理職との面談では、時間外の賃金は『飯島君には払うけど、他の職員には払わない』と言われました。勤務実態が労働基準法に違反していることは認めたにもかかわらず、個別対応以上に他の職員に対して対応しようとしなかったのです」
「そのときに、これじゃ児相は変わらないと思った。訴訟をしないと、社会的なインパクトがないと、児相はきっとこのままだ、と」
飯島さんは弁護士に相談した。同時に仕事は辞めざるを得なかった。
日本社会の抱える問題
飯島さんからの問題提起を受けて、弁護団が結成された。
「私も弁護士として働きはじめてから、少年の事件など、児相に関わる仕事を多くやってきました」
そう語るのは、今年4月に弁護士登録をした笠原菜摘弁護士。
「その中で、児相の職員やケースワーカーと協力して仕事をする機会も多く、皆さんがものすごくたくさんの仕事を抱えているということを知りました。電話で捕まえるのも困難な状態を見て、これはあまりに大変そうだ、労働環境を改善しないと続かない、と思いました」
「これは児相全体の労働問題。裁判所にも、労働の実態を正しく把握し、評価してもらう必要がある。法律面でのサポートをできたらと思い、この訴訟の弁護団に参加することを決めました」
「児相の問題は、氷山の一角だと思う」、足立弁護士が言葉を継ぐ。
「日本社会は今まで、子どもたちを大切にしてきたといえるでしょうか」
日本は子どもたちにリソースを割いてきたかを考えるにあたって、海外に目を向けると、「子ども省」といった省庁が設置されている国も多く、子どもに関する政策は重要な施策、子どもたちは社会で弱い立場に立たされやすい“脆弱(ぜいじゃく)層”として、保護の対象と見られている。
一方で日本は、2023年度に「子ども家庭庁」が創設される予定はあるものの、今まで子ども政策は文部科学省、厚生労働省、内閣府、警察庁などが縦割りでバラバラに担ってきており、関心が高いとは言えない。2022年度の子ども関係の予算は3兆3301円で(※6)、社会保障費36兆2735億円(※7)の1割にも満たない。
「社会が子どもたちに対してリソースを割いていない。児相の問題は、その一環です。児相だけではなく、教育の現場も同じくこの問題を抱えている」、足立弁護士は指摘する。
日本では、公立の小中学校もまた、教員の労働環境が顧みられないことで、子どもの教育内容にしわ寄せがきているという問題を抱える。子どもたちと向き合う時間もない忙しさなのに残業代も出ないという、教員の苦しみは児相職員の苦しみとも似ている。
「日本社会はもっと子どもたちを大切にしないといけないし、子どもたちをケアする人たちも大切にしないといけない。そのための議論もする必要があります」
子どもたちを社会で支える未来へ
「勤務時間外にキャッチボールをしているときに、いつもは無口だった子が、『母さん、どうしてるかな』とぽつりと漏らしたりするんです。その子は虐待のケースで来ていたのですが、それでも親御さんを心配していた」
飯島さんは勤務時代のことを振り返る。
「子どもたち一人ひとりが、いろいろな気持ちを抱えて児相に来ている。私はこの訴訟を通じて、子どもに関わる人たちの労働環境改善を求めていますが、その中心にあるのは、顔の見える子どもたち一人ひとりです」
児相の役割は、ケアが必要な子どもを保護し、「彼ら彼女ら」にとって最善の援助や指導をすることだ。
「児童相談所って、幼児から18歳までいろいろな年代の子どもたちがいる。年齢が上の子は幼児を世話する中で、ある高校生の女の子が『将来、保護所とか、こういう道に進めたらいいな』と言っていたことも憶えています」
「児相や保護所は子どもたちにとっての最後の砦(とりで)。子どもたちを助けられなかったケースがあると、児相や保護所への風当たりも強くなったりします。けれど、私は、児相が悪いというのではなく、児相はどんな場所で、どんな問題を抱えているかを伝えることで、その後ろにいる子どもたちへのケアのあり方を改善するきっかけにしたい」
「これはあまり知られていないことですが、通告されて保護された子どもたちのうち、8割以上は家庭に帰っていきます(※8)」飯島さんは続ける。
「そんな子どもたちを地域社会全体で支えていくことが必要です。保護所は支えるきっかけの場。社会全体が、子どもたちに関心を持ち、子どもたちを支える社会を作っていかないといけないんです」
江戸川の河川敷で下校中の子どもたちとすれ違った。川べりから児相までの道すがら、公園で子どもたちが遊んでいた。市川には、多くの子どもたちが暮らす。この子たち一人ひとりが、何を抱えているかを想像してみたが、彼ら彼女らが抱えているもの、大人たちに求めているものは、聞いてみないと分からない。信頼関係を作って、時間をかけて聞いてみないと分からない。
どんなケアが必要か、大人たちがどう関わるのが良いかは、当事者一人ひとりにとって違うという当たり前のことに気づく。大人たちが顔の見えるケアをできる場所が用意されていることがどれほど大切かにも気づくし、そんな場所のことを今までよく知らなかったことにも気づく。
子どもに関心を寄せるということは、未来に関心を持つということだ。
この訴訟は、飯島さんの権利の回復を通じて、「児童相談所で働く職員たちの労働環境改善を求める訴訟」だが、それだけではない。子どもたちを大切にする社会を、彼ら彼女らを守り育み、適切に養育できる社会をつくる訴訟でもある。
※1)千葉県ウェブサイト「児童相談所」より
※2)全て児童は、児童の権利に関する条約の精神にのつとり、適切に養育されること、その生活を保障されること、愛され、保護されること、その心身の健やかな成長及び発達並びにその自立が図られることその他の福祉を等しく保障される権利を有する。(児童福祉法第1条)
※3)2021年12月13日 千葉県議会質疑 会議録「令和2年度における心理、児童指導員、児童福祉司の児童福祉関係3職種の精神性疾患による長期療養者の状況」
※4)厚生労働省「令和3年度 児童相談所での児童虐待相談対応件数(速報値)
※5)千葉県「令和3年度千葉県の児童虐待の状況について」、「令和2年度千葉県の児童虐待の状況について」
※6)厚労省 第51回社会保障審議会児童部会
※7)財務省 令和4年度社会保障関係予算
※8)2018年度では、児童虐待相談件数19万件、一時保護3万件に対して、児童養護施設、乳児院、里親委託などの措置の件数は5000件ほど(厚労省 児童相談所における一時保護の手続き等の在り方に関する検討会(第8回)参考資料2_P20)
取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/丸山央里絵(Orie Maruyama)