「嫌い」と排除の隔たりを問うて― タトゥー事件/第3回

亀石弁護士 2020.3.22

連載:公共訴訟としての刑事弁護―「異端」の弁護が社会をつくる

(連載第1回:タトゥーを彫る彼の、「あの」前のこと― タトゥー事件/第1回
(連載第2回:「やらなきゃいけないと思っている」ー タトゥー事件/第2回
(連載第3回:「嫌い」と排除の隔たりを問うて― タトゥー事件/第3回)
(連載第4回:それぞれのたたかい― タトゥー事件/第4回

タトゥー規制の何が問題か

タトゥー裁判に取り組むことになった亀石弁護士たちが最初に向き合ったのは、この裁判の枠組みをどのように設定するかという問題であった。

「医師でなければタトゥーを彫ってはいけない」という規制は果たして妥当か、これがこの裁判の直接の争点であった。法律的に言えば、医師法17条が定める「医師でなければ、医業をなしてはならない。」にいう「医業」にタトゥーを彫るという行為が当たるかが問題となる。

だが、弁護団は議論の末、この事件は、医師法を正しく解釈するうえで、より大きな枠組み、つまり憲法論でも闘わなくてはいけないとの考えで一致した。

医師でなければタトゥーを彫れない。その解釈がもたらすものは、人の人格や権利に深く関わる問題だった。そう、それは医師法という業界規制の法律問題にとどまらず、権力によって奪われない人の権利を定めた憲法の問題でもあるのだ。

まず、この解釈が許されれば、彫り師という職業が違法化され、この国では許されないことになる。憲法22条は職業選択の自由を保障している。捜査機関の法解釈はこの職業選択の自由を侵害することになるのではないか。

また、この法解釈が許されれば、タトゥーという形をとった表現はこの国から永劫失われることになる。これは表現の自由を保障する憲法21条に反するのではないか。

タトゥーを入れている人には、例えば父親の命日を耳の後ろに入れている人、パティシエになるのを志した時の気持ちを忘れないように、いちばん好きな言葉「自分らしく」をフランス語で入れている人もいる。メモに書いて机に貼るのではない。自らの身体に刻むということで初めて表現できるものもあるのだ。

それから、タトゥー規制は、彫り師からも表現を奪うことになる。彫り師にとって、人の体に墨を入れて絵柄を描くというのは代替性のない表現行為だった。紙に絵を描ければ良いというものではない。

油絵画家にとってキャンバスが彼らの作品にとってなくてはならないように、版画家が筆を与えられても自らの表現をすることができないように、彫り師にとってはタトゥーは唯一無二の表現手段であった。このことは、第1回で紹介したタイキ氏のタトゥーとの出会いのエピソードが自ずと語っていることでもある。

「ただ、私たちの主張はタトゥーというものの価値をみんなに肯定してもらおうというものではありませんでした。日本でも刺青・タトゥーには長い歴史があります。人々の受容の仕方もその時々で違う。

そうした歴史的経緯の中で、やはりヤクザ映画等の影響を強く受けた結果だと思いますが、今タトゥーには怖い、悪いというイメージが確かにある。私たちは、そういう日本人の感覚と闘おうとは思いませんでした。」

亀石弁護士はそう言う。どういうことか。

社会的な関心は裁判の結果にも大きく影響すると考え、亀石弁護士たちは、ダンス規制裁判の時と同じように、タトゥー裁判に対する社会の理解・サポートを求めるキャンペーンを始めていたが、そうした中でダンス規制の時とは異なる社会の忌避感を強く感じたという。

ダンス規制の際には多くの署名が集まったクラブや音楽フェスでさえ、タトゥー規制に対する署名はあまり集まらなかった。自身でタトゥーを入れ、ダンス規制についてはコメントをしていた芸能人たちも、所属事務所からタトゥーについて触れることは止められていたようだった。タトゥーに対する拒否感は思いのほか強かった。

「でも、私たちは考えたんです。タトゥーが好きか嫌いかという問題と、これを医師法で規制するという問題は全然違う。タトゥーに対する好悪と、彫り師という職業をこの国から排除することの間には大きな隔たりがあります。私たちが闘おうとしたのは、これを結びつけようとした不合理でした。」

その日に向けて

この裁判の枠組みを、人の権利を定めた憲法の問題でもあると設定する以上、弁護側の積極的な主張や立証が必要だった。刺青やタトゥーが日本の文化や風俗の歴史の中でどのように位置付けられてきたのか。

タトゥーを彫ること、入れることは、権利として保障された表現であると憲法上言えるのか。突如タトゥーが医師しかできない医業であると打ち出して刑罰を課すことはあまりに不意打ちで権力の濫用ではないのか。

そもそもタトゥーを医師以外が彫ることは、「医業」を医師の独占とした医師法の趣旨に反しないのか。こうした問いを追求するためには、文化人類学・憲法・刑法・医事法といった多様な分野にわたる洞察が必要であった。

 亀石弁護士たちは、他の多数の事件処理の隙間を縫って、さまざまな学者たちを訪ねた。幾人かの、各分野の第一人者たちが、今回の訴追に憤り、協力を約束してくれた。亀石弁護士たちは、学者たちに学び、議論を重ね、そしてタイキ氏の処罰が不当であることを基礎づけるための論理を構築していった。

もっとも、学者たちの協力も簡単に得られるものではなかった。関心を持ち、応援をしてくれる学者たちも少なくはなかったが、他方で、普段の研究や教育もある中で、時間を作り、無償の協力をすることは簡単なことではない。

既にこの頃、弁護団では、彫り師やタトゥー愛好家らからの寄付で賄っていた実費が底をつきていた。亀石弁護士たちは、やりたかった立証活動をすべてできないまま、第一審の公判を迎えることになった。

他方で、タイキ氏も苦しい日々を送っていた。少なくとも裁判の結果が出るまでタトゥーを彫ることは許されない。争点が複雑な裁判については、法廷での実際の刑事裁判が始まる前に、裁判所、検察、弁護人が法廷における争点や進行についてを協議する「公判前整理手続」というものが行われる。

タトゥー事件でも何カ月もそれは続いた。大切なタトゥーと向き合う時間を奪われただけでなく、収入の道も絶たれた。早朝のビル清掃の仕事をしながら生活費を得ながら、社会に裁判の関心を持ってもらうために時間を割いて取材に応えたり、情報発信を続けた。

「ともかく彫れないことが辛かったです。タトゥーを彫るということは、自分にとっての日常であり、居場所でしたから。それが突然なくなってしまった。でも、私は無罪判決が出ることを全く疑っていませんでした。結論はそれ以外ないと思っていました。」

公判

2017年4月26日。ついに公判が始まった。大阪地裁で最も大きな法廷の傍聴席は、裁判を支援する人たちで埋め尽くされた。しかし、あまりの緊張で傍聴席を振り返ることさえできなかった、そうタイキ氏は述懐する。

刑事裁判の原則は有罪に該当する事実を検察官が立証することであるが、タトゥーを彫ったという事実関係には争いはない。タトゥーを彫るという行為の処罰の適法性・妥当性に関する弁護人側の立証が中心となった。

それはまだ、人々が「おろか」という貴い徳をもっていて世の中が今のように激しくきしみ合わない時分であった。

谷崎潤一郎の刺青の一節の引用から始まった亀石弁護士による冒頭陳述が、静まり返った法廷に響き渡る。

ここに登場する腕利きの彫り師は、かつては浮世絵を描いていました。美しいものは強く、醜いものは弱いと考えられていた時代でした。皮膚を美しく彩る刺青に、人々は魅了されていました。

それから数百年、刺青はタトゥーと呼ばれる時代になりました。

タトゥーは今も、その人を象徴するものとして、皮膚に刻まれています。ある人にとっては人生をかけた決意。また、ある人にとっては忘れることのできない悲しみ。

彫り師はさまざまな想いをかたちにします。

江戸時代から、ずっと変わらない人の営みがあります。

 しかし、タトゥーに対する世間の評価は大きく変わりました。いつのころからか、タトゥーは悪者のレッテルになりました。人々はタトゥーに眉をひそめ、タトゥーをしている人は、それを隠すようになりました。

 そしてついに、彫り師が、社会から排除されようとしています。今はもう、谷崎が「刺青」に描いた時代ではなくなりました。激しくきしみ合う時代に、それでもなお、守らなければならないものがあります。

世界中で愛され、尊敬される日本のタトゥー。その伝統を守り、発展させてきた彫り師たち。この裁判は、それを守るためのたたかいです。

弁護団は、彫り師がタトゥーを彫る行為は、医師法17条の「医業」にあたらない、医業に該当する医行為は「医療と保健指導」に関する行為に限定されるべきだと明確な主張を掲げると、これを立証するための証拠調べに入った。

文化人類学者による日本におけるタトゥーの歴史についての意見書、これまで国が医行為をどのように考えてきたかを示す国会の議事録の検討、刑法の観点から医行為をどのように捉えるべきかについての刑法学者の証人尋問、タトゥーを彫ることの危険性についての皮膚科医師の証人尋問、彫り師による安全管理のマニュアルの取調べなどが次々と行われた。

さらに、人々にとってタトゥーを彫ることの意味を裁判所に伝えるために、タイキ氏の施術を受けた2人のお客さんも法廷で証言することとなった。二人は、タイキ氏が時間をかけて丁寧にカウンセリングをした上で施術したこと、施術の際には「徹底的に」衛生管理をしていたことなどを次々と述べた。

一人の女性は、自分にとってのタトゥーの意味を尋ねられ、「自分を前向きにさせてくれるもの」と答えた。

裁判の最後には、タイキ氏に対する長時間の質問が行われ、タイキ氏は日々衛生管理のために行っている入念な消毒や安全配慮の流れについて説明したほか、自身のタトゥーとの出会いや彼にとってのタトゥーという表現や職業の持つ意味についてを丁寧に説明した。そして、タイキ氏は陳述の最後をこう締めくくった。

「彫り師という仕事に出会えたからこそ、自分の意志で、自分の力で生きていると実感できたのだと思います。

タトゥーを彫ることは私の生きがいで、人生そのものです。

彫り師としての人生を、返してもらえることを信じています。 」

取材・文/谷口太規(Motoki Taniguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)

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※この記事は、刑事弁護の情報と知が集まるポータルサイト「刑事弁護OASIS」の連載記事として書かれたものの転載です。