同性「ふうふ」のあたりまえ

中島愛さん、クリスティーナ・バウマンさんカップルと同性婚訴訟

筆者の個人的な話になる。何年か前、東南アジアを旅しているとき、ラオスのルアンパバーンの空港でドイツ人男性の二人組に会った。大きなバックパックを背負った気の良いふたりと、一緒に空港から町までのタクシーを相乗りして、道中、お互いの旅程を話していた。

「1か月の旅が始まったばかりだ」とひとりが話した。私が何気なく「友達とスケジュール合わせて旅行するのは大変じゃない?」と聞くと、「あ、僕たちカップルだから」と彼も何気なく訂正した。「毎年、ふたりで合わせて休みを取って、家族旅行に出るんだよ」と。

私はそのときに初めて同性のカップルに会ったわけでもないのに、無意識にふたりの関係を決めつけた自分が恥ずかしかった。自分の中ではまだ当たり前じゃなかったのだと気づいた。

車を降りた後、彼らと一緒にルアンパバーンの町をすこし歩いて、今までの家族旅行の話を聞きながら、1時間半ほど一緒に過ごした。

ドイツでは、その当時からすでに、同性のカップルのための「法的パートナーシップ」の制度があった。2001年に始まったこの制度は、養子縁組の権利をのぞくほぼすべての分野で、パートナーシップを結んだカップルを婚姻関係にあるカップルと同等に扱っていた。

異性間と同性間の婚姻の完全な平等、「すべての人のための結婚」(”Ehe für
Alle”)が認められて、ドイツで同性婚が合法化されるのは2017年になる。

バウマンさんの当たり前

クリスティーナ・バウマンさんは、ドイツのベルリンで1986年に生まれた。ティーンエイジャーになるころにはすでにパートナーシップの制度があったということになる。彼女が自分の性的指向に気づいたのもこのころだ。

「昔からゲイの友達がいて、ゲイのパーティーに行くこともあったので、同性愛はふつうのことだったけれど、以前は自分が女性を好きだと思っていなかった」というバウマンさん。「でも、一度、女性を好きになって付き合ったときに、『ああ、そうなんだ』と思った」

「すぐにまわりにカミングアウトしました。家族も友人も、『ああ、そうなんだ』という反応でした。もし反対されたら絶縁してもいいくらいの強い気持ちで話したのですが、全然反対もなかった。もちろんそれは嬉しかったですし、自分の中での葛藤もなかったです」

葛藤がなかった理由を「カミングアウトは普通だからです」というバウマンさん。「ドイツは同性愛に寛容で、LGBTQのテーマにも慣れています。特にベルリンはいろいろな人がいます。前の市長さんも、ゲイであることをオープンにしている人でした。『隠す理由なんてない(’No reason for hide’)』っていう社会です」

ベルリンの前市長がカミングアウトしたのも、パートナーシップ制度ができたのと同じ年、2001年のことだった。

「差別があったら声を上げるのも普通。デモも良くあります」
バウマンさん自身もベルリンのLGBTQの団体でインターンをしていた。レインボープライドなどのイベントだけではなく、チャリティのサッカー試合を運営したり、学生向けに「LGBTQの人たちは普通だよ」という出前授業をしたり、LGBTQの当事者とそうでない人たちが会う場所作りをしたりと、「活動はさかんで、身近にあります」と話す。

「こうしてベルリンではいろいろな活動をしていたのですが、当時は彼女を作る気もなかったし、結婚する気もなかった。そんなときに愛ちゃん(中島さん)に会いました」

バウマンさんが、ベルリンに赴任してきた中島愛さんと出会うのは2011年。来日し、中島さんと「結婚」して、「ふうふ」として結婚の平等を求める訴訟を日本で起こすのは、また別の話になる。

中島さんの迷い

中島さんは、1978年横浜生まれ。高校、大学とアメリカに留学し、その後は日本でも海外でも、銀行や証券会社といった金融の分野で働いてきた。

中島さんが自らの性的指向に気づいたのは学生時代。
「もともと性別に関係なく、尊敬できる人を好きになっていた。相手は男性のことも女性のこともありましたが、女性の方が多かったです」と話す。

女性を好きになったときには「どうしようかな?と思ったこともあります」という中島さんだが、「アメリカに留学していたころ、いろいろな人がいて、多様な文化があるんだなと思い、『私もこれでもいいかな』と考え直すことにしました」と、自分を受け入れる。

「とはいえ、日本では、家族や会社にカミングアウトしていませんでした。家族へはタイミングが分からずになかなか話せなかったし、会社やまわりの人たちにも、カミングアウトするメリットがないというか・・・言ったところで変な質問されるのも嫌だなと思って、しばらく話していませんでした」

家族にカミングアウトしたのは、バウマンさんとドイツでパートナーシップ登録をし、「ふうふ」になった2016年になってからだった。

中島さんは2011年、勤めていた会社の駐在でドイツのベルリンに赴任する。引っ越して早々、現地で友達を作ろうとSNSを通じて呼びかけたのをきっかけに、日本文化のファンだったバウマンさんと出会う。

中島さんとバウマンさんの軌跡(2011年~)

出会った当初はお互いを「違う世界の人」と思っていた中島さんとバウマンさんだが、何回も会ううちに仲良くなった。バウマンさんは「深い関係は要らないとまわりに宣言していたのに、愛ちゃんが日本に帰るかもしれないと思ったときに、好きだと気づき、付き合い始めました。まわりには、『言っていたことと違くない?』って相当言われました」と振り返る。ふたりが一緒に住むようになるのに時間はかからなかった。

交際を始めてしばらくしたころ、中島さんにベルリンからミュンヘンへ転勤するオファーがあった。これが、ふたりの関係が進展するきっかけになる。
「今まで仕事中心の人生だったので、このときも当然受けるつもりだった」という中島さん。

「ところが、ティナ(バウマンさん)にその話をしたら、『ミュンヘンに行ったら一緒に住めないじゃん、なんで離れて生活するの?』と言われた。そのときに、『仕事より、この人と一緒にいることが大事だ』と、はじめて思いました」

ミュンヘンでの仕事のオファーを受けることをやめた中島さんは、「日本国内なら異動もないし、ティナと一緒に暮らせると思って」、日本に移ることを提案。バウマンさんも、「もともとゲームやアニメ、J-Popや寺社仏閣など、日本の文化のファンで、行きたいと思っていた」と、中島さんと一緒に日本に渡ることを決める。2013年のことだった。

ふたりは生活の拠点を日本に移し、横浜で暮らすことにした。

来日して/帰国して(2013年)

「日本に来たとき、カミングアウトする人の少なさに驚きました。社会が違うのかな。日本もだんだん変わっていると思うけれど、あなたは違うからダメ、という考え方はある気がします」と、来日当初を振り返るバウマンさん。

「愛ちゃんも帰国した当初はカミングアウトしていなかったので、私も来日当初はまわりに話していませんでした」
「来日して少し経って、自治体のパートナーシップ制度ができたときに、日本も変わってきたのかな、と思いましたが、法的な影響はない。象徴的なことだとは思いますが、もっともっと、国全体に影響があるような何かが欲しかったなとそのときは思いました」

一方の中島さんも、「ドイツでティナがLGBTQの活動をしているのを見ていた。でも、帰国当初、日本では動いていないということに、どこかもどかしさを感じていました」と振り返る。

「ティナを連れて帰国して、一緒に暮らし始めました。実家も近かったので家族もティナとは仲良くしていたんですが、しばらく経っても母はまだ『ティナさん日本人の男性と結婚したらビザのことも悩まなくていいのに』と言っていた。それを聞いて、母も分かってないんだな、私たちの関係はまだ当たり前じゃないんだな、と思いました」

「パートナーシップ制度ができたことで社会の意識はずいぶん変わったと思いますが、結婚できるわけではない。正しい理解はまだ浸透していないなと思うことはありました」

結婚(2016年)

ふたりが日本で暮らし始めて3年が経つころ。中島さんは、保険の受取人をバウマンさんにしたいと思ったのを機に、ふたりの関係の法的な証明を作ろうと考え、ドイツでパートナーシップの登録をすることをバウマンさんに持ちかけた。

以前は結婚する気がなかったバウマンさんも、「愛ちゃんとの関係には悩みがなくて、終わりが見えなかった。この人と永遠に一緒にいてもいいと思った」と快諾する。「ドイツの家族にも協力してもらって書類をそろえ、帰省のタイミングでベルリンの市役所に提出しました」

「そのときは、結婚という気持ちでのぞんだ。緊張しました」とふたりは声を合わせる。パートナーシップ制度は、登録の手続も結婚と同様のもの。市役所に書類を提出し、レクチャーを受け、役所の指定で結婚式を挙げる。結婚式の後には、ガーデンパーティーにまわりの人を呼んでお祝いするのがドイツ式。

「家族や友人、元同僚など、近い関係の人たちがたくさん来てくれました。このとき、結婚式をしているのだなあという気持ちになりました」

そのときウェディングケーキに乗せた新婚カップルの人形は、今もふたりの家に飾られている。「これはティナのお母さんが買ってきてくれたもの。日本では、砂糖菓子のように消えてしまうものをケーキの上に乗せるけど、ドイツではその後も残るものを使うみたいです。同性同士の人形もいろいろな種類が売られています」

人形を持って帰国した中島さんは実家にカミングアウトし、家族には応援していると言ってもらえた。

それが2016年。「そのときは、まさか翌年に同性婚の制度ができるとは思っていなかった」というふたりだが、ドイツでは2017年に同性婚の制度ができた。新しい制度では養子縁組ができるようになったという違いはあるが、「パートナーシップとあまり変わりません」とふたりは話す。

「制度ができたのを受けて、私たちも2018年にドイツでパートナーシップを結婚に書き換えましたが、そのときの気持ちは冷静だった。私たちにとっての『結婚』は、2016年のパートナーシップの登録のときでした」

ふたりが見せてくれた証明書類には、性別の欄もなかった。(ちなみに中島さんが結婚を決断するきっかけになった保険の手続は、後日、問題なく完了したという。)

「私たちが同性同士で結婚することが、『美しい日本の家族像』に反すると言われることがあります。家族像って何でしょうか?10家族あれば10通りの家族像があるはずですよね」

「私たちは、同性婚の議論を始めることで、ジェンダーの不平等にも揺さぶりをかけたい。同性同士が結婚するとなると、夫婦別姓の議論も起こるでしょう。同性婚が既存の結婚制度にぶつけられることで、制度の問題点が明らかになり、家族のあり方に対する議論が生じることになります」

日本の社会の歴史は、家族のあり方の変遷の歴史でもある。いわゆる「家族像」が画一化してきたのも戦後になってからにすぎないし、本当は「典型的な家族像」というものは存在しない。実はこの訴訟は、LGBTQだけの問題ではないのだ。

いつ終わりになるかもしれない、平穏な「ふうふ」の日常

ふたりが日本で暮らし始めて5年が経つ。
現在、中島さんは外資金融企業で、仮想通貨のプロジェクト総括として働いている。バウマンさんは日本に来てから日本語を勉強し、日本語能力試験では仕事ができるレベルを通過した。ホテルでの仕事を経て、今は専門学校生だ。

郵便受けに「Baumann 中島」と二人の苗字が書かれた家を訪ねると、ネコ2匹が迎えてくれた。「アナキンとベンです」

話を聞いたのは、南向きの大きな窓から光の入る明るいリビング。映画用の大きなスクリーンの前に、中島さんが趣味で弾くギターが見える。ギターだけではなく、車やバイクも中島さんの趣味。休日は愛車のMazda CX-8に乗って、温泉や、バウマンさんの好きなお寺や神社に出かける。

「愛ちゃんは、忙しくて、やさしい人。ちょっとのんべえで、ワインを飲みながらギターを弾いたりしている」とバウマンさんが明かすと、「ティナは最近オタク度がさらに増している」と中島さんも笑って教えてくれる。

一部屋まるまる、Nintendoのゲーム機やアニメキャラクターのお宝フィギュアで埋め尽くされているのは、バウマンさんの趣味の部屋。
実は今バウマンさんが通っているのはゲームデザインの専門学校。プログラミングやフォトショップ、ゲーム内の3Dキャラクター作成などを通じて、キャラクターデザインを学んでいる。

「もともとドイツにいるときからゲームデザインにかかわる仕事をしたかったのですが、当時はチャンスがなく諦めました。日本に来てからはホテルで仕事をしていたのですが、転職を考えていたときに、『やっぱり昔の夢をかなえたい』と勉強をすることに決めたんです」

しかし、配偶者ビザを持たないバウマンさんが4年制の専門学校に最後まで通い続けられるかどうかは不透明だ。バウマンさんが日本にいられる保障は、現在持つ学生ビザの2年のかぎり。

「ドイツでは私たちは結婚している『ふうふ』ですから、私にはパートナービザが出ます。ところが日本に来たとたん、私たちは法的にカップルとして認められず、一緒の生活すら保障されない。ティナはパートナーなのに、同性であるということだけで配偶者ビザが出ないんです」

ふたりの日常には常に不安が付きまとっている。
「結婚している『ふうふ』として、普通だったら、家を買うとかいうことも視野に入ってくる時期のはずです。でも私たちは、もしかしたらすぐにでもドイツに行かなきゃいけないかもしれない、と常に考えている」

「私たちは日本で暮らしたい。でも、日本では将来の生活を計画することもできない。日々、ビザのことを考えながら生活を組み立てないといけないんです」
「これは、同性の国際カップルが日本で暮らす1日目から向き合わないといけない問題。アンフェアの一言に尽きます。結婚しているのに一緒に暮らすことを保障してもらえないってどういうこと?」中島さんは憤る。

2月14日、同性のカップルに婚姻が認められないのは法の下の平等に反するとして、国に対し同性婚を求める訴訟が、日本で初めて提起される。ふたりも原告になる。

この訴訟は、弁護団によって、「結婚の自由をすべての人に」訴訟と名付けられている。婚姻をする自由、しない自由の両方が、法律上の性別が違うカップルであっても、同じカップルであっても、認められるようになって欲しいということで名付けられた。

日本で声を上げること

2月14日、結婚の平等を求める訴訟が提起される。中島さんとバウマンさんも「ふうふ」として訴訟の原告になる。

声を上げようと思ったきっかけは、2017年12月に明治大学で行われたシンポジウム。中島さんとバウマンさんのような同性の国際カップルが、日本での在留資格をめぐって抱えている問題を語るというシンポジウムだった。そこには200人以上の人たちが集まっていた。

「ビザのことは、私たちだけの問題ではない、と思ったのはこのときでした。この問題をかかえるカップルは本当に多いんだな、心から不安に思っている仲間はこんなにいるんだな、と気づきました」という中島さん。

「今回の訴訟の話があったとき、私たちのように困っている人がいること、制度の問題があることを、当事者以外の人にもわかってもらいたいと強く思いました。名前も顔も公にすることには勇気が必要だったけれど、声を上げたくても上げられないカップルの分も、私たちが前面から声を上げようと、ふたりで話して決めました」

「訴訟には時間がかかります。長いスパンでこの訴訟をしていくのだと思うと責任を感じますし、私たちは5年後、10年後、日本にいられるかも分からない。でも、その期間を経て何かしら、日本の社会を変えられるようなことがあれば、それはまさに、私が日本に帰ってきた理由なのかなと思うんです」

バウマンさんは、「もともとドイツで活動をしていたこともあって、何かしたいとずっと思っていました。でも何もできていなかった。私たちが抱える問題も、話さないと誰も分からないのに」と話す。

「今回、訴訟を起こすことを決めて、もちろんちょっと緊張しています。でもそれ以上に、日本でもできることがあるのがうれしい」
「同性婚ができるまでには時間がかかるでしょうし、どうなるかも分からないけれど、社会の考え方がちょっと変わるかもしれない。日本でも、もっとたくさんの人がふつうにカミングアウトできるようになるかもしれないし、なってほしい。希望はあると思っています」

「同性婚ができるまでには時間がかかるでしょうし、どうなるかも分からないけれど、社会の考え方がちょっと変わるかもしれない。日本でも、もっとたくさんの人がふつうにカミングアウトできるようになるかもしれないし、なってほしい。希望はあると思っています」

バウマンさんにとって当たり前だった環境は、来日後の5年で大きく変化した。変化の中で彼女は、日本に住むことをあきらめるのではなく、日本で暮らし、日本の制度や現状を理解したうえで、日本で声を上げていくことを決めた。

ドイツで生まれ育ったバウマンさんの当たり前は、パートナーである中島さんと暮らす日本の当たり前ではない。でも、パートナーの持つ背景を、パートナーの国のことまでまるっと、制度単位で引き受ける。闘うことも含めて、パートナーの国と一緒に生きていく。バウマンさんはそう選択する。中島さんもその選択に応える。

筆者の話に戻る。1時間半、話を聞いた横浜の家を出るとき玄関で、ふたりが家族旅行でスペインに行ったときの土産の置物が目に入った。私がラオスで会った同性ふうふも、こうしてラオスの土産を玄関に飾っているのだろうか。数年の時を経て彼らのことを思い出す。

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)

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