これまで20年の闘い、これから20年の闘い

2019.2.11

弁護士・児玉晃一さんと入管収容者の死亡事件をめぐるストーリー

ここは閉じられた空間だ。

ビデオの中で、ひとりの男性が苦しんでベッドの上を転げまわっているのを見た。彼は、「I’m dying」と叫んでいた。天井に取り付けられたカメラは、彼がなんども声を振り絞って叫び、ベッドの上を転げまわり、床に落ち、そして動かなくなるまでの8時間をそのまま映していた。

叫び始めてから8時間のあいだに、一度の助けも来なかったことも一緒に映していた。男性は夜じゅう苦しんだのち、息を引き取った。

独房を映すビデオカメラ

糖尿病の持病があった彼はそれまでも再三、体調不良を訴えていたが、容体が急変したあとも病院で治療を受ける機会は得られないまま亡くなった。翌朝、死亡が確認されたときには、血糖値は正常な基準の6~9倍にまではね上がっていた。

「普通に考えると、この状態で放置するとかあり得ないでしょう」と、ビデオを止めて、弁護士の児玉晃一さんは穏やかな口調で言った。

「でもここでは、こんなの正直、珍しくないんです」児玉弁護士が話したのは、亡くなった男性が閉じ込められていた入国管理局の収容施設のこと、そこで続けている長い闘いのことだった。

男性は難民認定をめざしてアフリカのカメルーンから来日したものの、日本の土を踏むことのないままこの施設に収容されていたのだった。(男性の遺族は、2017年9月、国と当時の収容施設所長に対して、賠償を求める訴訟を提起。児玉弁護士は遺族代理人を務めている。)

入管施設の闇「同じ人間だと思っていないのではないか」

日本では、在留資格がなく、不法滞在・不法入国といったオーバーステイをしている人など、退去強制の理由がある人はすべて、入国管理局が施設に収容することができる。

「収容施設は刑務所よりひどい環境と言われています」と児玉弁護士。「死亡事件も、今回に限ったことではないのです」

死亡事件は自殺も含めて2007年以降、明るみに出ている範囲でも13件に及ぶ。

収容施設ではさまざまな人権侵害が行われているといわれるが、医療を必要とする人を放置することも日常茶飯事だという。収容施設にいる人は、施設にいる間は自力で病院に行くことができない。それゆえに施設の職員には、病院に行けない「被収容者」の「生命・身体を保持する注意義務」がある。

カメルーン人男性の訴訟では、遺族は、「男性の容態が悪化した後にも、施設の職員は医師に報告したり救急搬送をしたりせず、注意義務を怠った」と主張している。これに対して入管側は、「職員はカメラを通じて動静を確認し、翌朝には救急搬送して『適切な措置をとった』ため、注意義務に違反していない」と反論している。

「入国管理局の職員は収容されている人の訴えを、どうせ病気のふりだと疑うことが多い。そこには、オーバーステイしているような外国人だから嘘をつくだろうという意識が見えます。同じ人間だと思っていないんでしょうね」

 入国管理局側によると、カメルーン人男性死亡当時、入管の診療体制は、平日の午後1時から5時まで庁内での診療を行う非常勤の嘱託医が1人(複数名の医師が日替わりで往診)だったという。

この施設の収容定員は約700人である。医療体制を充実させるには当然お金もかかる。収容対象となった人の多くはオーバーステイの外国人ということもあり、その待遇に、国の予算をどこまで使うかというのは確かに難しい問題だ。

それでも、と児玉弁護士は続ける。

「彼らは確かにオーバーステイしたかもしれない。でも果たしてオーバーステイは、彼らがここまでの扱いを受けることを正当化することなのでしょうか。明らかに、彼らがしたこととされている仕打ちのバランスを失している、というのが、私の問題意識としてずっとあります」

入管案件に取り組みはじめたわけ「忘れられない事件がある」

「忘れられない事件があります。弁護士になって2年目のこと。バブルがはじけたあとのことでした。自分の目の前で、小学生がふたり、入国管理局の収容施設に連れていかれたことがありました」

整理された語り口に、児玉弁護士が何度も記憶を引き出し、苦しい思いで反すうしてきたことが分かる。

「依頼者は、迫害されて国を出たイラン人の一家でした。入国当時はまだバブル期。バブル期には、観光ビザで入ってきた人たちがオーバーステイしてもつかまらなかった頃もありました。そうやって入ってきた外国の人たちが、単純労働の現場を支えていた一面もあります。彼らも日本にやってきて何年かは不法滞在でも問題なく住んでいたのですが、ある日、お父さんが職務質問にかかってつかまってしまった」

「そのまま退去強制令書が出て、一家全員が収容されました。小学生だった姉弟もです。夏場で、雑居房のクーラーはほとんどきかず、窓から外も見えない。運動もできない。部屋の中にあるトイレには腰までの低い仕切りがあるだけで、音もにおいもつつぬけというひどい環境でした」

「子どもたちをこんな屈辱的な目に遭わせるくらいなら強制送還に応じます、ひと思いにイランで殺された方がマシです、とお母さんが言って、一時的に外に出てきました」

そのときに、難民申請をするために弁護士にアクセスがあり、児玉弁護士が担当することになった。

「難民申請を手伝いながら、再び収容なんてさせないと思っていたのですが、入管当局に出頭しろと言われて、結局、捕まってしまった」

「私はいったい何をやっているのだろう、と思いました。自分たちの仕事は彼らを外に出すことのはずなのに、目の前で小学生が連れていかれている。悔しかった。本当に悔しかった」

最終的には国連に難民として認定されてノルウェーに行ったというこの一家の事件について語り終えたとき、児玉弁護士の声はふるえていた。

「それから20余年、入管事件をやっています」

続けているわけ「自分たちは間違っていないのだ」

入管事件をめぐる弁護士たちの闘いは過酷だ。定期的に入管施設に通うことになるため、かかる労力が大きいし、お金にもならない。依頼者が外国人なので、当事者や遺族の身元の確認すらままならない。そして何よりも、なかなか裁判に勝てない。

「恒常的に取り組んでいる弁護士は、20-30人しかいません」と児玉弁護士は言う。

それでもなぜ、闘い続けるのか。

「イギリスへ視察に行ったときに確信しました。自分たちが正しいのだと。間違っているのは日本の入国管理局であり、入管のやっていることを正しいと認めてしまう日本の裁判所なのだと」

イギリスでは、入管施設に収容されている外国人の人権には当然のように配慮がされている。外に出るための仮放免の手続きは迅速におこなわれるし、視察委員会も日本のように権限や資源に限界があるものではなく、施設を徹底的にチェックしている。

「それでも入管当局が、収容者の人権を脅かすようなことをすることもある。でもそんなときには、裁判所がおかしいと言ってくれる。歯止めになってくれる。これは日本と決定的に違う」「イギリスでいろいろな人に話を聞いて、勇気をもらいました。日本では自分たちがやらないといけない、諦めたら全然変わらない、と」

変えていくためには「自分の友達のことになること」

「でも日本では、社会がこの問題に興味を持っていない」と話す児玉弁護士。

「素朴に見ておかしい、ひどいと感じるようなことが施設の中でされていても、いや不法滞在している外国人に6カ月も自分たちの税金を使ってご飯を食べさせている方がおかしいという意見を持つ人もいる。自分たちも厳しい状況にいるときには、他に虐げられている人にまで、考えが回らない。社会が余裕を持てるためには、社会全体が豊かにならないといけない」

「でもそれだけではなくて、意識が変わることが大事なのです」

これから、日本に住む外国人は爆発的に増えていく。

「関係ないと思っている人たちも、同じ人間だという意識をどれだけ持てるか。人数が増えることによって身近に感じる人が増えていく。ああ普通の人だと分かっていく」

もし冒頭のカメルーン人男性が、イラン人の小学生たちが、自分の友達だったらどうだろう。「人権意識を持って」というと大きく聞こえることも、隣の友達のことと考えれば、彼らへの人間的な扱いを切実に求めることが、当たり前のことになる。

「10年前に、日本で交通事故死したスリランカ人の訴訟をやりました。一審では遺族がもらう死亡慰謝料が2500万円と認められたのですが、2500万円だとスリランカの物価水準に照らして高いのではということで、二審で500万円に減らされてしまった。最高裁で争うことになって学者の先生に相談しに行ったときに、こう言われました」

「『社会が変わると、理不尽な判断も変わっていきます。たとえば昔は、専業主婦が交通事故に遭ったときには、働けなくなったことに対して支払われる額はゼロだった。当時、専業主婦の労働がお金の価値で認められていなかったことのあらわれです。でもそれが、女性の社会的地位が見直されたことで、変わった。今はゼロなんてありえません。司法の場における変化ではなくても、社会の意識が変わってくることで、おのずと変わることがある。理屈だけじゃないのですよ』と。」

「事実、もうすでに変わってきていると感じます。外国人の存在は自然と身近になってきている。小学校の同級生に外国人がいるという人が増えてきている」

「自分の友達の問題として扱えるようになってくると、意識も変わる。社会の意識の変化があれば、その影響で、立法府や裁判所の考え方も変わるかもしれない。だいたい20年遅れではありますけどね…」

児玉弁護士は20余年後の未来に願いをこめながら言う。

「それまで私は弁護士として、ホームグラウンドである法廷の場で闘い続けて、心ある裁判官の判断を待つ。時間はかかるけれど、必ず通るはずだと思っています」

取材・文/原口侑子(Yuko Haraguchi)
撮影/神宮巨樹(Ooki Jingu)
編集/杜多真衣(Mai Toda)